第5話

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第5話

 「クール系男子」作戦終了から1週間。間中くんのモテ期は、あっけなく終わりを迎えた。  教室でゲラゲラ笑っている間中くんを見て、同じクラスの女子は「うるさい」「やっぱりウザい」って顔をしかめているし、他のクラスの女子は「思ってたのと違う」ってがっかりしたみたい。  まさに魔法がとけた状態。でも、本人はいたって楽しそうだ。 (やっぱり無理していたんだな)  そりゃ、高熱を出して倒れたくらいだもん。間中くん自身は「考えすぎたせい」って言ってたけど、私は無理してクール系男子っぽくふるまい続けたのも原因かなって思ってる。ほら、ストレスってたまりにたまると身体がおかしくなるっていうし。  ちなみに、新しい作戦はすでに間中くんに授けている。今日の昼休み、その成果を報告してもらう予定だ。  そう、間中くんはいたって順調。  なのに、私の気分はちっとも晴れない。 (あれからだ)  間中くんに「笑ってる顔が好き」って言われたときから、私の心臓はちょっとおかしなことになっている。  まず、間中くんを見ていると胸の奥がザワザワする。  笑顔を目にすると、心拍数が上昇する。  話をしているときも似たような感じ。  ひどいときは、手にへんな汗をかいている。  これが誰に対してもそうなら「何かの病気なのかな」ってなるだろう。  でも、違う。あくまで間中くん限定なんだ。 (となると、これってつまり……)  頭に浮かんだひとつの可能性を、私はすぐさま否定した。  だって、私が、まさか、そんな── 「うーっす」  書庫のドアが開いて、間中くんが顔を出した。  気さくな笑顔なのはいつものこと。なのに、私の心臓はばくんって大きな音をたてる。 「お、遅かったね」 「そっか? いつもどおりだろ」  ──そのとおりだ。私だって、本気で「来るのが遅い!」って思ったわけじゃない。ただ、間中くんの顔を見た瞬間、頭がパンってなっておかしなことを口走っただけで。 (ダメだ、落ちつけ)  いつもどおり、いつもどおり──  なのに、間中くんはいきなり私の両手を掴んでくる。 「あのさ! 新しい作戦、すっげーいい感じ!」  ままま、待って!  その前に手を離して! 「昨日さ、正面玄関で池沢先輩を見かけたからさ、佐島の作戦どおり……」 ──『おはようございます!』 ──『ああ、トモちゃんの……』 ──『佐島の友達の間中です! サッカー部です!』 ──「ふふ、知ってるよ。今日も元気いっぱいだね」 ──『うっす!』 「ってさ、池沢先輩とちょっと喋ることもできた! すげーな、この『挨拶でアピール』作戦!」 「そ、そうだね」  そんなことより手! そろそろ離してよ! じゃないと、心臓がバクバクしすぎておかしなことになりそう。  なのに、間中くんはちっとも気づいてくれない。  ああ、もう!  耐えきれなくなった私は、自分から彼の手を振り払った。 「えっ、なに?」 「なにじゃない! なんで手つかんでるの!?」 「えっ……ああ、ええと……なんか──勢いで?」 「ダメだった?」みたいな悲しそうな顔をされたけど。 (ダメに決まってるじゃん!)  意味わかんない。  手なんか掴まなくても、報告くらいできるよね? (私の心臓、壊す気か!)  そんな憤りが、ようやく伝わったのだろう。  間中くんは、気まずそうに両手を背中に引っ込めた。 「なんか、ごめん」 「それは何に対して?」 「……急に手を掴んだことに対して?」  でも俺、ちゃんと手洗ってんのに──とかなんとか言ってるけど。  そうじゃない。そういうことじゃないんだってば。  けど、じゃあ「どういうこと?」って訊かれたら、私だってうまく説明できない。  ああ、イヤだ。このスッキリしない気持ち、どう処理すればいいんだろう。  ぐるぐる頭を悩ませていると、間中くんが「あのさ」と顔を覗き込んできた。 「さっきの報告の続き、してもいい?」  そうだ、まだ間中くんの話の途中だった。 「いいよ。