15

1/1
3人が本棚に入れています
本棚に追加
/18ページ

15

 崩壊した廃校舎の真ん中で。  少女が、泣いていた。  天井に空いた大穴から、真白い月光が線を引いている。  どうして、どうして、と少女は泣いていた。  きっととても怒っていた。  そりゃあそうだろう。誰だって、目の前で大事な願いを台無しにされたら感情的になって怒るに決まっている。  非があるとすれば、それはこの理不尽な世の中と、そんな健気な少女を泣かせるひどい男の方だろう。 「おい……目は覚めたかよ」  静かになった櫻坂ミズキに、問いかける。  その胸に刃を突き立てたまま。  男の反撃はない。  傷は深手で取り返しようがなく、間もなく命は無に帰すだろう。 「あ、あ……羽村っち、か? なんだ、どうなってる。よく、目が見えないな……」  くそったれ、と毒づきそうになったのをこらえる。  ミズキは状況を理解できない。  いま、自分がどうなっているのかさえも認識できていない。  なのに、膝から崩れ落ち、まるで大仕事を終えた後のように言ってきやがるのだ。 「なぁ、羽村っ、ち……」 「なんだよ」 「俺、怪物を、倒せたんだろう、か……?」 「…………」 「手強い、怪物、なんだよ。おそろしかった。なぁ羽村っち。俺、詩織を守れたんだろうか……? 詩織が、また、あの時みたいに殺されてしまいそうで、俺……」  くそ、くそと胸の中で叫んだ。  ひどい話だ。  ミズキは、ねじれた認識の中で、必死で詩織を守って戦っていたのだ。  ミズキが叫んでいた底なしの憎悪は、妹を害そうとするバケモノたちに向けたものだったのだ。  詩織が泣いている。  アユミに支えられて、しかし立ち上がることもできずに、体を震わせて兄の最期を見ている。  その姿を見て俺は決意した。 「――なぁミズキ、答えてくれ。ひとつだけ、どうしてもいま、ここで聞かなくちゃいけないんだ。頼む。」 「なんだ、羽村っ、ち……俺とおまえの仲だろう……? 聞きたいことがあるなら、なんだって聞けばいい……」  思わず笑ってしまいそうになる。涙を流してしまいそうになる。  男は、俺にとって紛れもなく戦友だった。  だから、最期に。  どうか、たったひとつの間違いを正していってほしい。 「――――詩織は、妹の存在は。あんたの人生にとって…………『重荷』、だったか………………?」 「………………………………」  沈黙した。  詩織が、泣くのをやめて、じっと兄の言葉を待っている。  詩織は自分を、ミズキの人生の重荷だと言っていた。  普通はそうだろう。  年端もいかない少年が、幼い妹の人生まで背負って生きていく。  尋常ではない人生になる。  兄は、考え込むように反芻して、当然のようにその回答を口にしたのだった。 「なんだ、それは。考えたことも、ない」 「――――――どうして」  問いかけていたのは、詩織だった。  俺は知っていた。  その回答を、あのベンチで笑い合っていた時に、とっくの昔に理解していたのだ。 「嘘は、ないよな」 「ないさ。なんだ、その質問は。いろいろおかしいぞ、羽村っち――」  俺も、らしくもなく明るく笑った。笑うことができたのだ。 「――――だよな。そんなわけ、ないよな。お前に限ってそれだけは絶対にないよな」  俺は櫻坂ミズキを嫌いにはなれない。  この男は、こういうどうしようもない善人だからだ。 「羽村っち。前にも言ったが…………俺、本当は超がつくほどのビビリで弱虫だったん、だ。昔はやせっぽっちでさ、腕力のカケラもなかった、なぁ……」  遠い遠い始まりの時代。  虐待を受けて育った少年の初期設定は、いまとは大きく違っていたのだ。  勇敢ではない。  力もない。  金もない。  ただ、与えられていたのはたった一人の妹だけだった。 「…………不思議なんだよ。妹が、いるだろ? 力、湧いてくるんだよ。生きていこう、って思えたんだよ。どんな状況でだって、まぁ、詩織がいるしなぁ、って、思ったんだよ。詩織が、いてくれる(・・・・・)からなぁ、って…………」  ああ、詩織が息を呑んでいる。  なんで分からなかったんだよ、お前。  なんでこんな簡単なことを、ずっとずっと勘違いしていたんだよ。 「――――ビビリだけど、『強い兄貴』……みたいな理想像、演じられる、だろ? それってすごいことだぜ。俺の、真っ暗闇な人生のなか、で――――」  ああ、そうだ。  ずっとずっと彷徨い歩いていた。  