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三章 五月四週目の月曜日
「彼女に弁当作ってもらってんのか!」
「……まぁ」
転職初日の昼休み。譲は上司の笠松と昼食を摂っていた。上司とはいえ譲が職場に慣れるための一時的な立場であることと、年が同じということが分かって、笠松とは敬語を外して喋っている。
譲は諒の勤める会社に就職が決まった。前職の経験を活かして、社内システムエンジニアとしての採用である。
譲が食べている弁当は、諒が作ったものだった。今まではろくに昼休みも摂れなかったから諒に弁当を作ってもらってなかったが、昼休みがきちんと取れるようになり、諒が張り切って作ってくれた。
「どこで出会ったの?」
「あー、幼稚園からの幼馴染。マツは? いないの? そういう人」
同年代と話すと、どうしても恋愛の話が出てくる。譲は相手がいることまでは話せる。しかし、相手が男性で、というのはなかなか言いにくかった。それに、諒は同僚でもある。社内恋愛はばれると面倒くさい。それで笠松に話を振った。ちなみに、諒も交際していることを周りに積極的に明かしたくないと思っていて、さらに諒の場合は自分の性的嗜好も言うつもりはないらしい。
「俺は大学の後輩とルームシェアしてるんだけど、それが楽しいから今は恋愛とかどうでもいいんだよね」
笠松は本当に友人とルームシェアをしているだけだが、譲は、諒との暮らしをルームシェアとカモフラージュするのもいいよな、と見当違いのことを考えていた。
「そういえば採用担当の人、誰だった? 今日様子見に来るって言ってたから、早めにオフィスに戻るか」
「そっすね」
「敬語」
「あっ」
譲と笠松は社員食堂を出て、企画開発部のオフィスに戻った。すると、オフィスの女性社員がざわついている。
「何かあったのかな」
「いやこんな黄色い歓声はあいつだよ」
「あいつ?」
譲は苦々しい顔をする笠松を見て、首を傾げた。
「俺の同期の草野だよ。もうめちゃくちゃ女の子に人気なんだよね」
採用担当草野だったの?と笠松に聞かれたが、譲はそれどころではなかった。
草野と聞いて思い浮かべるのは諒だ。諒は草野諒という。珍しくない苗字なので社内でも被っているのかもしれないが、諒は人事部に勤めていると聞いたことがある。さらに、諒はクールビューティーを体現したような顔立ちで、身長もそれなりにある。それに誰に対しても優しい。つまり、異性からしてみれば超優良物件で、女性社員がざわつく原因を作りかねない。諒と遭遇するのは避けたかったが、仕方ない。譲は腹をくくった。
笠松とオフィスの中にさらに入ると、そこには予想通り諒がいた。
「草野、おつかれ」
笠松の声に振り向いた諒は笠松に向かってねぎらうように手を上げた。その隣にいる譲を見て瞳を蕩けさせたが、それは一瞬のことだった。
「草野の用は譲?」
笠松が聞くと、諒は頷いてスマートフォンに入力し始めた。
『採用担当の坂本さんが休みを取ったので、代わりに私が』
その文面で、譲は諒の取りたい関係性を汲んだ。諒は、譲との関係性を、幼馴染レベルから隠したがっている。
「初めまして。人事部ダイバーシティ推進課の草野諒です」
諒がスマートフォンをいじると、機械音声が流れた。読み上げ音声機能を使っているのだ。
「私は生まれつき声が出せません。機械音声や文字入力での会話になりますが、よろしくお願いします」
言い終わりに合わせて、諒が頭を下げる。譲もそれに倣って頭を下げた。
「立ち話も何だし、あっちのスペース行けば?」
笠松の一言に、諒と譲は小会議室に向かった。
「今日私が来たのは、初日の様子をお聞きしたかったのと、お願いをするためです」
部屋に入ると、すぐに諒は機械音声を再生させた。
「まだ初日ですが、慣れそうですか?」
諒が譲を見つめる。いつもの譲だけに見せる顔はそこにはなく、譲は諒の仕事姿にぐっときていた。
「……はい。笠松さんも優しい人で、仕事もすぐ覚えられそうです」
『それは良かった』
諒は持っていたスマートフォンを譲に見せる。もともと話そうと思っていたことは機械音声で話すが、即興的な会話では文章入力を使っている。
