プロローグ

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プロローグ

 私は兄が使っていた弓を一度だけ()たせてもらったことがある。  アメリカの森の開けた原っぱで、休んでいのだろうか。野うさぎが一匹丸まって座っていた。 「私も将来お兄ちゃんと狩りする」 「(かなえ)が狩りか。そうだな、リカーブボウの上手な射手になったら考えよう。日本に帰ったらお父さんお母さんに買ってもらって練習しなさいな」 「帰る前に一回だけ射ってみたい」  そう言うと兄の柔らかな笑顔に少し、ピンと張ったような唇と眉が浮かび上がった。  あのうさぎさんを射つんだね、と聞いてきたから私は静かに頷いた。  兄は滑車のついた弓=コンパウンドボウを地面から持ち上げると腰に着けていクィーバー(矢筒)から矢を一本取り出すと、弓に付いている小さな支えに載せて矢尻の凹みを弦にはめて(つが)えた。 「これを手に着けておいてね。そう。合図をしたら一気に弦を引いて、狙いを定めたらお兄ちゃんが小声でよし、っていうから」 「わかった」  兄が弓の右側で立膝をつき、私が左に立っていた。  うさぎは今から狩られることは知らない。  脚をくいくいときように動かして耳をかいたりしている。 「じゃあ――」  引いて、という合図で一緒に持つリリーサー(弦を引っ掛けて引いて、トリガーで弦を離す道具)を引く。  狙って、という兄の言葉でサイト(照準器)になるべく正対し、うさぎをサイトの真ん中に捉えた。  私はいける、と呟いた。  離せ、という兄の指示でリリーサーのトリガーを押し込んだ。  もう、うさぎに矢は刺さっていた。  私はサイトで心臓を狙っていた。  遠目から見ても矢の刺さった周囲から血が滲んでいるのがわかった。 「叶、手を合わせて」  うさぎさん、いただきます。  そう合唱して野うさぎ亡骸を二人で回収した。  帰宅後に兄が聞いてきた。 「叶、どうだった? あんまり狩りも楽しいばかりじゃないだろう」  私は少し思考をめぐらせる必要があったが、ほどなくして答えた。 「動物が死ぬのはやっぱ可愛そう。だけど、矢を射つのは初めてだけど楽しかった」 「そうか……。」  兄は深く数回頷いた。  そして少し空を仰ぐと明るい笑顔を浮かべてこう提案した。 「叶は狩りよりもオリンピックを目指すのが良いかもな。日本の家の近くには射場もあるし、それが良さそうだ」 「オリンピック? この前テレビでやってたやつ?」  私が此処に夏休みで滞在していた年に、四年に一回のオリンピックが開催されていた。  英語のナレーションしかなくて何が何だか分からなかったけど、兄が興奮して見ていたアーチェリーらしき競技は覚えている。 「そう。すごいんだよ、オリンピックは」 「そうなんだ」  兄の高揚した気分を感じて尚更それが凄いのだと思った。  数日後、帰国する際に兄はこう声をかけてきた。 『うん、叶の将来が楽しみだよ』  期待してくれている兄が嬉しくて、私はただただ純粋にうん!と応えた。
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