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シャワーを浴びて黒川がリビングに入ると、ちょうど俊樹がテーブルに皿を並べているところだった。
「黒川さんもビール飲むでしょ」
「そうだね」
幸せというのはこういう時間のことを言うんだろう、と思いながら席に着く。
「ああそうだ、来週、土曜日の夕方に帰ります」
冷蔵庫からビールを取り出しながら、明日の天気は晴れです、とでも言うような口調で俊樹がそう告げた。
「何か用事?」
黒川は幸せな時間が少しだけ削られたような気分になったが、つとめて何でもない風を装って答える。
「研究室のOB会があるんです。一つ上の先輩が結婚するんで、それのお祝いってことで」
「仲が良いんだね。僕はゼミのメンバーと卒業してから一回も会ったことないよ」
「そうですね、うちの研究室は結構雰囲気良かったですよ。まあでも、大体学部の四年から修士まで三年間いるわけだから、わざわざ波風立てようって人は普通あんまりいないですよね」
「なるほど、そういうものか」
俊樹がビールをコップに注いで、いただきますと手を合わせる。
黒川もそれに倣って手を合わせ、目の前の皿に箸を伸ばす。
20年近く前に経済学で学士をとった黒川にしてみれば、一昨年材料工学で修士を出たばかりの俊樹の大学生活はいつ聞いても新鮮だ。
カルチャーショックかジェネレーションギャップか、と思ったところで、黒川の脳裏におとなしそうな青年の顔が浮かんだ。
『研究室の同期です』
『まあ、さっきのは元カレなんで――』
黒川はばっと顔を上げて、俊樹を見た。
「その飲み会って――」
俊樹はそんな黒川の様子を、きょとんとした顔で見ている。
黒川はその表情を見てはっと我に返った。自分は何を言おうとしているのだ。別に俊樹を疑っているわけでもないのに。
「何時からなの? 来週、どこか出かけても良いかなって思ってたんだけど、ちょっと難しいかな」
「そうですね、飲み会は19時集合なんですけど、できたら部屋でゆっくりしたいです。でも、もし来週じゃないとまずいようなら、」
「いや、全然そんなことないよ。あ、この煮物おいしいね」
「本当? 良かった、ちょっと砂糖入れすぎちゃったかなって思ってたんですよ」
心から嬉しそうな俊樹の笑顔を見ても、黒川の心は晴れないままだった。
研究室の同期ということは、当然ながら俊樹と同い年かせいぜい一歳か二歳年上くらいだろう。
自分と付き合っているくらいだから、俊樹は年上が好きなんだろうと黒川は勝手に思っていたが、案外そうでもないのかもしれない。
それならなぜ俊樹は自分を好きでいてくれるのか。
この幸せを少しでも長く維持する方法を、と思考を巡らせても、せめて俊樹に失望されないようにしなければ、という陳腐な考えしか浮かばなかった。
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