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 何もかもを忘れたような、飴細工みたいな甘い夕暮れ時だった。 「やっほー羽村くん」 「おう、お疲れ」  噴水広場にて、仕事終わりのアユミと合流し、林道を歩き始める。膝より上のスカートだが、ベージュの長めのブルゾンが横に広いシルエットを作っていてオサレ。あの黒い平たいキャップ帽みたいなのはキャスケットって呼ぶらしいですよ。なんていうかこなれているが、当然戦闘の任務ではない。 「どうだった、調査」 「ひどいものですよ……」  はぁ、と赤い髪の少女はあきれた溜息を吐く。若者たちの遊び場で流通しているという、怪しげなクスリ。聞けばどうにも呪いが関わっているらしいが、詳しくは聞いていない。 「呪いヤク中さんたちが、5対1で襲いかかって来てねぇ」 「おお、そりゃやべぇな。大丈夫だったのか?」 「そうなの。骨折させないように全員気絶させるのが大変で大変で。私が頚椎チョップなんてやったら死んじゃうし」 「…………」  そっちかよ。  あちょー、と少女がふざけて手刀を振るうが、その風圧で林道に設置されている重々しいゴミ箱が紙パックみたく傾いた。俺の相方、高瀬アユミは原理不明の怪力を保有しているのである。 「で、犯人はみつかったのか?」 「それがねぇ。みんな、ヘンに口が固くってねぇ。謎の仲間意識? まったく、どうやって口を割らせたものやら」  くたくただよ、と頭を抱えるアユミだったが、そこでふと深く澄んだ瞳を覗かせる。  すなわち観察眼である。 「――まぁ、そこまでみんなで守ろうとするってことは、察するに女の子かな。みんなに守られてるフンイキがするんだよね。薬物依存ってわりには若い学生ばっかりだし、男の子も女の子も、みんなどこか頭空っぽにして犯人の(とりこ)になってる感じ」  ぞわりとした。  ほわほわしてるように見えて、アユミが時折見せる勘の鋭さは目を見張るものがある。 「そういう呪いなのかもね……ねぇ、羽村くんはどう思う? わたしの推理。」  頬に手を当て、照れるように笑うアユミは少女漫画のヒロインのようだが、推理力はミステリのそれだ。  たまに恐ろしくなる。 「…………当たってるんじゃねぇの。アユミがそう感じたんならそうなんだろ」 「あー! 真面目に考えてないね羽村くん、わたし、真剣なんだけど?」 「いや俺も真剣だって。アユミがそこまで言い切るんだから、それなりにその印象が強いんだろ」 「まあねぇ。大きく間違えてる感覚もないんだよねぇ」  それならいっそう真実だろう。この手の推測を行う場合、真相に対してずれていれば必ずどこかに矛盾が生じる。  自分より大きな大人に脅されているのであれば、そこには恐怖があるだろう。  全員を巻き込むような少年リーダーが犯人だったら、そこには何かしらの畏敬があるだろう。  だが、『みんなで守ろうとしている』という印象は少し事情が違ってくる。  必然、結論は限られてくるのだろう。  そして、通常の薬物であれば学生世代の少女など犯人にはなり得ないが、そこに呪いが絡んでくるなら事情は違ってくる。 「――――交友関係……は直接的すぎるから、友達の友達、くらいなものなんじゃないか、当たるとすれば。それかSNSとかな。――ああ、その線がいい。俺ならそこから始めるだろうな」  「なるほど。薬物だっていうからアナログな若い子の遊び場狙いかと思ってたけど、いまどきはネットがあったね。直接の知り合いも避けられて一石二鳥だよ。――うん、ありがとう羽村くん、その線で探してみるよ」 「おう」  アユミの推理に比べれば、まったく冴えない助言だが。しかし間違ってるってこともないだろう。 「たいやき食うか? 仕事明けだろ、おごるよ」 「おっ、紳士だねぇ。立派になったねぇ。ありがたく頂戴するよ」  ばーさんのような言われようである。広場の屋台でたい焼きを二つ買った。財布を開いた瞬間、残金の少なさに笑いそうになったが、構いやしない。どうせ持ち歩いている小銭なんてあってもなくても同じものだ。 