夏の魔物

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「容疑者は夏の魔物に取り憑かれちまったのかねぇ」 ぽつりと呟けば、若い巡査が興味深そうに振り返った。 「夏の魔物ですか! 警察学校で習いましたよ。梅雨から夏にかけてなぜか猟奇殺人がふえる。特に6月は残虐事件が目立つってやつですよね!」 「なんでお前はそんなに嬉しそうなんだ?」 「だって、不思議じゃないですか? 立川のホテル死傷事件、神戸連続児童殺傷事件、大阪の池田小学校襲撃事件、秋葉原通り魔事件、横浜港バラバラ殺人事件。日本中を驚愕させた大事件が軒並み6月に起こってるんですよ? 他にも神奈川の津久井やまゆり園事件やカレー毒物混入事件、京都アニメーション放火事件は7月だし。夏の魔物の正体を突き止めたら、署長賞もらえますかね?」 「アホなこと言ってないで、さっさと帰って調書まとめるぞ!」 一人の女が恋人を殺して自死を遂げた、それだけのこと。店主は店を汚されたと騒ぎ、同僚は捜査に好奇の目を注ぐ。 容疑者の死はただの事象で、そこに弔いの心はない。 巡査長は憂う。 (いつからこんな世の中になってしまったんだろう? 人が死んでも悼みもしない。これじゃまるで道路に転がる夏のセミと一緒じゃないか) 遠くでヒグラシが鳴いている。 カナカナカナカナ…… 物寂しい夏の夕暮れにヒグラシの声はよく似合う。 夏の魔物が忍び寄る気配に、巡査長はゾクリと身を震わせた。
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