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 記憶の映写機はからから回る。  それは私――櫻坂詩織の視点。  遠い遠い夕暮れの日に、兄が狩人になると決めた時の出来事。  ――――深く暗い夕闇の始まり。  事件のあと。  私が病院で目が覚めてから、警察より怖い人達に連れて行かれてしまった兄。  その日以降、私は一人ぼっちになってしまった。  病院にお見舞いに来る人はいない。  事件の影響か、学校の友だちだって、先生だってまったく顔を見せてはくれなかった。  毎日毎日、看護婦さんとだけ話すのだけど、その看護婦さんたちまでどこかよそよそしい。  ひそひそと、誰かが事件のことを話しているのを聞いた。  ――最近は子供でも何をするか分からない。  ――気を付けないといけない、怖い。  ――同世代が何かされないように見張らないと。  よくないことを言われていることだけは理解していた。  だから、早く兄に帰ってきてほしかった。  けれど、結局退院するまで兄は現れなかった。  ひとりぼっち追い出されるように病院を出たあと、トボトボと一人で夕暮れの街を歩く。  どこへ行けばいいのだろう。  きっと家に帰っても兄はいない。  どこにも誰もいない。  汚れた服を着て、穴の空いた靴を履いている私に親切にしてくれる人が誰もいないことは知っている。  そういえばこの坂道は、兄とよく手をつないで歩いたっけ。  そんなことを考えていたら、ふと、誰かが立っていることに気づいた。 「――お兄ちゃん!?」  どこか思いつめた表情の兄だった。  怖い人達から開放されたんだろう――けれど、兄の背後に、大人が一人立っていた。  鉄のような怖い顔をした大人だった。 「……お兄ちゃん? その人は?」  兄は答えない。  代わりに、強く抱きしめられる。何か、祈るように、自分に言い聞かせるような言葉だった。 「なぁ詩織。詩織は俺が守るよ」  細い兄。  力も弱くて病弱だった。  そんな兄が、どうしてか苦しそうな顔をして、だけどどこか希望に満ちていて。  「ぜったい守る。もう二度と、誰にも傷つけさせない」  強く強く、兄に抱きしめられていた。まるでお守りを握りしめるようだった。 「――――行くぞ」  そのうちに、怖い大人に言われて、兄が私を開放する。 「……はい」 「お兄ちゃん?」  私に背を向け、遠ざかる。  私の立つ夕暮れの場所から、夜の闇の方へと歩いていく。    ここから、狩人としての日々が始まる。  この夕と夜の狭間から、兄は闇に向けて一歩を踏み出した。  そのまだ頼りない背中を、私は夕暮れの場所から見送っている。  どうしてかは分からないけれど、よくない予感がした。  兄の、何かを決意するような表情はどこか危うくて、  どんな結末になるかはなんとなく想像がついた。  だから必死で呼び止めようと叫ぶ。  だけど、兄は振り返らずに、どんどん闇の濃い方へ、暗い方へと歩いて行ってしまう。  声は届かない。  声は届かない。 「………………」  一人、坂道の真ん中に取り残される。  ずっとずっと一人で泣きじゃくっていた。  いつまでもいつまでも声を上げて泣いていた。  泣きつかれてしまって、立ち尽くして、考えて考えて、  ――――そのうちに、  心の底で静かに燃え始めている感情があることに気付いた。 「…………させない。ひとりになんて、させない」  そうだ、  ずっと守られてばかりいた。  あんな事件が起きるまで何もできなかった。  今度は私がお兄ちゃんを守る。  ぜったいに、守るから。  歯を食いしばる。  涙で濡れたブサイクな顔を上げる。  そして走り出した。  いまはまだ無理だけど、すぐその背中に追いついて、  いつか絶対に隣を歩いてみせるんだから――!  ……守るという意思が、強さに変わることもある。  この日、  気弱な櫻坂詩織は、  はじめて不似合いな、一握りの強さを手にしたのだ。  ――――それが、兄と同じ強さだとは知りもしないで。  お互いに、別々の場所から、ただ夕闇の底を強く見つめていたんだ。  ―――――守りたい人がいますか?          / 夕闇 - sister -  
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