一章 四月三週目の火曜日

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一章 四月三週目の火曜日

 二十一時。  自宅のマンションに帰ってきた譲は、手洗いうがいもそこそこに、料理中の諒に抱きつきに行く。疲れているときには恋人の広い背中にくっつくのが一番だ。 『料理中は抱きつかないでって言ってるじゃん』  諒はスマホで譲の腿を叩いて示した。帰ってきたら抱きついてくることを察知して、スマホにあらかじめ入力していたと考えると愛おしい。譲は抱きつく腕を緩めなかったし、諒もそれを咎めることをしなかった。  諒は生まれつき話せない。会話を理解することはできるものの、発声ができないのだ。だからスマホに打ち込んで会話したり、読み上げ機能のアプリを使ったりしている。とはいえ、幼稚園から大学まで一緒の幼馴染である譲とは、目だけで言いたいことが伝わることも多い。 『お風呂沸かしといたから、入っておいで』 「まじ? サンキュ」  抱きつくのを止め、さっそく譲は風呂場に向かった。さすがスーパーダーリン。比較的早い帰宅を連絡しておいたら、できたてが食べられるように準備してくれるし、風呂も沸かしておいてくれる。譲は湯船につかりながら、誰に聞かせることもなく惚気ていた。  持ち込んだスマホに通知音が鳴る。 『夕飯できたよ』  譲は湯船から出て、リビングのドアを開けた。すでにテーブルには料理が並んでいて、あとは座るだけだった。今日のメインは肉じゃが。野菜嫌いの譲のために、にんじんとじゃがいもは小さめに切られている。いただきますを言ってから、さっそく譲は肉じゃがに手を伸ばした。 「うわっ、うま!」  目を見開きながら譲がそう言うと、諒は満足げに微笑んだ。  どうしても食事中は無言になる。しかし、それは苦ではない。人生を一緒に過ごしているうちに、この無言の時ですら心地良いと思えるようになった。  食事を終えた諒が、風呂に入っていった。その間に、譲は片付けやスキンケアをする。化粧はしないものの美容意識の高い譲は、スキンケアを寝室で行っていて、寝室の一角には化粧品が並んでいる。諒がいるからモテるモテないは気にしていないが、それでも自分の美貌を維持する努力は怠らない。  諒も顔が良いのだから化粧水や乳液を塗るなりすれば良いのに、と思いながらベッドに寝転んでいると、風呂から上がった諒がベッドに乗ってきた。譲に跨って、首に腕をまわす。顔を首元に近づけると、キスをひとつ落とした。一連の動作をゆっくりと行った諒は、そのまま譲を見つめる。これは、諒が「お誘い」をするときの一連の流れである。  思えば、一ヶ月ほどご無沙汰だった。超絶ブラック企業に勤める譲は、帰宅が日付を超えることが多く、セックスの時間が取れていなかった。譲は諒の顔を両手で包み、唇にキスをした。言いたいことは、それだけで伝わる。  譲のキスを皮切りに、ふたりはお互いの服を脱がせあった。譲があらわになった諒の乳首を弄ると、諒はもどかしげに身体をうねらせた。キスも合間にする。そのうちに深いキスになっていく。今日の諒は積極的で、譲はどちらのか分からない唾液を飲み込んだ。  久しぶりのセックスに、諒はいつになく興奮していた。諒は、セックスを会話だと思っているふしがある。相手を気持ち良くさせようとしたら、相手からそれ相応の反応があるからである。話せない分、諒は、セックスが譲ととれる対等なコミュニケーションだと思っていた。 「……はぁ、は」  乳首を甘噛みされて、思わず息が漏れた。乳首だけじゃない、もっとさわって。譲もでしょ、もっと気持ちよくなろう。諒は譲のそれを優しく、しかし性急に触った。臨戦態勢ではない譲のを諒が擦っていると、譲も諒のものに手を伸ばした。譲が気持ちいいところを触っていく。諒は思わず天井を見上げて快感に耐える。