04

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 翌日昼間。  ミズキの様子の確認がてら、櫻坂新居そばの公園で俺はベンチに腰掛けていた。  空は晴天。  小さな児童公園の、絵に描いたような平日の午後。  遠くでバイクの音が響いている。  隣には、ところどころ包帯を巻いたミズキ。金髪なんていまどき珍しくもないが、飄々としたミズキはまるで生まれつきこの髪色だったかのように不思議と馴染んでいる。  無表情でコンビニで買ったパックのりんごジュースを吸っている。どこもおかしくはない。脳裏に過ぎった邪悪な姿と、不吉な詩織の言葉を振り払うように、俺は雑談を持ちかけた。 「なぁ。なんで兄妹で狩人なんてやってるんだ?」 「うん? おかしいか?」 「ああ、おかしい。二人して命を張ってバケモノ退治なんて――」  どこにも、利点がない。  いずれどちらかが死ぬ可能性が高い。見るからに詩織を大事にしているミズキが、そんな選択をすることに違和感があった。  ミズキは気を悪くした素振りもなく、無骨な笑みを浮かべる。 「そうだな。だが、詩織はともかく俺が狩人をやっている理由は単純だ」 「――――」  二人家族だ、と言っていた。ならば理由は明白だった。 「生活のためだよ。――命を賭ける裏稼業だけあって、狩人は給料だけは高いからな」  それが本当に、命を賭けるに値する金額かは疑問だが。  ミズキは平然と、その厳しすぎる人生を語る。 「呪いしか取り柄のないガキにできる仕事なんて、狩人くらいだろ? まだ十代前半だったとはいえ、親がいなくなって、詩織を養わないといけなかったからな」  まったく大変大変、と軽い調子で笑うミズキだが、それは洒落になっていない。  呪いを発現するほどの精神状態の人間が、妹を養う? 生活を支える? まだ十代前半の子供が?  両親もなく、結局は狩人なんていう地獄のような選択をしてしまった。  何一つ笑えない。  狩人なんてのは、人殺しを職業にしている殺し屋の別名なのだから。  なのにミズキは笑っている。 「なんで平気なんだ、って顔してるな」 「……当然だろ。普通の状況じゃない」 「そうでもないさ。俺は普通だった。どこまでも凡人だった。ただ――妹がいた(・・・・)、それだけなんだ」 「――――――、」  瞬間、  俺は唐突に櫻坂ミズキという人間を理解できた気がする。 「……そうか。あんたは」  櫻坂ミズキには、妹がいたのだ。  絶望の底で、詩織という重荷まで背負っていた(・・・・・・・・・・)のでなく――――。 「――はぁ」 「ん? 何だよ羽村っち」 「別に。あきれただけだ」  そんな考え方があるのか。  理解はできるが、自分の人生で体感する日が来るとは思えない。 「なんだよ。あきれられるようなこと言ったか? 俺。」 「ああ、言ったね。まったく大したやつだよあんた。俺は――きっと、そうはなれない」  俺は櫻坂ミズキという人間を嫌いになれないと思った。  この男の人当たりがいいのは、口がうまいとか賢いとかでなく、単純に裏も表もない見たままの善人だからだ。  だからこそ驚かされる。 「それで? 親はどうしたんだ」 「ああ、」  何気なく、ミズキがまったく表情を変えることなく告げた事実に。 「俺が殺した」  ――俺の思考はぴたりと一時停止する。  だが邪な狩人(ひとごろし)の一人である俺は、あっさりとそれを理解する。 「……そういう、ことか」 「まぁな。殺した理由も別に普通(・・)だ。虐待されてたんだ、俺たち兄妹」  親を殺す理由に、普通なんて概念はないはずだが。 「気が付いた時には母親はとっくに出ていってた。よく分からない理由で首を締めてくる怪物みたいな父親と取り残されて、まぁひどい毎日だったさ。理由なんてどうでもいいが――父親はどこか、壊れていた」  ミズキの瞳が、古ぼけたガラスのようだった。  何も映していない空虚がどこでもない狭い空間を見ていた。 「罵倒、暴力は当たり前――そんな日々を何年も続けてると、家の空気がな、冷たいんだよ。ひどくひどく冷たかった。暖かさなんてまったく与えられない家庭ってそういうものなんだ。人間味を失いそうになる。気が付けば見えない毒に自分も染まりそうになってる。心を酸で溶かされるような毎日だったが――妹にだけは、普通でいてほしかった」  過酷しか見えない日々の中で、ミズキのその祈りは切実なものだったろう。 「んで最後の最後、親父の暴力が行き過ぎて、『詩織が殺される』と心底思ったその瞬間――――怪物の腕が具現化して、目の前には親父の死体が転がっていたんだ」  苦痛憎悪絶望渇望。  人間の怨嗟は堆積し、やがて呪いとなって人を襲う。  ミズキは――――耐えて耐えて、その果てに破裂したのだろう。 「……んでま、あれよあれよという間に狩人さ。もっとも、俺はどっちかっていうと狩られるべきバケモノだったのかも知れないが」  ミズキは自分の右腕を見下ろしていた。この世のものでない力を得てしまった、右腕を。 「だが後悔はない。だって、俺がこうならなかったらきっと、詩織はあのとき殺されていた。何の意味も理由もなく、世の中を知る前の子供のままで殺されていた。そんなのは、ダメだ」 「………そうかい」  父と妹の間に割って入って、自らの人生をなげうった男。  だがそんな痛ましい境遇でも、ミズキの笑みはおおらかで毒がなかった。  俺の口は、ほとんど無意識で感想を口にしていた。 「思いのほか『重い』んだな、アンタ。」 「――――――、」  絶句。  確かに、あまりに無遠慮な言葉だったろう。  かと思えばミズキは声を上げて大笑いするのだった。ひとしきり笑い転げる姿を見ていた。 「……なんだよ。笑うところだったか?」 「いやいや、笑うだろ。そんな風に言われたのは初めてだ。面白い。面白いな、羽村っち!」  がはは、と背中を叩かれる。よく分からないが、何かがツボにはまったようだ。 「正直な奴は嫌いじゃない。お互い気を遣わなくていいからな」  無骨な男。  平日昼間の公園で、主婦たちの奇異の視線を浴びながらジュース片手に語り合う。  不思議と俺も悪い気はしなかった。いつの間にか自然に笑っている。きっとミズキはそういう男なんだろう。  ミズキは多くを語ってくれた。  無趣味でやりたいことがないとか、妹と比べれば誰も可愛いと思えないとか、うまいものを妹と分け合って食べるのがなによりの楽しみだとか。  ミズキは本当に、妹のことばかりだった。  語りすぎだと思うくらい語ってくれた。 「すげぇなアンタ。俺はやっぱ、そんな風にはなれない」 「そんな風って、どんなだよ」  誰かを守るための人生。  自分以上に誰かを想う。  そんなの、俺には真似できそうもない。
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