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05
「食事へ行きませんか、羽村さん。兄さん抜きの、二人だけで」
「――――――」
兄の目の前で、妹にディナーのお誘いを受けた。
おかっぱに制服の少女の、花咲くようないい笑顔。
「…………」
兄は石化していた。
+
日は落ちている。のちほどミズキと合流する場所を決めてから、詩織と二人だけで街へ出た。見送るミズキの顔が埴輪のようだった。
夜の街は、静かに沈んでいる。
舗装の粗いアスファルトを踏んで歩く。
縁条市はもともと静かな街だ。それが、夜ともなればさらに無音と化す。人通りなんてほとんどなく、赤い点滅信号に照らされながら錆びた歩道橋の足元を抜けていく。
電話ボックスで立ち尽くす半透明――ただそこにいるだけの無害。
マンホールの蓋に描かれたメッセージ――スプレーで切り付けられた文字。
詩織の靴音は子供のように軽い。細く白い腕脚は人形のようで、体温の薄そうな顔立ちがいっそう儚く見える。
美しい少女だった。
いまは、その表情を曇らせているが。
赤い信号の光が頬を染め、物憂げな瞳を奥深く輝かせる。
食事に誘われたわけだが。
その、思いつめたような表情には楽しげな気配はまったくない。
「兄さんと何を話してたんですか」
小洒落たバーガーショップのテラス席で、目の前を流れる河を眺めていたら、詩織がぽつりと口にした。
バーガーはすでに食べ終えている。食後のアイスカフェラテも残り半分といったところ。
詩織は目を伏せたまま、テーブルをじっと見つめている。
「……まぁ、なんだ。ミズキの昔の話やなんかをな」
「そうなんですね。窓から見てましたけど、ずいぶん兄と仲良くなったんですね」
「あいつは誰とでも仲いいだろ」
「そうですね。兄は誰とでも仲がいいです。すぐ打ち解けて、友達になって――でも、それだけなんです。恋人も作る気がないみたいで」
「そうかい」
「…………どこまで、聞いたんですか」
じっと。
詩織が、不安そうな目をして問いかけてきた。
どこまでとは、アレのことだろう。
櫻坂家の事情とか。
ミズキが呪いを得た経緯とか。
一体誰を守るために、そんなことになったのかとか。
俺が言うまでもなく、詩織はこちらの沈黙で察したようだ。
「ぜんぶ……話したんですね。兄は。羽村さんに、ぜんぶ……」
――本当に、泣き出すのかと思った。そのくらいに、つらそうな表情だったのだ。
「軽蔑しましたか?」
「誰を」
「私をです」
「……あん? なんでだ?」
詩織の表情は沈んでいる。またテーブルを見つめ、あきれたような色を滲ませるのだが……その嫌悪感が、詩織自身に向けられたものであることに気付く。
「兄は、私のせいで呪いを得て、父を殺しました。私を守ってああなったんです」
「そうだな。それは事実だ」
「なら、のうのうと守られて生きてる私って、最低じゃないですか。何の罪も罰もなく日々を過ごし、普通に学校に通って。兄を踏み台にしてまるでまっとうな家族みたいな顔してるのが、本当に、本当に――――卑怯で」
なるほど、詩織は自分が認められないらしい。
兄に一方的に守られたことに、いまも守られ続けていることに、何か罪悪感のようなものを抱いているらしい。
「私は――――兄の人生の、重荷なんです。ずっとずっと枷になっているんです。兄が狩人になったのだって、私を育てなくちゃいけないからで……」
「…………」
悪い熱に浮かされたように、詩織はとめどなく喋る。
だが、途中で冷静さを取り戻したのか、はっと顔を上げて訂正してくる。
「すみません、こんなこと。迷惑ですよね」
「いいや、そもそも雪音さんに面倒見るよう頼まれてるからな。そうやって話してくれると、聞き出す手間が省けて助かる」
「え…………」
どうにも、世話役が俺に回ってきたのは偶然ではない気がしてきた。どことなく雪音さんの意図を感じるのだ。
「あのな詩織、ちょっと思い詰めすぎてないか?」
「…………」
