03

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 夜の校舎の窓ガラスが砕け散り、鉄の衝突する火花が一瞬だけガンファイアのように闇を照らす。  がん、がんがん。連続して鉄や壁の砕ける音が響き、その最中を制服におかっぱの少女――櫻坂詩織が突風のように駆け抜ける。昼間の物静かな振る舞いから一転――――その疾走は狼か豹のようだった。 「こっちだ! 詩織!」 「!」  曲がり角に逃げ込んでいたミズキが声を発する。詩織が疾走の軌道を器用に捻じ曲げて敵の追撃を回避しながら、ミズキのいた場所へスライディングで飛び込む。追い縋る怪物の追撃を完璧なタイミングで入れ違ったミズキが受け止めた瞬間。 「――――くたばれ。」  曲がり角の反対側に息を潜めていた俺が、怪物の背中目掛けて死を振り落とす。短刀・落葉の無骨な剣閃。肩を深く切り付けられ、怪物が憎悪を叫びながら逃げる。夜の学校の廊下の真ん中に立ち、俺たちを忌々しく睨みつけてきた。 「殺す――――コロスっ!」  さすが、悪霊は動きが早い。  目の前には邪悪な悪霊。  俺と櫻坂兄妹が対峙して立つ――と、ミズキが 不思議そうに言ってきた。 「……羽村っち。いま仕留めなかったのは、何かの作戦か?」 「あいにくと、ただの実力不足だよ」  過度な期待はしないでほしい。完璧に連携できる歴戦の兄妹と違い、こちらは一介の雑魚だ。  改めて、怪異と正面切って対峙する。  顔が見えないほど伸び切った髪。ほつれた白のワンピースに、骨と皮だけの腕脚。女性型ではあるが、人間味は薄く、骸骨が動いているようだった。 「えぇと……怪談『三つ首さん』で間違いねぇな。でもどこが三つ首なんだ? 分裂すんのかあの顔。えー、弱点弱点……なんかよく効く呪文とかねぇのかよ」 「は、羽村さん? 敵を前にしてファイルを見るってありなんですか……?」  無論ナシである。隙を突くように背後から吹き込んできた突風に、俺は雪音さんからもらったオレンジファイルを投げつけながら身を翻し、重々しい突き蹴りで応戦する。わざとらしい演技が功を奏したらしく、こちらは見事に胴にクリーンヒットした。  苦鳴を上げながら後退していく新手を見下ろし、俺は極寒の嘲笑を向けた。 「騙し討ちに決まってんだろ間抜け。かかるか、普通?」 「オマエ――っ!」  戦略的挑発。だが、逆上させすぎないようこの程度にしておく。  改めて、俺と櫻坂兄妹を挟む怪物たちを見回してみる。合計三人、揃いの白ワンピースと骨だけの体躯。 「……なるほどねぇ。三つ子だったか」  そっくりな、前髪に埋もれた眼光が睨みつけてくる。同一の容姿。まるで並べた、呪いのてるてる坊主。そのどれもが輪郭にノイズを走らせ、風景が透け、亡霊であることを告げる。  頭の中にある情報を参照する。  『鏡写しの三つ首さん』。鏡写しの世界へ引きずりこまれるやら、自身の心の傷を見せつけられるやら、もっとファンタジーで怪談的な設定だった気がするが、現実はえらく物理的で直接的な怪異であるらしかった。 「コロス……おまえ、殺すっ!」  真っ赤に輝く眼光三体分。その、それぞれの両腕が物理的な武器に変化していた。一人目は肘から先が伸びて刃物(つるぎ)になっている。鋼を鳴らし、俺の首をハサミの要領で叩き落としに来る。 「!」  その、交差する一点に短刀を叩き込んだあと、掌底を打ち込んで刃同士をめり込ませた。すかさずくぐり抜けて下から拳を振り上げ、怪異の腹部へとクジラが水面へ飛翔するようなアッパーカットを繰り出す、外れ。後退して距離を取られるが、追い打ちの突き蹴りで後ろ向きに転倒させる。消化器を掴み取りながら追撃すると、起き上がった怪異が横薙ぎ一閃。それを飛び越え天井に着地し、その頃には俺の手には消化器は無い。 「ぅぎ――ッ!?」  怪異の鼻っ柱に激突する赤い鉄塊(しょうかき)。その隙だらけの脳天目掛けて俺は天井を蹴って逆跳躍し、刃の突きを振り落とす。  しかし、そこへ二体目の怪異が飛び込んできて、死ぬ直前の一体目の首根っこを引っ掴んで後退。