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「これって……」
「そうだよ、カニだよ。カニかま入りのだし巻き玉子はよくあるけど、ここのは本物のカニの身を使っている。カニづくしだぜ。どうだ、カニの出汁は」
「僕をだましたんだな」
「だました?俺はカニが入ってないとは言ってねえじゃねえか。ただ本当にここのだし巻き玉子はうめえからお勧めしただけだ。絶品だったろう」
「ええ、まあ」
「そんなもんなんだよ。カニはただのカニなんだよ。おめえがどう感じるかはおめえ次第ってだけなんだよ」
「僕、ただカニを毛嫌いしていただけだったんでしょうか」
「そうだな。毛ガニだけじゃなくて、他のカニもだぞ。げはははははは。それに、カニのハサミはいつもチョキの形だろ?つまりはな、ピースサインだ。カニは平和の象徴なんだぞ」
「そうなんですかね。僕、カニを誤解していたんですかね。誤解を解けば、カニからの呪縛から解放されるんですかね」
「そうだとも。ほら、カニと和解した証拠に一枚撮ってやる。今後、またカニを疑い始めたらこの写真を見ればいい。さ、さ、はいポーズ」
佐久間は恥ずかしそうに笑い、俺の構えたスマートフォンに向かってピースサインを作った。
俺はゆっくりとシャッターボタンを押す。ぴろりろと情けない音が1度鳴り、画面上では満面の笑みでピースサインの佐久間の動きが止まる。次の瞬間、大きな音がしたかと思いスマホから目を逸らすと、佐久間が椅子ごと後ろにひっくり返っていた。
何人もの店員が飛んできて、佐久間の顔を叩いたり声をかけたりしている。佐久間の応答はなく、顔は真っ赤で目はひっくり返り口からは泡が噴き出ているものの、右手のピースサインはそのままの形を留めていた。
確かにその姿はまさに、カニだった。
遠い日、運悪くも彼のサッカーボールに当たって絶命したカニ。その中から這い出てきたものは何だったのだろうか。本当に佐久間のいうカニの復讐ならば、これまで着々と成し遂げて来たのだろう。しかし、もし復讐の対象が佐久間だけではないとしたら?復讐ではなく、侵略だったとしたら?
「さてこれを誰に言えば取り合ってくれるものかね。このかに事件、いかにってか」
周囲で前触れもなくあちこちで椅子ごと後ろからひっくり返る飲み客を見ながら、俺は芋焼酎を空にした。
〈了〉
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