「確かにミズキが若くして呪いを得て、父親を殺してしまったのは――そのきっかけになったのは、詩織に危機が及んだからだ。でもそれと、ミズキが詩織を大事にしてるのは別問題だろ。あいつは、たぶん、好きであんたのそばにいる。そういう人生を選んでる」
「それは……兄が、たまたま私の兄だったから――」
「普通、兄貴なんてものは、兄貴だからって理由だけでそこまで親のようにはなれない。心底なろうと思わないとなれない。面倒見がいいのは性格だろうが――あんたが思ってる以上に、ミズキは望んで兄貴やってると思うぞ」
黙り込んでしまう。
嘘を言っているつもりはないが、嘘くさく聞こえても仕方ないのかも知れない。
俺が言っていることは理想論で――――現実、怪物の腕に取り憑かれて、狂喜しながら悪霊を惨殺しているミズキの姿を見れば何も言えなくなる。
ましてやその呪いの原因が自分ともなれば……俺の言っていることは、耳障りがいいだけの綺麗事だ。
やはり、詩織の憂鬱な瞳は晴れなかった。
続く言葉は切実だった。
「でも……私、兄に何も返せなくて。もっと自分の人生を生きてほしくて……」
そりゃ無理だ、あいつは妹のことしか考えてない――なんて、茶化すことはできなかった。
実際、ミズキがそういう風になっているのは、もうそうなるしかなかったからだ、と考えることもできるからだ。
「恋人を作って、自分の夢を見て、好きな仕事をして生きてほしかった」
妹のために親を殺して、妹を育てるために生きている以上――それ以外を考える選択肢が自然に消えていたのかも知れない。詩織はきっと、それを気にしているのだろう。
すなわち――――自分さえいなければ、何かが違ったのかも知れない――なんて。
「だからさ。思い詰めすぎだってーの」
「でも……」
どうにも――華やかに微笑むこの娘にも、深刻に悩みすぎてしまうという繊細な一面があったようだ。
それは決して悪いことではないが。
なにせそれもまた、相手への行き過ぎた気遣いの裏面であるからだ。
「――ん」
そこで、カラコロという雅な音が聞こえた。目を向ければ、隣の席に何故か着物の双子がいる。
俺はおもいきり顔がひきつって変な声が出そうになった。
「ねぇ碧、このきゃらめるまきあーととかいうの、ちょう甘いね。甘すぎてゲロでそう」
「藍、それはでかいのたのみすぎなのです。それじゃバケツなのです。水でも吐くのです」
双子霊、日々野藍と碧だった。何故かカフェに溶け込んでやがる。
「って、お前ら。こんなところで何してる」
席から飛び降り、双子はいつもどおり不吉を告げる。
「三つ首さんがあらわれた。とっととはたらけ、このむのー」
「いまとなっては二つ首さんなのです。もうひとりたおしたら一つ首さんになって、ただのニンゲンになるなのです」
「!」
あの悪霊どもが姿を現したのか。
武器は――ある。詩織も刀剣袋を持っている。このあとミズキと合流して夜の仕事に出る予定だったからだ。
「行くぞ詩織!」
「はい……!」
カフェの席を後にする。しかし、瞬きの間に花弁を散らして詩織の眼前に回り込んだ双子が、何故か不吉を突きつける。
「――――おい妹、死に場所はみつかったか?」
「墓穴はみつけたか、なのです」
「っ!」
何故か、詩織が息を飲む。双子は追い打ちのように言葉を重ねる。
「兄は終わるぞ」
「かなしく終わる」
「苦しく終わる」
「ひとりで終わる」
「絶望して終わる」
くるくると詩織の周囲を踊る。悪霊らしく、ひらひらと。
「相手にするな詩織。とっとと行くぞ」
「は、はい……」
カフェを後にする。双子を置き去りにして。
最後の最後まで、悪霊どもは意味の分からない言葉を垂れていた。
「「 まだ兄は、妹が視えているか――――? 」」
びくり、と詩織が震えたように見えた。ひどく青い顔をしている。
「詩織……?」
「い、いえ――なんでもありません。行きましょう」
真実から目を逸らすように、詩織が俺を追い越していく。
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