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2.夫
遠くから盆踊りの曲が聞こえてくる。夏祭りだ。酒を飲んでうとうとしていたらしい。そろそろ夕方なのだろう。こんな時、以前なら米田の爺さんが声をかけにきたものだ。
――おおい、もうすぐ日が沈む。祭だぞい。祭だぞい
爺さんの声が脳裡に蘇る。だが彼の声が聞こえてくるはずもない。妻が亡くなったのと同じ年に米田の爺さんも鬼籍に入った。あの年はひどい猛暑で熱中症やら心臓発作やらで近所でも年寄りが何人か亡くなっている。あれからもう五年。早いものだ。
「さて、と」
布団から出て顔を洗い鏡を見る。首元にうっすらと赤い痣のような跡。私はふっと嗤う。
「今年も来たらしいな」
毎年お盆の時期になると妻が私の首を絞める夢を見るようになった。そして目覚めるといつもこんな跡がついている。
「死者にできることなんてせいぜいこれくらいのものさ」
復讐、なのかもしれない。私は妻を見殺しにした。心臓発作で苦しんでいるのを知りながら放置し、十分に時間をとってから救急車を呼んだのだ。そりゃそうだろう。下手に助かって後遺症でも残ったら厄介だ。あんな女を介護するなんて冗談じゃない。死んでもらった方がいいに決まってる。
元々そんなに仲の良い夫婦だったわけじゃない。それでもまぁ何とかやってきたが定年退職を機に妻の本性を見た。長年働いて家計を支えた私をまるでゴミ扱い。キィキィ声で文句ばかり垂れ流していた。早くお迎えが来てくれないものかと心待ちにしていたものだ。
お盆も今日で終わり。死者などさっさと帰っていけばいい。私は鼻歌を歌いながら着替えを済ませ祭りの会場へと向かった。
了
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