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「真木、こっちこっち」
待ち合わせの店に着くと、雨谷は奥側の席から手を振ってくれた。
俺は「お待たせ」と言いつつ、差してきた傘を畳んだ。
初めて雨谷を見た時の印象を、俺は今でもはっきりと思い出す事ができる。
スラリとした細身の体型は今と変わっておらず、瞳の色が薄いのにはっきりとした白目がちな目元に浅黒い肌色。
不器用なのか、人見知りなのか、あまり自分から人と喋ろうとはせず「影のあるイケメン」と俺の友達は雨谷の事をそう言っていた。
「雨谷から飲みに誘ってくれるなんて、思って無かったな」
メニュー表を見ながら呟くと雨谷は声を出さずに笑った。
「転勤してきたばかりで、ただでさえ少ない友達がいないんだよ」
雨谷は周りの人達が何を注文してるか気になったのか、周りの人のテーブルをざっと見回した。
「仲良くしてください」と雨谷は笑う。
グレーのワイシャツを着た雨谷の手元には、愛が付けていたのと同じ結婚指輪がついている。
雨谷ってーーーこんなにフレンドリーだったっけ?
「ーーー息子さん、もう大きいんだね。
びっくりしちゃった」
俺はメニュー表に視線を移したまま、なるべく自然にそう口にした。
「ああ、もう10歳だから」
俺は近づいてきた店員に生ビールと焼き鳥を何点か適当に注文した。
焼き鳥なんて久々で、焼き鳥屋を選んでくれた雨谷に感謝した。
「結婚早かったんだね。
子ども可愛いでしょ」
「うん。早かった…かな…
…それより急だったから…本当に誰にも話せないままになっちゃって。
ーー俺そういう話自分でするの苦手だし…イメージ無いじゃん」
確かになと思って、メニュー表を閉じる。
確かに雨谷には結婚しましたとか、子供が産まれましたとか、ハッピーな報告を自らしているイメージは無い。
仮に大学で表彰されるようなすごい賞とかを取っても、誰にも言わず、淡々としているのが雨谷のイメージだった。
「ーーーデキ婚なんだっけーー?」
その言葉を口にするのに抵抗を感じながら、俺が尋ねると、雨谷は頷いた。
「うん。出会って直ぐ妊娠したって言われて…
あ、別に避妊の仕方、分かんなかった訳じゃないから。
いくらモテない俺でも」
雨谷に冗談を言われた俺は「そんな事思ってないよ」と上手く笑った。
実際、大学在学中に雨谷の浮いた話を聞いた事は一度も無い。
「影あるイケメン」は女子達からは人気ではあったのだけど、雨谷の持つ近寄り難さが、浮ついた話から雨谷を遠ざけたのだろう。
「9月が誕生日でさ、まだ1ヶ月以上あるのに、何買おうかなって本人は迷ってる」
メニュー表を所定の位置に戻そうとした手が、一瞬止まってしまう。
その言葉を聞いて確信する。
あの子が、自分の子供である事。
愛が10年前に俺に告げた出産予定日はーーー
ーーー9月22日だった。
愛は俺との間にできたあの子をーーー雨谷の子供だと偽って雨谷と結婚したのか。
店員が持ってきてくれた生ビールと焼き鳥を受け取りながら、俺の脳内はその事に支配されそうになる。
「子供の頃のプレゼントって迷うよね。
一大イベントだもん」
雨谷と乾杯を済ませ、俺は冷えたビールを喉に流し込んだ。
冷たくて、口から喉、食道を通って、ビールが胃に流れ込んだのが分かった。
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