どうぞ」 「ええと……池沢先輩に挨拶したらイイカンジだった、ってことは話したよな?」 「うん、聞いた」 「けどさ、嫌な顔もされたっていうか……」 「え、結麻ちゃんに?」 「違う! 池沢先輩と一緒にいた人!」  間中くんいわく、結麻ちゃんと一緒にいた女子生徒が「うるさい」って露骨に嫌な顔をしたらしい。  誰だろう。結麻ちゃんのクラスメイトかな。それか同じ吹奏楽部の人か……案外うちのお姉ちゃんだったりして。  まあ、誰だったとしても、そこは早めに手を打ったほうが良さそうだ。その人が「なにあの1年、ウザい」って言うことで、間中くんの印象が悪くなるかもしれないし。 「じゃあ、『大きな声で挨拶』は最初だけにしよっか」 「最初? どういうこと?」 「間中くんさ、たぶん『おはようございます!』のあとも大声で話しかけたんでしょ」 「……そうかも」 「それをやめる。大声は最初の『おはようございます』とか『こんにちは』だけにする」  そのあと、ふつうのボリュームで話していたらそんなに嫌な顔はされないんじゃないかな。普段の間中くんの声は、そこまで大きいわけじゃないし。 「わかった。……けど、できっかな」 「どういうこと?」 「俺、池沢先輩の前だと頭がフワァァッとかパァァァッてなるっていうか……」 「『舞いあがる』ってこと?」 「そう、それ! だからあまり自信ない……」  たしかにね。初めて結麻ちゃんに話しかけられたときも、まったくもってダメダメだったし。  でもさ。 「大丈夫だよ。間中くんは、一度『やる』って決めたらできる人だもん」  クール系男子作戦のときもそうだった。最初はめちゃくちゃ渋っていたのに、一度「やる」と決めてからは彼なりに頑張ってくれた。 (だからこそ、無理をさせるのはダメだ)  自分で決めたことは、無理な内容でも続けてしまうから。アドバイスするのは、彼にできそうなことだけにしないと。 「じゃあ、こういうのはどう? 結麻ちゃんを見かけたら、いったん立ち止まって深呼吸をするの」  そうすれば、ちょっとは心構えができるはず。サッカーでも「パスがくるぞ」ってわかっているときと、「いきなりパスがきた」っていうのは違うでしょ。 「結麻ちゃんを見かけてすぐに声をかけるのは『いきなりパス』に似ていると思うんだ。でも、いったん深呼吸すると『パスがくるぞ』の状態になれるから、声をかけても焦ったり舞いあがったりしないんじゃないかな」  私の説明に、間中くんは「んー」と首を傾げている。たぶん「わかるような、わかんないような」といったところ?  まあ、頭であれこれ考えるより、実際体験してみたほうが早いんだろうけどね。  というわけで、こういうときは、さっさと背中を押すに限る。 「とりあえずやってみて。それでダメならまた考えよう」 「……そうだな!」  間中くんは、ようやく晴れやかな顔つきになった。 「わかった。俺がんばる!」  うん、頑張れ。  間中くんなら、きっとうまくいくから。 「で、次の作戦だけど……」  いつものように作戦ノートを開こうとすると、「佐島」とノートの端を引っ張られた。  なんだろう、と顔をあげると、まぶしいほどの笑顔が私を待ち受けていた。 「いつもありがとな! ほんと頼りにしてる!」  ──ズルい。不意打ちで、その笑顔はズルい。  まるで魂を奪われたみたいに、私は瞬きひとつできなくなる。  ファンタジー小説とかでたまに石化する人が出てくるけど、それってこういう感じなのかな。一瞬ですべてがフリーズして、時間も何もかも止まってしまって── 「俺、がんばる! がんばって、絶対池沢先輩と両思いになってみせっから!」  呪縛は、呆気なくとけた。  いや、知ってるよ。そんなの、ちゃんとわかってた。  なのに、胸のあたりがスースーしている。さっき奪われた魂の、一部がそのまま消えてしまったみたい。 「それでそれで? 次の作戦って?」 「あ、うん……ええと……」  私は、唇の内側を噛みしめた。  そうでもしないと、よけいなことを口走ってしまいそうだった。
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