1. 2025年3月6日 side A オーロラ

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 母は22歳の頃交際をしていた男性がいて、その年の冬に妊娠が発覚した。そのときお腹にいたのが私だった。だが途端に彼の態度がよそよそしくなりついに連絡が途絶えてしまった。一度は絶望したものの、母は私を一人で産んで育てることを決めた。経済的にも精神的にも不安定な母を支え、子育てを手伝ってくれたのが母の通っていた大学の友人でもあったマディソンだった。母は元々男性が好きでマディソンに対して恋愛感情はなかったが、彼女の持つ類稀なる絵の才能と人や育児に対する献身的な姿勢に惹かれたらしい。2人で行う育児という、気の遠くなるように過酷だがそれを上回るくらい幸せな共同作業を通し2人の間に不思議な絆が育まれ、ごく自然に恋愛関係に発展したのだという。  元々画家であったマディソンは私のために全面真っ白な落書き部屋を作ってくれた。マディソンと一緒にカラフルなペンキのバケツに手を突っ込んで、壁にベタベタと手当たり次第に手形をつけたことを覚えている。彼女はまた素敵な絵本をたくさん買い与えてくれ、毎日寝る前に読んでくれた。  だがそのうちマディソンが仕事の都合でロンドンに行かなくてはならなくなった。母は私を連れて彼女について行くことも考えたという。2人は何度も話し合いを重ねた。2人ともシドニーの土地を愛していた。降り注ぐ太陽の光、人々の笑い声、困っていれば誰かが当たり前のように手を差し伸べてくれる環境ーー。マディソンにとってこの地を離れることは苦渋の選択だった。2人が何より一番に考えたのは私のことだった。慣れ親しんだ故郷を離れ新しい環境に飛び込むことは、母子共に精神的負担が大きい。最終的に2人が下した決断は、私が成長するまでの間母はシドニーに残り、この場所で育児を続けるというものだった。  だがロンドンに移住後もマディソンは1人で子育てをする母と私のことを気遣い、経済的な支援を続けてくれていたらしい。  母とマディソンはその間も電話やメール、時に手紙で連絡を取り合っていた。そして今回マディソンから届いた手紙の内容はこのようなものだった。
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