アレルギー

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 僕は車を走らせていた。田んぼ道を抜け、商店街を通り、途中のコンビニで缶コーヒーを買って、彼女の待つ住宅街に入った。   僕の家から彼女の家まではだいたい30分位。付き合っていた当初は色んな妄想で頭が一杯のあっという間の30分間だった。今はというと、機械のごとく両手でハンドルを握り、必要に応じて左右に切ったり右足でブレーキとアクセルを踏み分けたりできる。脳は最低限の指令を手足に与えるだけだ。このままだと睡眠にでも入ってしまいそうなので、缶コーヒーを飲むようになったのもそのためだ。  彼女の家の前に車を止めて、「着いた」と一言LINEを送信する。なかなか既読がつかないのはいつものことだし、時間通りに出てきてくれた試しがない。それも付き合った当初であれば、念入りにメイクしている姿を想像して、今日はどんな格好なのかなと期待しながら待つ楽しい時間だった。でも今となれば黄色の遮光カーテンがかかったままの彼女の部屋の窓をじっと見ながら、時間が過ぎるのをイライラと待つばかりである。  やがて何度も見たことのある紺色のトレーナーを着た彼女が玄関から出てきて車に乗り開口一番、 「遅れてごめんね。会いたかったよ」  と取って付けたような愛情表現をする。それに対して僕も、 「いいや、君と会えるだけで満足だよ」  などと言った歯の浮くようなセリフで返す。これは一般的な「おはよう」とか「お疲れさま」といったようなものと同じで、僕らにとってはお互いに会ったら言わねばならない合言葉であって、なんの感情ももっていない言葉である。  こんなにも情熱的に思える言葉を投げかけておきながらもお互い無表情のまま、僕は車を走らす。だが途中で鼻の奥がむずむずしてきて、こらえきれなかった大きなくしゃみが一度出た。それからが大変で、もうどうにも運転を継続できる状態ではなくなって道端に停車した。立て続けに出てくるくしゃみは、大御所芸人の一発芸のような迫力あるものから、女子高生のわざとらしいクチュンという小さなものから様々で、なかなか恥ずかしいものだったが、どうにも止まらない。 「大丈夫―?」  助手席の彼女が心配そうに顔を覗かせる。そのマスカラいっぱいの顔を見て僕は更にくしゃみをした。 「今日はちょっと無理かも」  僕がそう言うと、 「えーやだ、あそこのカフェ前からずっと行きたかったのに」  と彼女が言った。その瞬間、いくらかくしゃみも鼻のむずむずもマシになった気がした。まあ、久しぶりのデートだし多少無理してでも行ってやるかと思った。  そのあとカフェで彼女がキャラメルラテを飲みながらなんか色々話しをしていた。内容は全然聞いていなかったけど、なんとなくこのあたりで「へえ」とか「そうなんだ」とか適当に相槌を打ちながら、なんで女子ってこんな甘ったるい物が飲めるんだろうって考えていた。カフェの中でもやはり、鼻がむずがゆかったりくしゃみが出たりするが、彼女はお構いなしに「職場の上司と受付の女性が不倫している件」について話し続けている。  そのあと、ショッピングセンターに寄りたいと言った彼女をどうにか振り切りデートは終了したのだが、不思議なことに彼女が車を降りてから、くしゃみも鼻のむずむずもぴたりと病んだのだ。まるで嘘のように。  もしかしたら彼女アレルギーかもしれない、と思いながらも体調がよくなったことに安堵した僕は、鼻歌まじりにアクセルを踏んだ。
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