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プロローグ
いけねえ。遅刻だ、遅刻。
昨日のこの時間には夕立があったのに、今日は一転してカラッとした夏日。肌が痛いなぁ。信州には海がないから、都会ほどジメジメとした息苦しいモワッとするような蒸し暑さはないけれど、その分標高が高いため紫外線が強くて日差しが刺さる感じがする。入道雲もさることながら、ギラギラと輝く太陽がまだ空高く眩しい。
でも今の僕にはそんなのどうでもよく、ただただ重たい楽器ケースを抱えて走っていた。急がなければ間に合わないと必死で、背丈よりかも高いトウモロコシ畑の日陰を見つけては、そこを沿うように駆け抜けて行く。日陰に入るだけで体感温度が下がる。気持ちいい風が吹き抜ける度に、エアコンの効いた部屋で寛いでいるよう。沿道には町内会で植えられたマリーゴールドや向日葵たち。黄色やオレンジの鮮やかな色が目に飛び込んでくる度に、こちらも元気がもらえた。
そこへ祭りのはじまりを知らせる空砲のような花火の音が鳴り響く。祭りの集合時間は午後五時だから、まだ十分ほどはあると腕時計を見て自分を落ち着かせた。そして僕は改めて楽器ケースの肩紐を強く握り直し、商店街大通りの会場目指して坂を下っていった。
祭り当日に遅刻したら先輩たちにどえらい怒られるのは必至だし、一緒に参加する奏多にも迷惑がかかる。だから急がねば!
今日は田舎町の盆祭り。迎え盆から始まる恒例行事は、盆祭りを境に送り盆へと続く。帰省客と一緒に過ごすこのお祭りは先祖を敬うためのものであり、夏休みの終わりを告げる風物詩でもあった。
僕たちはお盆が過ぎれば、すぐに二学期が始まる。都会ほど夏休みは長くはないのだ。だから短い夏休みを彩る最後の晴れ舞台がこの盆祭りというわけで、みんなこの祭りに青春をかけていた。
「ワッショイ、ワッショイ」
竜神様をかたどった神輿を担いで進む氏子の衆たち。勢いが竜の如く周りに伝搬していく。氏子の子供たちもそれに混じって大きな声を張り上げ団扇を煽っていた。祭りだ、祭りだと商店街に設置されたスピーカーからも声がする。
マイクから地元DJコパンの発声と共に有志のバンドマンたちによる竜神ダンスミュージックの生演奏が始まった。それに合わせて各町会から集まった踊り子たちが飛び跳ね、歌へや踊れの大合唱が続く。
小学校からは四年生の生徒たちとその親が強制的に参加。この日のために猛特訓をさせられる。列になって披露するのが習わしだ。中でもイケてる男子たちは一層格好良く動きを見せるために緩急をつけたり、大袈裟なステップを刻んだりして自分をアピールして周りをあっと言わせていた。
「オメエら、今日は思いっきり弾けろ!」
「そ~れ!」
掛け声が大通り中に響き渡る。急ぐ僕は、なんとか会場裏手に到着すると荷物をそのまま放り投げ、楽器ケースから借り物のトロンボーンを取り出した。
体中汗だらけで気持ち悪い。とりあえず顔の汗をタオルで拭い、決められたベアスキンというロンドン兵風の大きな黒い帽子を被ってパレード用の身支度を整えていく。
次に並ぶは商工会による月夜踊りをする年寄りたち。藍色の浴衣姿で扇子を持つ年寄りたちは和太鼓と笛の音で後押しされていく。
タタンガタンと手拍子に合わせて月を愛でるように踊る様は、昔から踊り伝わっていた舞踊だけあり、誰もが気軽に踊れるゆっくりとしたリズムだった。地元のお爺ちゃん、お婆ちゃんも自然と体を揺らしだす。
「はぁ~、今宵も綺麗な月夜じゃ。めでたい、めでたい」
三歩進んでは一歩下がる年寄衆。ゆっくりながらも前の神輿を追うように進んでいく。その最後尾が商店街の角を曲がって宮前広場へ向かう頃、ようやく次のアナウンスが流れた。
「最後に登場するは、我が町のシンボル!」
露店で縁日を楽しんでいたお客さんたちから一斉に拍手が上がる。
そして水神を模した水色のコスチュームに身を包んだ小学生から高校生の男女五十人が登場した。バトンを片手に持って彼ら彼女らが整列する。その後ろにはヨーロッパの楽団風白衣装を着た吹奏楽団たちの姿も。
僕もその一員で、ドラムの前にいたトロンボーンの列になんとか滑り込めた。皆、緊張した様子でそれぞれのパートに分かれて並んでいる。
「毎年恒例のバトントワリング&吹奏楽団によるパレードの始まりだ。みんな応援よろしく」
「よっ、待ってました」
沿道から酔っ払いたちの盛大な拍手が湧き起こる。それと僕たちの雄姿を見るために集まってきた両親たちからも大きな声援が上がった。カメラのフラッシュが辺り一面を照らす。
スマホを覗きながら喋る斗真と瑞希の姿も遠くに見えた。
「ルーちん、頑張って。来年はシングル狙ってよ」
「勿論だに!」
「後藤、あんま無理すんなよ」
「は~い」
「みんなも楽しんでね」
「躍れ! バトンガールたち......なんつって」
二人が後藤流花とその周りにいるバトン女子たちへ声援をおくっている。
「伊集院くん、遅いよ」
「わりい、奏多」
「別にいいけどさ」
「それより今日は流石に緊張すんな〜」
「自分も」
「でもさあ、斗真の奴、また女ばっか応援しちゃってるぜ。僕たちもいるってのによ」
「いいじゃない。伊集院くんもその方が気楽でしょ? それより後藤さんに声かけて来なくていいの?」
「流花に? いいよ別に。応援なら、これでするからさ」
軽くトロンボーンを掲げた。緊張からか、トロンボーンを握る手が強張る。だけど僕にはこれしかないから、これで彼女を応援するしかなかった。
そうして一旦落ち着いた頃に、先頭からホイッスルの音が鳴り響いた。はじめのドラムの一打に併せて一斉に五十本のバトンが宙を舞う。
僕はそれを後ろから眺めながら、行進の歩調に合わせて、前の人にぶつからないようトロンボーンを構えて出番を待った。
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