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(いと)との生活は想像していたよりずっと心地良いものだった。 俺達は毎日、一緒の布団で眠り、朝起きると愛は必ず「おはよう」と言ってはぎゅうと俺を抱きしめた。 愛の悪阻(つわり)が酷くない時は、出来るだけ一緒に食事を取った。 愛は悪阻が酷い時はトマトばかり食べたがり、それを知った近所の人がレジ袋いっぱいのトマトを持ってきてくれた時は2人で顔を見合わせて笑った。 「ねぇ、光さん」 愛の悪阻が落ち着き、週数的にも安定期に入った頃だった。 桜の開花予報をソファに座って見ていた俺の肩に両手を置いて、愛が声をかけてきた。 後ろから愛が千秋から使い始めた、莉子とは違うシャンプーの香りが漂う。 「どした?」 「結婚と言えばなんだと思う?」 「結婚?」 突然言われて、俺は愛の顔を見上げた。 愛は「そうそう」と言い「連想ゲームみたいに、何思い付く?」と付け足して尋ねた。 俺は視線を上に向けて、少しだけ考える。  結婚かーーーこの数ヶ月…色々手続きやら何やらで…忙しく動き回ったなーーーー 「市役所」 「市役所…?」 俺の答えを愛はオウム返しして、キョトンとしている。 「手続きしに行ったじゃん、色々と」 結婚するにあたって、あんなに沢山する手続きがあるなんて、俺はつい数ヶ月前まで知らずにいた。 愛はそんな俺をみて、はぁと残念そうなため息をついて見せた。 「……光さんって…名前はホストみたいなのにすごい現実的だよね…」 「失礼な」と俺は愛を見て笑って、愛の髪を片手で触った。黒くて柔らかい、愛の髪。 ホストっぽい名前ってなんだよ。 (ひかる)がホストっぽいなら、他はどんなのをホストっぽいと言うんだろう。 カケルとか…ツバサとか…? …いや…わからないけど…。 「……私ね…… ーーー結婚指輪が欲しくて… …高いのじゃなくていいから… ……その…光さんと結婚した証に」 俺の横に座ってきて、愛は遠慮がちに俺を見つめた。 細身の愛のお腹はやっと少し膨らんできたかなというくらいで、それでも言われなければ、全然妊娠していると分からないくらいだった。 「ーーーもしかしてそれ、ずっと思ってた?」 俺の問いに、愛はゆっくりと頷いた。 その動作がなんだか可愛らしく、俺はつい笑顔になってしまった。 「言ってくれればいいのに」 指輪なんて、考えてもなかったなと、俺は今更反省した。 愛としては指輪が欲しいと思ってはいても、見ず知らずの男の子供を妊娠している自分と結婚した俺にーーー流石にそこまでは頼みづらかったのかも知れない。 まして愛は仕事を辞めて、今は俺が完全に愛を養っている状態だった。中学を卒業してからずっと仕事をして生きてきた愛はそれをずっと申し訳ないと気にしており…指輪の事もずっと言い出せなかったのだろう。 さっきの「言ってくれればいいのに」も含め、流石にデリカシーが無過ぎると、莉子が生きていれば俺を叱ったかもしれない。 「光さん全然そういう話しないからーーー 指輪とか要らない人なのかなって思って…… アクセサリーとかもヒカルさんつけないじゃない? ……いい?…買ってもらっても…いい?…」 愛は遠慮がちに俺に再度確認を取り、俺が頷くと少しオーバーに俺を抱きしめた。 「ありがとう…!!! すっごく楽しみ!!!」 愛のこういう仕草は、生まれ持った天性のものなのだろうなと、俺は時々考える。 俺が女なら、おそらくこうは出来ないからだ。 「じゃあ、近いうちによろしく」 「…?…よろしく…?」 俺は言葉の意味が分からず、胸元に顔をつけた愛を見つめ返した。よろしく…? 「光さんに選んで、買ってきて欲しいの。 私は選んでくれたのを、一生付けるから」 愛に言われて俺は慌てた。 女性に指輪なんてーーーそもそも女性にプレゼントなんて渡した事も無ければ、選んだ事もない。 「欲しいのがあるなら言ってよ。 買ってきて、コレじゃない!とか嫌だし」 困って言うと、愛は首を横に振った。 「ダメ! 光さんが選んでくれたのが欲しいの…! ーーーー本当に高いのじゃなくて良いから…私と着けたい結婚指輪、選んで来て…?」 俺は「でも…」と言いかけた言葉を飲み込む。 真木ももしかしたら同じだったのかも知れないけどーーー愛の瞳に逆らえないのは、日常茶飯事だった。
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