「あいよ」 「ん、ありがとう。甘いもの食べたかったんだ」 「そいつは良かった」  自分の分を齧るが、別に俺自身はたい焼きに興味があったわけでもない。それより、美味そうにパクパクしている少女の姿を観察する。頬にあずきをつけて、実に満足そうだ。そんな姿を見ていると不思議と穏やかな気分になってくる。それで、ふと思い出したのだ。  ……好きな食べ物さえ私にくれた。  ………一方的に庇護して、守って、犠牲になるなんて。そんなのただただ『損』だと思いません? 「なあアユミ」 「ん? なになに?」 「誰かと食べ物を分け合うのって、いいことだよな?」 「あははっ、なにそれ――」  アユミは笑う。  一点の曇りもなく、笑ったのだ。 「――いいことに決まってるよ。どんなに美味しいものだって、一人で食べるとちょっと味気ないもん」  ――うまいものを妹と分け合って食べるのがなによりの楽しみだ、とミズキは言った。  いまのアユミと同じように、まったく曇りなく笑っていたのだ。  思えば、かつては俺自身も理解していなかったろう。  分けることを損だとは思わない。  そんな人間らしい矛盾した感覚を、いつの間にかアユミに教えられていたのだと思う。 「………やっぱ、そうだよな」 「急に、どうかしたの?」 「ミズキがさ、妹と分け合うのが好きだ、って言ってたんだよ」 「そう。いいお兄さんだね」 「でも妹の詩織は、兄は自分に分け与えるばかりで損だ、って言っていたんだ。どう思う?」  俺の疑問を、アユミは明るく笑うのだった。 「それはきっと、お互い様なんだと思うよ。妹さんは、自分もお兄さんに譲りたがってるんだと思う」 「…………なんだって?」  思わぬ言葉を聞いた。それは、まったく別の見方だったから。 「そして、お兄さんに譲ることを損だとは思わないんじゃないかな。お兄さんと同じように、分け合ったら嬉しいんだと思う。結局似たもの同士なんだよ、きっと」  頭を抱えてしまう。  何が、羽村さんとは意見が合うと思ってた、だ。 「……ああ、そうだな。あの妹は絶対そういう人間だ」  あいつも結局、ミズキと同じなんじゃないか。  どうしようもなく善人で、兄思いで――ただ、ほんの少しミズキより自虐的なところがあるだけなんだ。  結局、あの兄妹は根っこの部分では似たもの同士なんだ。 「はぁ、くそ。なんたってあの兄妹がこんなことになっちまうんだ」  本気で嫌になってきた。  どちらにも、カケラも悪気がない。  なのに結末は最悪が約束されている。 「…………くそ」  救えないことは知っている。  嫌というほど知っている、それでも。 「なぁアユミ」 「うん」 「ミズキは、もうダメなんだ。間もなく呪いが完全暴走して戻れなくなる。いや、もう戻れないところまで来てる」 「……そっか」 「どうすればいい」  愚かな問いを投げていた。答えの分かりきっている無責任な問いを。 「――避けられないよ。呪いだけは、誰にもどうすることも出来ない。わたしたちはそれをもう、知ってる」  ああ、そうだ。知っている。本当に血を吐くような思いで理解させられてきたんだ。 「だから、少ない選択肢の中から、できることを探すしかないんだと思うよ、だけど」  アユミは切実な顔をしていた。そんな顔をさせてしまったことを申し訳なく思う。 「常に完璧な選択なんてできないと思うんだ。わたしたちは人間だから。もし間違って誰かを傷つける結果になったとしても、後悔しないで」  赤い葉が、雪のように降り注ぐ。夕焼けに染まる公園の片隅で、木陰の少女は一度迷うように目を伏せて、俺の目を見て言ったのだ。 「ねぇ羽村くん。わたしはね、妹さんの意思を尊重してあげた方がいいと思う。きっと一番傷つくのは妹さんだから」  祈るように。  願うように。 「そう……だな」  それが正解なのは分かっている。  だが、俺は心のどこかでその真っ直ぐな願いに、分不相応にも違和感を抱いていた。
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