入れ違いで現れた三人目と刃をぶつけ合うことになるが、俺はそいつを力ずくで横にやって強引に抜ける。 「ひひひっ、背中を見せたな!」 「――――」  隙だらけの俺の背中を急襲する、大鎌の腕。しかし、俺がそれを振り返ることはない。 「そこまでだぜ――ッと!」 「!」  櫻坂ミズキの豪腕が炸裂する。回り込んだミズキは教室のドアを曲げながら引き剥がし、俺の背中を守るように廊下に突き立てていた。大鎌の一閃がドアを削る。すかさずミズキはドアを蹴り飛ばして突進させ、その後ろから影のように迫って一撃を繰り出す。 「もらったァ――!」  鋭い刺突による甲高い風切音。ミズキの武装は、無骨な黒いナイフだった。小振りな武装だが、そのシンプルさはミズキという人間性に合致しているように思えた。追い打ちの連撃は見た目通り軽快だ。 「この……!」  大鎌とナイフが弾け、火花を散らす。ガン、ガンと廊下に白光が奔る。武器の質量では明らかに怪異の両腕の大鎌が勝るが、ミズキはそれをものともせず、守りに入るわけでもなく猛攻を繰り出す。重い連撃。気圧された怪異は後退するしかない。その、こじ開けられた廊下の隙間を櫻坂詩織が風のように駆けていた。  詩織が俺の背後に追いついてくる。目の前には後退しようとする怪異が二体。詩織を待ったことで数の不利が消え、俺に勝ち目が生まれた。並走する少女の横顔に告げる。 「――お手並み拝見だ」 「そう言われたら、がんばるしかないですね」  金属音を立てて詩織が武装を抜いた。迷いなく真っ直ぐに斬りかかっていく。その手にあったものは、真っ直ぐな――――“西洋剣”。風の速さで俺を追い抜いていく。 「はぁああッ!」  迎え討つ怪異は、ハンマーの腕。重々しい質量が天井に向かって振り上げられて、詩織の頭部を叩き潰すべく振り落とされる。詩織がその重圧に目を見開いた。 「潰れろッ!」  ごっ、と大気を圧殺する音が響いた。しかし詩織は意を決したように視線を引き絞り――――感情的に対抗するように、西洋剣を振りかぶる。俺は詩織の無謀にぞっとした。 「よせ! 受けるなっ!」  怪異も、にたりと口の端を吊り上げる。  ――冷静に考えろ。どう見ても小柄で華奢な少女の細腕、優美にすらりと伸びた西洋剣。そんなもので、あの重々しい鉄塊を真正面から受け止めきれるものか。選択肢は回避一択。だっていうのに詩織は微塵も揺るがず、ハンマーの振り下ろしにあろうことか真正面から向かっていく――!  ぎん、とハンマーと西洋剣が衝突する。火花が散って、大気が弾ける。 「なめる――」  剣が折れる。  俺も怪異もそう確信した瞬間、詩織が裂帛の気合いを叫んでいた。 「――なッ!!」 「!?」  雷轟が校舎を揺るがした。  ハンマーは、廊下を穿ってクレーターを形成していた。何が起きた? すかさず隙を突く西洋剣の一撃をかろうじて受け止め、怪異は歯噛みしながら後退させられる。 「あ……」  詩織の制服の背中。一瞬、アユミ――相方のような怪力持ちを疑ったが、いまのは技巧(・・)だ。  ハンマーの一撃を真正面で受けて立った詩織は、防御するのではなく、自身も敢えて渾身の打ち込みで叩き返すことによって一瞬の拮抗状態を生み、それを利用して超重量を受け流した(・・・・・)のだ。  まるで水を導くような受け流しの妙技。  卓越した剣技。  そして、直線的な西洋剣。 「――――折れませんよ。そのために選択した武器です」  堂に入った構えを見て、ようやく、日本刀と西洋剣の違いを思い出す。  その太さ、短さ、味のない鋼の愚直さ。  櫻坂詩織は、見た目に似合わず豪胆な剣士のようだ。 「は……」  同じ狩人として、嫉妬するほどの華麗さ。そうか、そのひ弱そうな見た目も虚飾だったか。だったら何の憂いも心配もなく背中を預けられる。むしろ――。 「足引っ張ったら悪い。いまので実力差が見えた」 「ご謙遜を。羽村さんもそろそろ本気出してくださいね」  並走しながら笑みを交わすが、こちらはいつでも全力だった。 「「――――」」  怪異たちは、声を失う。その顔から感情も消えて、物言わぬ殺人人形へと変貌していた。  