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≪2≫ 禁忌の森
*
ひぐらしの鳴き声が聴こえる。
高く澄んだ青に、何処までも広がる緑。錆びたバス停の看板の隣には、ぽつんと置き去りにされた朽ちかけの木製のベンチ。ノスタルジアに浸るつもりはない。それでも素直に寂しいなとは思う。
「何年ぶりだろう」
少女が吐くようなか細い独り言は、田舎特有の美しい空気に溶けて消えた。地に足がつかない心地のまま、うろうろと視線を彷徨わせることしか出来ない俺のかわりに、聖は耐久性の怪しいベンチへと男らしく腰を下ろす。下ろして、息をのんだ。
「ち、あき、アレ」
聖の声と共にふわりと浮いた指先。その先を追い掛けて、止まる。
「……早紀?」
すらりと伸びた手足に、高い位置で綺麗に束ねられている長い髪。面影はある。ちゃんと早紀であると認識はできる。けれど、あの窶れ方はなんだ。痩せたなんてレベルではない。
俺と聖は顔を見合わせ、早紀のもとへと足を進めていく。焦り、慌てる俺達とは相反し、早紀は微動だにしない。厭な胸騒ぎがした。
「早紀、お前、」
それは本当に一瞬の出来事。
「ゔああああぁぁあ゙あァァ!」
俺の手のひらが彼女の肩に触れるか触れないかのところで突然奇声を上げたかと思えば、こちらへ一瞥もくれることなく走り去っていく。残された俺達はただ呆然と立ち竦むことしか出来なくて。
「なんでだよ、早紀」
小さくなっていく早紀の後姿を見つめながら、俺は堪らず目を伏せた。無意識の内に美菜と重ねてしまったのかもしれない。叫びも、奇行も〝怯え〟も、彼女によく似ていたから――だから、
「千秋?」
「っ、」
聖の声で我に返った俺は、自分の身体の異変に頭を抱えた。
「………最悪だな」
全身から噴き出す汗、小刻みに震える肢体。
でも、顔は笑っていた。笑っていたんだ。
〝あんなこと〟があって。綾が何者かに殺されて、早紀は狂っていて、この村に帰って来て。それでも俺は高揚している?
何年経っても消えなかった罪の意識。後悔を、心からの懺悔をしなければと思っていた。あの気持ちは偽物だったのだろうか。俺は今、あの頃の自分に戻っている。残酷で、子供で、鬼のような。
『ああ、死んだのか』
反吐が出る。
堪らず激しく頭を振り、ずしりと重たい荷物を持ち上げた。
「……行こう」
「ああ、そうだな」
聖は俺の数歩後ろを着いて歩いて来るだけで、それ以上は何も言わない。ありがたいなと思う。昔から、聖はそうだ。そういう奴。
ざわざわと森が騒ぐ。
ひぐらしの鳴き声はピークを迎え、空の端が少し赫く染まり始めていた。まるで血の色のような、綺麗な赫色に。
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