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プロローグ
「夢?」
「そうそう。将来やりたいこととか、なりたいもの」
「将来か……」
困った顔をする俺に、雫しずくははにかんで補足する。
「もっと簡単に考えよ。大人になったらやってみたいこととか、興味があることとかでいいからさ」
俺はしばし考えた。ただし一度思いついてみれば、それは実に簡単なことだった。
いま自分が我慢していることは、大抵が「子ども」という理由で出来ないことばかりだったからだ。そうとなれば答えはすぐに出る。俺は自信満々に答えた。
「ケーキが食べたい」
「は?」
「たらふく美味しいケーキが食べたいかな。2個や3個と言わずに」
ところが、俺が真剣に導き出した答えを雫は笑い飛ばした。
「あはははは! ケーキ、ケーキってぇ」
「なんで笑うんだよ! そういうことじゃないのかよ!」
「あは……はあ……うんうん、まぁね、確かにそういうことだよね」
まるで大人が子どもをあやすような雫の態度に、俺はさらにイラッとする。そんな俺に気付いてか気付いていないのか、雫は微笑を浮かべたままフォローらしいことを言ってきた。
「今の私たちじゃ食べられて精々1個だもんね。大人になったらケーキぐらい何個だって買えるだろうし」
「……雫はなんだよ」夢、と付け加える。
「うーん、私は……お菓子の家に住む!」
「……俺と変わらないじゃん」
「は? 違うから。家だよ家! ケーキが100個あっても足りないんだから」
雫の表情から笑みが消えた。代わりに向けられた歪んだ視線に、俺はさっきまでの自分を思い出す。それは時を巻き戻しているようだった。
だから俺も、丁寧なフォローを入れてみる。
「お菓子の家なんて今の俺たちじゃ作れないもんな。だいいち、月1000円の小遣いじゃ材料揃えられないし」
「そうだよ。まっ、私はもっと貰ってるけどね」
こいつは……。
「んふふっ」
譲ったことを本気で後悔した俺に、雫は悪戯っぽく笑ってみせた。いつも雫は俺を揶揄うときにこんな笑い方をする。それがふたりの時間の象徴でもあった。
小競り合いをしながら、俺たちは互いの夢を出し合った。そして俺が言った夢も、雫が言った夢も、ふたりで一緒に叶える夢ということにした。互いに夢を出し切った頃にはもう、野菜を煮込んだような匂いが公園に漂っていた。
腰を掛けるベンチの正面には大きな木が1本ある。
てっぺんに差し掛かる太陽は、中心に火を通したように赤く燃えている。
それは、帰宅の合図だった。
「もう時間だね」
「うん。じゃあまた」
あの頃の俺たちは毎日のように公園に集まった。何をするわけでもなく、ただひたすらに喋って、時が訪れれば家に帰る。そんな日常が永遠に続いていくものだと、俺は心のどこかで思っていたのかもしれない。
そして、もっと輝かしい出来事がこの先に待っている。こんな馬鹿げたことも本気で思っていた。
今が人生のピークだとも知らないで。
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