鏡合わせの殺意と、俺たち狩人の刃が激突する。  刃の応酬、剣の舞。  怪異が踊るように両腕の二刀を回転させ、それを奇跡のようにかいくぐった詩織の刺突。怪異が首を逸らして鼻先を掠めながらそれを回避し、回転のままに蹴りを繰り出す。詩織はそれを剣の鍔元で受け止め、押し返し、美しい軌跡を描いた一斬、舞うような回転ののち二斬。怪異を両断するかに思えたそれは空を切り、夜空を映す窓ガラスを背景に敵が逃げていく。  追撃しようとした詩織の横から、鉄塊の一撃が振るわれて派手に壁を破壊。窓ガラスごと引き千切り、例えでもなんでもなく壁に穴が空く。  追い縋る横殴りの超破壊を、詩織はたんたんとステップを踏みながら回避する。挟み撃ちの立ち位置になって目を光らせた二体が、何の合図もなく同時に迫る。  両側から叩き潰される詩織――だが、その背中側に割り込んでいた俺がハンマーの手元を受け止め、詩織が二刀を押さえていた。背中合わせの死地。圧殺されるまえにハンマーを押し返し、間髪おかずに斬りかかる。小太刀の長さの短刀・落葉による逆手一斬、返す一斬、更に突き。ことごとくをハンマーの重量で受け流されるが、これで挟み撃ちは回避した。  振り上げられる超重量に俺は後退――重力任せの一撃が廊下を粉砕し、校舎全体を激震させる。もう一撃が降ってくるタイミングで再度後方跳躍すると、意表を突いて飛び出してきた詩織とすれ違った。ハンマーが振り下ろされた一瞬後のタイミングで銀色が薄闇を翔け、大気さえ真っ赤に焼き切るような斬首の一撃を見舞う。  それを怪異の顔の直前で受け止めたのは、頭上から回り込んでいたもう一体の怪異の双剣。重力を無視するように身を翻し、剣と剣がぶつかって火花を散らす。必勝の一撃を防がれて詩織が顔をしかめ、その衝突の隙をまるごと叩き潰すような鉄塊が降ってくる。突進直後で後退が遅れる詩織の首根っこを俺の左手が引っ掴み、死ぬ気で引っ張って後退させる。足場を壊す鉄塊。咄嗟に足を浮かせなければ骨折は免れなかっただろう。かわりに、天井から降ってくる双剣の刺突を回避し損ねるわけだが。  詩織の叫びを聞きながら一刀は受け止めるが、もう一刀は防御が間に合わず肩を裂かれる。血が飛び散る。脳内で先生(ししょう)が怒鳴りつけてくるのに任せて顔を翻すと、肩を裂いた剣が薙ぎ払われて一瞬前まで首があった箇所を駆け抜けていった。追撃そこまで。身を翻したついでに回し蹴り上げで返し、顔を狙ったが回避され、直後の敵の追撃は詩織が受け止め、その衝突ごと叩き潰すハンマーの一撃。  舞い散る木片の吹雪の中で、顔に迫った破片を詩織が剣で弾く。ハンマー野郎は雄叫びを上げながら水を掻くように窓ガラスをバリバリに壊して破片を飛ばしてくる。俺は舌打ち。夜の廊下を無数の凶器が駆ける。詩織がすぐ横の教室のドアを輪切りにして、俺がそのドアを蹴り飛ばす勢いのままに飛び込み、詩織も続く。ガラス片の群れは空を切って跳弾の音を雨のように鳴らし、俺たちは入り口で足を止めることなく距離を取る。直後、教室入口のドア枠を歪ませながら床にめり込むハンマーの一撃。もう一撃で壁まで破壊し、教室の入口の横幅を二倍に広げた。すかさず、突風のようにそっくりの二人の悪霊が飛び込んでくる――と予想し、詩織と並んで武装を前に構えるが。  一秒、二秒、三秒。そこまで数えて悪寒がした。敵が来ない。何故来ない? ――考えるまでもなく。  詩織が青い顔をして教室を飛び出していく。警戒しろ、と叫ぶ間もない。詩織に続いて教室を飛び出すと、廊下の真ん中で、ミズキが両手に鎌の怪異と一騎打ちをしている。刃が火花を散らすギリギリの戦い――そこへ、俺たちに見切りをつけた剣とハンマーの悪霊が駆け込む。 「!」  横合いから振り下ろされる鉄塊にミズキが目を見開く。詩織が絶叫する。間一髪で回避したところへ双剣が突き込まれ、更に首を穿つ鎌の先端。ミズキの肩や腹を掠め、血を散らす凶器の群れ。  三体一。  どれほどミズキの腕が立とうが関係ない。俺たちが駆けつけるまで残り四秒、ミズキが数回殺されるのに十分な時間だった。 