「悩んでいることや困っていることはありますか?」
「ないです」
再び諒はスマートフォンを譲に見せる。同じ文章を見せたいときは、わざわざ同じものを打たない。
「それでは、ダイバーシティ推進課からのお願いに移ります――」
諒と一対一で話したあとも、諒は少しの間企画開発部で譲の仕事ぶりを見学していた。諒はただ見学するだけでなく、たまに笠松など他の社員に話しかけられていたときも、優しく応対していた。さすが、俺の諒。そのスマートさに、譲はひそかに興奮していた。
一日他人行儀で過ごしたが、帰りは、最寄りのターミナル駅で待ち合わせをして一緒に帰る約束をしていた。
『そろそろ着く』
乗り換えの電車のホームで諒を待っていると、譲の携帯に連絡が入った。
『前の方にいる』
そう譲が返信して五分後、諒が颯爽と現れた。ふたりは並んで電車を待つ。電車はすぐに来た。
乗った電車は急行なので、十五分もすれば着く。車内はやや混んでいて、ふたりは座席の前に立った。
諒が話せないこともあって、ふたりの間に会話は少ない。しかし、無言で並び立つ時間も、ふたりは好きだった。互いに許されている空気なのが伝わってきて、愛されている感覚が非常にしてくるからだ。会話の少なさに話を戻すと、発声を伴う会話をあまりしないのは、もっと分かりあえるコミュニケーションがふたりの間にあるから、少ないともいえる。
譲がぼんやりしていると、自分の手をねっとり撫でられていることに気づいた。犯人の諒を見上げると、諒は何事もないように微笑んだ。
そんなこともあるのかと、譲は放っておいたが、次第に諒の行動はエスカレートして、指と指とを絡めさせ始めた。譲は再び諒を見つめる。
お前、付き合ってるって知り合い他人構わずばれたくないくせに、なんで。目でそう訴えると、諒は妖艶に微笑む。その表情で、譲は諒の意図を察した。そんなの、俺も思ってたと、譲は獣のような目でしてやったりの諒をにらんだ。
それからしばらくして最寄駅に着いた。競うように車内から出て、まるで競歩の選手のように早歩きをした。そこに会話はない。口を開いたら、今すぐにキスをしたくなってしまう。
マンションに着いて、オートロックを開けるのももどかしかった。早く触れたい。そう思ったのはどちらだったか。
諒が家の鍵を開けるやいなや、譲は諒を壁に押しつける。そのままキスをして、ふたりで深く楽しむ。
「……っ、は」
諒が息継ぎに口を離せば、それすらも待ちきれないというふうに譲が口をふさぐ。そのまま、もつれるように革靴を脱いだ。まだその場で楽しみたい譲と対照的に、諒は靴を脱いだら譲の手を丁寧に振りほどいて洗面所へ向かう。譲がその姿を見送っていると、諒が振り向いた。
『準備してくる』
諒がそう言った気がした。
『仕事してる譲初めて見たけど、すごくかっこよかった。俺はこんな人に抱かれてるんだって思うと今すぐに抱かれたくなったんだよね』
「そんなとこだろうと思ったよ」
あのあと、ふたりは学生のころのようにセックスした。夕方に帰ってきて、日付の変わるころまで何回もやった。お互いがスーツ姿で仕事中の相方に興奮したことは分かっていたから、スーツを着たまま行為に及んだ。諒は準備をするために一度脱いでいたが、もう一度着直して寝室に現れていた。
譲の言い方だと、まるで諒だけが仕事中の相方に欲情したように聞こえるが、譲もしっかりそういう目で諒のことを見ていた。諒のてきぱきと同僚の質問に答えたりフォローをしたりするさまに、譲は全世界に、こいつは俺に抱かれていると宣言したくなっていた。
『スーツ、クリーニングに出さなきゃ』
「……ああ、これは洗濯機で落とせないやつ?」
『このスーツは洗濯機に入れられないから』
「そっか」
うつぶせになってスマホをいじる諒の髪には、どちらのか分からない、でも大方譲のであろう精液がついている。
『片付けしてごはん食べようか』
「そうだな」
ふたりは軽くキスをして、ベッドから下りた。
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