限界を迎えそうになって、一緒に吐き出すことを思いつく。しかし。 「……、ごめん。俺も、やる気、だったんだけど……」  譲のそれは、まだ臨戦態勢にはなってなかった。譲がそう言うと、諒は頬にキスを落として、床から部屋着を取ってくれた。自分のスマートフォンもベッドヘッドから取りつつ、何やら入力している。 『無理しないで。疲れが溜まりすぎてるんだよ』 「疲れてると勃たないって言うよな……」  譲は諦めて部屋着を着始めたが、ふとその手を止める。 「……それ、どうするの」  譲の目線の先には、しっかり勃ちあがったものがあった。諒はそれを一瞥して、スマートフォンに打ち込む。 『風呂場行って抜いてくるけど』  一旦そこでスマートフォンを見せるのを止めて、諒は続きを入力する。 『譲が抜いてくれたら嬉しいな、なんてね』  譲がスマートフォンから顔を上げると、諒に妖艶に微笑まれる。ほんとうにこいつはもう。譲は目の前が真っ赤になった。  譲はベッドサイドの棚からローションを出して、諒のそれに塗りたくり、執拗に擦った。すると諒の腰は無意識にかくかくと揺れ、譲の太ももに置かれた諒の手に力が入る。 「ほんと、快楽に弱いよな」  譲はひとりごちた。普段は落ち着いていて物腰穏やかな諒は、セックスになると快楽に溺れる。普段の理性的な面はどこかへ行き、素直に気持ちいいを享受する。  は、は、と吐かれる息が浅い。諒の限界が近づいている証拠だった。勃ちはしないもののそういう欲求のある譲は、諒に意地悪がしたくなった。 「ちんこいじっててもドライでいけんの?」  諒の方が身長はあるもののさほど差のないふたりは、譲は雄の表情で、諒は真っ黒の黒目を蕩けさせて見つめあった。 「アナルセックスしてたらほぼドライでいくよな。じゃあ普段からそれでいけるよね」  いじわる、と諒の口が動いた気がした。譲はお構いなく擦るスピードを上げる。ついでに鈴口を押さえつければ、諒はあっけなくドライでいった。  射精後の独特の疲れに襲われた諒は、譲の肩口におでこを乗せて、荒い息を整えている。手持ちぶさたの譲は、優しく諒の背中を撫でていた。  しばらくして、諒が顔を上げた。満足そうに微笑を浮かべる諒に、譲は部屋着を渡す。着替えながら、諒は器用にスマートフォンをいじった。 『うちに転職してくれば? システムエンジニアとお菓子じゃ違うけど、他業界への転職もよくあることだし。俺は採用担当じゃないから、確実に採用してあげられるわけじゃないけど……』  情後の雰囲気はどこへやら、諒は譲にスマートフォンを見せた。 「でも今、大きめのプロジェクトが動いてるからな……」  布団をめくりながら、譲は言った。新卒で入って五年目、責任ある立場を任されるようになってきて、今回のプロジェクトではサブリーダーになっている。 「ブラックすぎて辞めたいけど、今辞めるのはさすがに申し訳ないっていうか……」  お互い横になって、顔を見ながら会話を続ける。布団の中にスマートフォンを持ち込んだ諒は、文字を打ち込んでいた。  譲とは対照的に、諒はホワイト企業に勤めている。定時で帰れる諒と、日付を超えるか超えないかの帰宅ばかりの譲とでは、顔を合わせられる平日が少ない。それが、諒の中で不満だった。いくら話せなくても、話さなくても大体分かるとはいえ、心配になることだってある。 『譲が倒れないか心配』  諒は決然とした顔で譲を見つめた。譲が読みきったのを感じると、諒はまたスマートフォンに文字を入力した。 『俺は、譲とご飯を食べてセックスして一緒に寝るのが幸せなんだよ』 「……。……明日もあるから寝る。おやすみ」  譲は寝返りを打って目を閉じる。髪の間から、耳が赤くなっているのが諒からよく見えた。
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