「ちぃ――!」  さすがのミズキも平静ではいられない。歯を食いしばり、ナイフで剣を弾き返すが、返礼は剣と鎌と鎌、対してミズキはナイフ一本きり。もはや投げやりなまでの防御で二本を受け流すが、鎌の一本は腕に突き立つ。顔を歪め、自分の血を頬に浴びる。逃げようと藻掻いても鎌ははずれない。嘲笑を浮かべる悪霊どもに、頭上に掲げられた追い打ちのハンマーの影。  ――だめだ、終わった。  俺がダメ元で短刀を投げつけるモーションに入ったその瞬間―――――― 「…………はハっ、」  ミズキの口の端が、壊れたように吊り上がるのを見た。  夜の廊下を埋める青い重圧。ミズキを中心に暴風を振り撒き、大気を蹂躙するドス黒い幻覚、そしてオマエは死ぬべきだ殺してやる生きてちゃいけない怪物たちだああははははははははははははははははははははははははははははははは 「ぐ……ぁ!」  脳を食い荒らす幻聴の渦に、意識が一瞬で弾け飛びそうになった。悪霊どもも顔を歪める。それよりももっと顔を歪めて、ミズキが狂った笑みを浮かべていた。その右腕が、真っ黒な岩のように膨張する。 「そうか――呪い(・・)か……!」  呪われし狩人が、その怪物の腕を振り上げる。  狩るべき異常現象の力を味方につけた者。邪悪そのものの巨腕が振り回され、一振りで廊下を破壊して窓ガラスを一斉に弾けさせる。  ミズキの呪いは、その右腕を巨大な怪物の腕に変化させるものだった。メラメラと呪いが燃えている。真っ黒な瓦礫のような腕は悪霊どもを薙ぎ払い、続く呪いの波濤が押し流す。 「このぉ――!」  悪霊の一体が、剣の両腕で呪いを焼き切りながら駆け込む。だが振り回されるミズキの腕に紙くずのように吹き飛ばされ、背中で窓ガラスを割って落ちていった。決死の隙を狙った頭上からの鎌が、ミズキの眉間に突き立てられるその瞬間。 「な……!」  どぅん、とまた青い重圧が波紋となって駆け抜けた。腹の底に響く低音、ミズキの呪いによるものだろう。それがどういった現象のものかは不明だが――空中にいた悪霊は動きを鈍化させられ、その瞬間に黒い腕がおもちゃのように体躯を掴み取っていた。 「オマエ、には、」  ミズキの眼光が赤く輝いている。狂った笑みのままで、譫言を漏らす。  怪物一歩手前の狂気。  苦鳴を上げる悪霊を、巨腕は無残にも。 「殺させ、ない――――」 「――――ぇぅぐ」  破裂する。幻想の血しぶきが廊下を、ミズキの顔を真っ赤に染める。  潰れたカエルの声を上げさせながら、巨腕は悪霊を握り潰して殺していた。 「………………」  声を失う。あまりに悪辣な暴力。あまりに、異常現象(バケモノ)に寄り過ぎた戦い方。  ミズキは動かない。  その背中に、まだ正気があるのか、俺にはまるで分からなかった。 「……おい、ミズキ…………」 「兄さん」  ミズキは動かない。  ぴくりとも動かない。  凍ってしまったように動かない。  ずるりと音を立てて人間のものに戻った右腕は、血に染まっていた。  不吉な後ろ姿。  だが、眉を吊り上げた詩織が、まったく物怖じすることなく強い声を発した。 「呪いは、使わないで――――って言ったでしょう」  その声は、ひどく張り詰めていた。冷静じゃなかった。  対して、答えるミズキの声は穏やかだった。 「……仕方ないだろ? 死ぬところだったんだ」 「そんなことない。兄さんなら、どうにだってできたはず」  俺は思わず声を挟んでいた。 「おい……」  それは、無茶だろう。あの状況ではどうしようもなかった。よく生きていたものだと思う。  ……なのに、隣に立つ詩織の横顔は厳しくて。  ひどく感情的で。  本当はいまにも泣き出しそうに思えて、俺はそれ以上を言えなくなった。 「ま、いいじゃないか。お疲れ二人とも。怪我してないか?」  振り返ったミズキが、昼間と変わらない暖かな表情を取り戻していて、俺はようやく安堵の息を吐く。  気が付けばもう一体の悪霊も逃げ去っている。 「……怪我してるのはそっちだろ。無事なのかよ。三体一はさすがにきつかったか?」 「問題ない、俺は頑丈なんでね。