墓穴を掘り続けるような殺風景な人生の中で、あの華やかに鮮やかに笑う妹の姿を見るたびに。   「――――――それだけが、唯一の希望の光、だった。」  それでも決して孤独ではなかった。  どれほど過酷だったとしても、いつだって希望を守るための意義ある戦いだった。 「――――お兄ちゃ、」  ふらふらと、詩織が歩み出る。  息を切らしながら、まるで幼い頃に戻ったように、兄に包み隠さない言葉をかける。 「……お兄ちゃん、ごめん。ごめんなさい。私の、私のせい、で――!」 「――――――なぁ羽村っち。詩織は? 詩織は、どこにい、る……?」 「――――――――――」  すでに、息も絶え絶えになったミズキの言葉に、詩織が凍りつく。  それでも諦められるはずがなく、詩織は歩み寄りながら、ミズキに声を投げ続ける。 「…………ここだよ。ここにいるよ。お兄ちゃん、」 「ケガとか、してない、よな……? 本当、狩人なんてやめて、ほし、い……何度言っても聞かな、いんだ……」 「……分かってる。ごめんなさい。私が、悪い。本当は少しでもそばにいたかっただけ。少しでも、お兄ちゃんを守りたかっただけなんだよ……狩人になれなきゃ死ぬなんて、嘘だから……」 「あいつも年頃で、さ………嫌われてやしないかって、たまに不安に、なる……」 「冷たくしてごめんなさい。違うの、ねぇ、お兄ちゃん……!」  ミズキには、詩織の言葉は届かない。  どれだけ叫んでも届かない。  そんな痛ましいすれ違いを見て、アユミが目を見開く。 「………………なんで……? こんなに近くで叫んでるのに……」 「ミズキは呪いの影響が強く出た時、詩織の存在を認識できなくなるんだよ。たぶん、詩織を傷つけないために無意識下でそうなってるんだろう」  守るために。  間違っても妹だけは傷つけないために。  そも、詩織を守るために発症したミズキの呪いの成り立ちからすれば、詩織を決して害さない防衛機構は当然ともいえる。  だが――これは、ない。  歯を食いしばる。  これだけはない。  これまで妹のことだけを思ってきた男の最期が、これかよ。 「詩織……無事か、詩織………………」 「大丈夫だよ。お兄ちゃんが守ってくれたよ。ねぇ、お兄ちゃん……」  それは、まるで、幼い日の夕暮れのようだった。  すぐ背後にいる妹に、兄貴は気付かない。  気付かないままで、いつまでもいつまでも妹を探して駆け回る。  妹は、それをずっと背後で取り残された幽霊みたいに見てる。  泣きじゃくりながら、ずっとそばで兄のことを悲しく呼び続ける。  声は届かない。  声は届かない。   「ねぇ気付いて…………ねぇお兄ちゃん、私、ここに、いる、よ……ずっと一緒にいたんだよ……!」  誰かが、兄は無残に孤独に終わると言っていた。  そんな予言をなぞるように、次第にミズキは声を発さなくなり、目からは光が薄れ、冷たくなっていった。  どんなに詩織が手を取って叫んでも、その声が今際の際のミズキに届くことはついぞなかった。  あまりにも虚しい幕切れのあとで、詩織はいつまでもいつまでも悲痛に声を上げて泣いていた。  これまでの人生で、ミズキが孤独だったことは一度もないが。  最後の最後だけ、罰を与えられるようにそんな安堵を奪われて終わった。  ああ、くそ。  なんであんな良いやつに限って、こんな結末を見せやがる。  詩織がたくさんたくさん泣きはらしたあと。  静けさを取り戻した廃墟で、力なく座り込んで月光を見ながら、俺は誰にともなくぼんやりと呟いていた。 「…………守ることの幸せってのも、あるんだろうな」  ミズキの前に座り込んだ詩織の背中が、聞いている。 「親とかさ。必死で働いて、成長を見守って――――ひとつひとつの出来事に感動しながら生きる幸せってのも、あるんだろうな」  いつか詩織が言っていた。  そんなのは、ただ損なだけの生き方だと。 「それはさ――確かに『損』かも知れない。でも決して損得だけがすべてじゃない。そんな小さな損得を軽く越えちまう心境ってもんが、あるんだと思う」  詩織が、涙に濡れた静かな声で、月に向かって歌うように呟いていた。 「そう…………ええ。そうですね。兄もきっとそうだったんだと思います」  ただただそばにいられれば嬉しくて。  心が満たされた時間を、たくさん、たくさん過ごすことが出来たのだ。  不幸なはずがない。  それを不幸だっていうのなら、  この世に幸せな人間など一人もいない。
/18ページ

最初のコメントを投稿しよう!