チョキリズム

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「カニですか?だめだめだめ。僕は絶対だめです。だって気持ち悪いですもん。見た目も動きも何もかも」  そう言って額に浮かんだ脂汗をおしぼりで拭う佐久間に、俺は言ってやった。 「おめえそれ、人生損しとる。あんなうめえもんこの世にねえぞ。なんつってもあのカニ味噌を知ってから俺はな、世の中の出汁という出汁が全てカニ味噌になればいいって思っとる」 「それなら僕は一生出汁とは無縁の食生活を送りますね」  出汁だけに無塩ってか。俺は喉まで出かかったそのギャグをぐっと飲み込んだ。 「カニ味噌なんてグロくて無理ですよ。匂いも無理です。味は知りませんけど、きっと無理です。それに、なんなんですかあのフォルム。虫みたいじゃないですか。多分クモが進化したんです。クモ星人ですよ。田辺さん、みんな虫を食ってるんですよ?騙されているんですよ」 「ばかやろ。カニは虫じゃねえ。それに虫だったとしても世の中食える虫なんていくらでもいるだろうが。つうかカニは虫じゃねえ」 「百歩譲ってカニは虫じゃないとしましょう。じゃあなんであんなに脚がついているんですか。それに奴ら横にしか歩かないじゃないですか。それもまた気持ち悪いんですよ」 「それはアレだよ。カニにとって進んでいる方向が前なんだよ」 「だとすると、カニはいつも横を向いていることになるし、そもそも顔が横についているってことですよね。うわ、気持ち悪。ますます得体の知れないモノに思えてきましたよ。どうしてくれるんですか」 「そんなのカニの勝手だろう。じゃあ四方八方動けて、めちゃくちゃ小回り利いたとして、それなら気持ち悪くはないのか?え?どうせそれはそれで気持ち悪がるんだろう。それはおめえのエゴだ。いいかよく聞け。カニにとってはおめえが害虫なんだ!」  佐久間は今にも泣き出しそうに顔をくしゃりと歪ませた。仕事は真面目なんだがどうも気が弱い。カニ嫌いは今に始まったことではないんだが、年々病的になっていき、今となってはじゃんけんで相手がチョキを出そうものなら飛び退くほどだった。 「すまんな。ちょっと言い過ぎた。機嫌直して飲めや」  俺が芋焼酎を佐久間のコップに次いでやる。佐久間は情けない顔で肩をすくめていた。 「いいえ、いいんです」 「ところでどうしておめえはそんなにカニを嫌うのか、聞いたことがなかったな。教えてくれないか」  俺のその問いに、顔中の毛穴から脂汗が噴き出す。それでも彼は気丈にもカニエピソードについて語った。
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