この通りピンピンしてるさ」  強がりだ。強がりだろう、武器による傷はバカにできない。だが――ミズキを観察すると、鎌が刺さっていたはずの右腕の傷が塞がっていることに気付いた。腕を変質させる呪いの影響だろう、しかしそれ以外の傷はそのままだ。 「とっとと帰って手当てするぞ」 「馬鹿言うなよ、仕事上がりなんだぞ? これからが楽しい時間じゃないか」 「あぁ?」 「ラーメン食い行こうぜ! そら、走れ! いくぞ詩織ーっ!」 「おい待て! ふざけんな、手当てが先――!」  なんて、止める間もなく駆けていく後ろ姿に目眩がした。だが、逃げていくようだとも思った。らしくもない、何かを誤魔化すように。  ――狂った姿を忘れるように。 「…………呪い、か。」  呪い持ちの狩人という存在を、俺はどこか甘く考えていたのかも知れない。  武器になる。  だがそれだけじゃなかった。  あの、おぞましい呪いの右腕は、明らかにミズキを別物に変えようとしていた。脳を掻き回す呪いの強さなんて、相当強力な悪霊と対峙した時を思い出すほどのものだった。  何より、憎悪に捕らわれたミズキの顔は、普段の穏やかな太陽のような笑みとは別人のようで―― 「……怖い、と思ったでしょう?」  詩織が、ぽつりと声を発した。その表情は暗い。 「呪いを行使するって、こういうことなんです。あんなの兄さんじゃない。笑いながら霊を殺すなんてかけ離れ過ぎてる。あんなの――」  ――――退治すべき異常現象(バケモノ)と、何も変わらないですよね……。  消え入りそうな声で、そう言った。その瞳は濡れていて、苦しそうだった。 「……違う。それは、違うだろ」 「そうでしょうか……」  弱々しい声。さっきまでの力強さとは大違いだ。話題を変えるついでに指摘する。 「ミズキにも驚いたが、詩織の方も十分驚かされたよ」 「え――?」  その、胸に抱いた、鞘に収められた武装を示す。 「――“西洋剣”。俺、本物を見たのは初めてかも知れない」 「そうなんですか? 珍しくもないと思いますけど」 「うちの先生は日本刀だからな。剣が変わると、戦い方もずいぶん変わるもんだな」  先生の戦闘スタイルは、まさしく月光のように輝く宝刀『小笹』に見合った切れ味の鋭い、あまりに鋭すぎる剣閃だ。  疾く、鋭く、何より斬れる。  それに引き換え詩織の西洋剣は―――― 「なんというかこう…………豪快なんだよ。愚直ってわけじゃないが、けっこう重々しくて、まっすぐな『叩き斬る剣』だった」 「ああ……それは当然です。だって私、人間ですから」 「人間?」  その細く白い手が、鞘を撫でる。  憂いの笑みは儚くて、あの力強い剣とはまるで結びつかない。  だが、少女は弱々しいからこその摂理を口にする。 「ただの人間が、剣一本で異常現象たちと戦うんです。すぐに折れてしまうような軽い剣じゃ太刀打ちできないでしょう? だから、自然とこういう形になりました」 「……なるほどね」  狩人の戦いは過酷だ。相手は人間を越えている。人間以上のバケモノと戦うのだから、こちらも『軽い』ままではいられないってことなのだろう。 「行きましょう、羽村さん。兄が呼んでいます。近所の人に見つかると厄介です」 「ああ――そうだな」  呪いの腕の兄と、西洋剣の妹。  華やかな兄妹だが、どちらも力強く、歴戦の狩人なのだろう。  二人肩を並べてやって来たはずだ。  背中を預け合い、きっと信頼しあっていた。  だっていうのに。 「そういや聞き忘れてたが――あんたら、なんで縁条市に来たんだ? 引退か?」  かつ、と靴音を長く響かせて詩織の横顔が止まる。  可憐な佇まい。  夜の廊下の真ん中で――――――少女は笑う。 「私は」  花のように笑う。  雑草のように笑う。  心に決意を秘めた、いっそ軽やかなまでの表情を浮かべて櫻坂詩織はその願いを口にした。  澄んだ瞳で、花のように口元を綻ばせて。 「兄を殺したい(・・・・)んです」  あるいは、呪いを。
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