アレルギー

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 次にアレルギー反応が出たのは職場でのことだった。  主にオフィス内での仕事なので、換気のために窓を常時開けているため、確かに花粉は入ってきやすい環境だとは思うが、市街地にあるオフィスであるし、周りにはそれほど植物が生えているわけではない。だがオフィスに入った瞬間、鼻のむずむずが襲ってきた。 「おはよう。おいどうした風邪か?」  同僚の田村が背中を叩いてきた。まだ就業前だったので、オフィス内はほんわか雑談モードだったのだ。  僕が着席すると、向かい側の席の若い女子社員たちが何やら楽しそうに話しているのが嫌でも耳に入ってくる。 「聞いてくださいよ。昨日、最近SNSで話題のハート型の夜景、彼氏と見に行ったんですよ」 「ええ、いいなあ」 「これが夜景の画像なんですけど」 「どれどれ、わあ綺麗。隣に写ってるのが彼氏?優しそうじゃん」 「そうですか?佐藤さんの旦那さんの方が素敵ですよ」  それを聞いているうちに僕の鼻センサーが反応しだし、一発大きなくしゃみを発射した。そんなことは構わず、女子社員たちの楽しいトークは繰り広げられている。 「昨日だってせっかく天気が良かったのに、旦那ったら何もしないでパジャマでゴロゴロしててね。少しは子どもの面倒でも見たらどうなのって叱っちゃった。ほんとに、大きな子どもみたいなものよ」 「お子さん何歳になったんでしたっけ」 「3歳になったの。あ、これおやつを食べてる写真。変な顔でしょ」 「えー、かわいい。なんていうか、目元が佐藤さんですね」  僕はもう一つ特大のくしゃみを発射した。もしかしたら、僕は女性アレルギーなのかもしれないなと思った。  だが、就業中も予期せぬくしゃみは続いた。 「あー全く、体調管理は社会人として当然でしょうに」  部長のねちっこい声が僕を責める。この部長は暇であっても忙しくても、部下を侮辱し続けていた。仕事が遅い、気が利かない、掃除が行き届いていない、声が大きい。挙句の果てには、湿度が高いのは部下たちのせいだなど無茶苦茶なことを言いだす始末。しかしこんな人間でも一応部長なのだから、僕らは彼の機嫌を取ることに精いっぱいだった。この日もそれは例外ではなかったが、この日は僕のくしゃみが止まらないことに対する嫌味を言うことに精を出していた。  だがその部長の嫌味がぴたりと止んだ。急に社長がオフィスに現れたときからだ。 「やあ、おはよう。頑張っているかね」  はち切れそうな腹肉を蓄えたステレオタイプの社長の急な登場に、オフィス内の空気が一気に重くなる。 「は、社長、おはようございます」  数秒前まで自席でふんぞり返って僕への嫌味を並べ立てていた部長が、感心するほどの完ぺきな一礼をした。 「やあ北村部長。今日も頑張っているかね」  あっはっはと不快な笑い方をする社長に、部長は顔のありとあらゆるシワをぐっしゃぐしゃにさせて笑顔みたいな表情を作った。 「君には期待しているんだからね。よろしく頼むよ」 「は、身に余るお言葉であります。わたくしめがこの地位にいられるのも、全ては社長のご慈悲であります」  こんなタイミングで僕の鼻センサーがまた反応している。ここはさすがにこらえないといけないのだが、くしゃみが喉を突き抜けてきそうだ。 「それでは困るんだよ北村部長。もっと部下を信用しなさい。ほら周りを見て。有能そうな顔がずらりと並んでいるじゃないか」 「は、それはもちろんであります。我々は、社長の掲げた方針に乗っ取り、日々精進させていただいております」  もはや僕の鼻の奥で、いいムードになった鼻毛同士が複雑に絡まり合っている感じというか、むずむずを通り越してわしゃわしゃと蠢いている感じがする。目の際が掻きむしりたいほど痒くなってきた。くしゃみを止めるために息を止めていたのだが、すでに限界が近い。  社長よ、早くいなくなってくれと願うことも空しく、相変わらず空気の読めない部長が腹肉お化けにおべんちゃらを言って立ち止まらせる。 「社長、素敵なお召し物でございますね」  その素敵なお召し物とやらは、ピカソの画のような奇抜なイラストがデザインされているTシャツだった。おそらくこれを披露するためにオフィスに来たのだろうが、出っ張った腹のせいで描かれたいくつもの人や動物が横に伸びきっているし、ヨーロッパ系の個性的でおしゃれな男性であれば着こなせるのだろうが、こんな日本のナマズ顔のおっさんには到底似合う代物ではなかった。 「おお、さすが北村部長だね。これは留学中の娘からのプレゼントでね。イタリア製の最高級品だよ。見る人には分かるんだろうねこのセンスが」 「娘さんは、抜群なハイセンスの持ち主ですね。よくお似合いですよ」  もう我慢ならなかった。喉が避けてしまうくらいの、まるで火山の爆発のような勢いで、僕は狂ったかのようにくしゃみをし続けた。  顔面は熱く、視界は潤み、マスクの中は唾や鼻水でベトベトになりながら、尚も僕は止まらなかった。この間、社長や部長がどのような顔をして僕を見ていたのかは分からないし、分かりたくもない。やっとくしゃみがおさまりトイレから戻ってきたあとの部長の僕に対する態度からして、社長はあまりいいお気持ちで帰られたのではないのだろうなと悟った。
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