アレルギー

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 アレルギーは一向に良くならなかった。僕はなるべく植物が多いところには行かないようにして、平日は自宅と会社の往復のみで、休日も必要最低限の買い物以外は家から出ないことにした。週に1回の義務であるデートに行けないことで彼女は電話の向こうでプスプスしていたが、僕の尋常じゃない嗄声とくしゃみの連続で、仕方なく諦めてもらうように説得した。  会社では常にくしゃみが止まらず、頭がぼーっとするし、PCの文字も二重三重に見えてくる。白目も目の際が真っ赤で、目玉を取って中を洗いたいくらいに痒い。 「おい大丈夫か。ストレスか?」  同僚の田村が、ぼーっとしている僕に話しかけてきた。 「僕もそんな気がしてきた。最近忙しくてみんなピリピリモードだったしな」 「早く治せよ。休んだりしたら心配になるからさ」  その言葉を聞き、僕はまたくしゃみに襲われた。確かに今時期はそれぞれが目いっぱいの仕事を抱えていて、田村も僕もそれは例外ではない。そのため一人でも休まれると、他の誰かが肩代わりしないといけなくなる。僕が体調を崩し休んだりなんかしたら、同僚の田村に仕事が回ることになる。  田村が心配しているのは僕の事ではなく自身のことなのだ。でもそう思う気持ちは理解できるし、逆の立場でも同じように思うだろう。でもそれを正直に言うと感じが悪いから僕を心配だと言ってくれたのだ。こんな優しい嘘にまで反応してしまうのか。と考えながらも僕のくしゃみは止まらず、 「おい、またくしゃみか」  という部長の言葉で、田村との会話はやむなく終了となった。 「全く、体調管理も出来ないなんて」  いつものようにネチネチとした声で僕への不満を話す部長に、すみませんと何故か謝る僕。だがくしゃみはより一層激しくなった。  やはり会社にいるのが辛い。しかしある日の晩、僕にとって最も恐れていた事が起きる。彼女が僕の家に来ることになってしまった。  名目は、僕の長引く体調不良を気遣い看病をしにくるための訪問のようだ。でも「恋人」という契約を結んだ関係柄、義務とされる定期的な面会が本来の目的なのだ。そこには愛情などという甘ったるい感情は一切ない。  それは、彼女が部屋に入った瞬間に分かった。何も言葉を発さなくても、彼女の体から発せられる嘘菌が発作を起こさせるには十分だった。コンビニから買ってきた惣菜やお菓子、自分用の缶チューハイをテーブルに置き、咳き込む僕の顔を覗き込んで労いの言葉をかけてくる。でもそれが、発作をより助長するものになってしまうのだ。  それでも、やはり男と女だ。順番にシャワーを浴び、テレビを観ながらだらだらと酒を飲んでいると、だんだんその気分になってくるわけだ。それは彼女も同じだったようで、自然な流れで体をぴたりとくっつけた。  鼻先がくっつきそうな位置に、彼女の顔がある。目がくっきり二重でまつ毛は長く、丸っこいほっぺに白い肌。2年間、僕はこの顔に惚れたのだ。昔から好きな芸能人も、目が大きくて童顔なタイプが多かった。でも僕自身は、子どもが白紙に鉛筆でちょんちょんって目と鼻と口を描いたような顔だし、痩せていて背も低い。だから、大学サークルの飲み会の帰りにダメ元で告白したらOKをもらえた時、本当に嬉しかった。  でもその喜びも今となっては覚えていない。それはたぶん彼女もだと思う。別に彼女が悪いわけではないし、お互いの気持ちの変化は仕方がない。でも久しぶりに近くで見た彼女の顔はやはり愛らしい。 「僕のこと好き?」  僕は吸い込まれそうなほど大きな彼女の瞳を真っすぐ見ながら言う。すると、少し照れたように、その目が三日月型になって笑う。 「ええ、どうしたの急に」 「答えて欲しいんだ。僕のこと好き?」 「んー。そうかもね」  彼女の言葉を聞いた瞬間、僕は特大のくしゃみを抑えきれずに唾のしぶきを彼女に浴びせてしまったのだ。  しばらく僕たちは動けなかった。ツンとした唾液の匂いがただただ気まずい。その静寂に包まれながら、彼女の中では動揺とか、絶望とか、怒りとかいろんなものがフツフツ湧いてきたのだろう。それが僕の鼻づらへの強烈な張り手と、「さいってい」という低い捨て台詞に繋がったのだろう。
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