プロローグ

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プロローグ

 麗らかな午後の日差しが、街路樹と石畳を照らす。ここはセントラル・フォートネス学園。将来有望な若人たちが、次代の英雄となる事を夢見て、日々研鑽を積み重ねる学び舎だ。  血と戦を知らない、制服姿の学生たちが行き交う中、2人の来訪者が通り過ぎた。年齢は20代半ば。括りとしては若者に分類される彼らだが、その身にまとう気配は異質だった。  使い古された外套(がいとう)の裾が、微かに浮かんでたゆたう。風もないのに衣服が揺れるのは、その強大過ぎる魔力によるものだ。そんな2人が、平和に慣れ親しんだ人々の間を、血の臭いと共に追い抜いていく。否が応でも悪目立ちした。 「何だあいつら、侵入者?」 「こんな昼間から、それは無いだろ。お客さんじゃないのか」  不審な視線を浴びせられた2人は、気にも留めず、そして学生らを値踏みする事もない。ただひたすら、目当ての場所に向かって歩き続けた。  そうして辿り着いたのは、学園内の理事長室。2人のうちの片割れが、扉を静かにノックした。 「入りたまえ」  扉越しの声は、理事長の年齢通り、しわがれていた。2人は無言のままで室内に足を踏み入れた。 「ふむ……見慣れぬ御仁。どなたかな?」  理事長は、窓辺で椅子に腰掛けつつ、来訪者に視線を向けた。浮かべた笑みには、赤の他人ですら受け入れる柔和さがある。 「東方ヒノカミからやって来た。アシュレイだ。こっちはオレの手下。名を覚える必要はない」 「何やら、強烈な魔力を感じるかと思いきや、得心しました。武神アシュレイ殿、ご高名でしたらかねがね」  武神と呼ばれた男は、僅かばかり言いよどむ。しかし、それも束の間で、態度を元に戻した。 「我々は、雑談をしに来たのではない。商談だ」  アシュレイは連れに目配せを送り、麻袋を卓上に置かせた。縦にも横にも膨らんだ袋は、その自重に耐えかねて倒れた。袋の口から、黄金色の眩い光が煌めいている。 「500万ディナある。これで、魔獣殺しの剣を譲って欲しい」  男はそう告げるとともに、静かに指差した。指し示す先、理事長の頭上には、大振りな剣が飾られている。  漆黒の鞘、柄にもコジリにも飾りのない、無骨な剣。一見すれば無銘の剣だ。その宝剣と呼ぶには程遠い品を、破格の金額で買い求めようと言うのだ。  この話に理事長は、顔色を変えなかった。少し身じろいだ事で、椅子を微かに軋ませただけだ。 「随分と急なお話ですな。魔獣殺しの剣、別名ビーストスレイヤー。これが決して、雑多な武器でない事はご存知ですか?」 「承知している。だから500万も用意した。この国では小城が建つ額面だ」 「国宝級の剣です。当学園が開かれてより300年。時のウェスピリア皇帝より賜り、誇りと、学園の象徴として戴いた名剣です」 「誇りでメシが食えるものか。それとも何だ。難癖つけて足元を見る気か?」 「金の多寡を、申しているのではありません」 「承諾しろ。長生きしたいだろう」 「金で転ばねば恫喝。悪くない手ですが、いささか若過ぎますな」  理事長が、微かに咳を漏らした。すると、室内は途端に凍てついた。石壁もオーク木のテーブルも、意匠細やかな絨毯も、その全てが氷り始める。  この異変に、アシュレイは平静を保って受け入れた。しかし連れ添いは、しきりに顔を左右に振り、驚愕の声をあげてしまう。 「こ、これは、氷結結界!? 術式も無しに……!」 「やはり備えがあったか。想定どおりだ」 「この老骨、衰えたとはいえど、まだまだ戦えます。強盗相手ともなれば、遠慮も要りませんな」 「この野郎! アシュレイ様を盗人呼ばわりするか!」  手下が杖を構えようとするのを、アシュレイは手で制した。 「よせ、クエン。争いに来た訳じゃない」 「でも、この侮辱……。八つ裂きにしなくちゃ、腹の虫が治まらねぇですよ!」 「理事長殿。非礼を詫びる。許してくれ」 「そうですか。まぁ、こちらとしても、戦うメリットは薄いですかね」  理事長は今一度、咳払いした。すると辺りの光景は一変。凍てついたはずの空間は、平常を取り戻した。 「話を戻そう。どうか剣を譲ってくれ。500でダメなら1千、いや、2千でも用意してみせる」 「まったく……金の話では無いと申し上げているのに」 「毎日押しかけるぞ。頷くまで」 「そうですか。どうやら、本気のご様子……」  理事長はアシュレイから顔を背け、窓の方を向いた。慈しむような、あるいは憐れむような眼だ。その視線の先では、質素な武具で身を固めた若者達が、中庭で談笑している。 「ビーストスレイヤー。伝説の名工が、自身の命と引換えに遺した、世に2つと無い名剣。その刀身の美しさに魅了された神々は、絶大なる祝福を授けたと。そう伝えられています」 「剣は遣ってこそだ。飾りなら宝石という物がある」 「これをどう扱うかは、所有者が決める事。外から口出しされるいわれは有りません」 「では、どうあっても譲らぬと?」 「急ぎすぎです。性急と迅速は別物ですよ」  理事長は、卓上のカップを掴み、紅茶をすすった。生ぬるい。その絶妙な温度感に、思わず顔をしかめた。 「剣は、譲りましょう。ただし金品の類は結構。要りません」 「何が目的だ?」 「先程も申したでしょう。この剣は誇りであるとともに、学園の象徴であると。ならば、剣と同等の栄誉。千年過ぎても翳(かげ)らぬ偉業を、我らの為に成し遂げていただければ……」  話途中で、連れのクエンが食って掛かりそうになる。すかさずアシュレイは、後ろから封殺した。 「こんのクソジジイ! もう許さねぇ! よりにもよってアシュレイ様をアゴで使おうなんざ……モゴモゴッ!」 「分かった、何かやれば良いんだな。魔獣退治か、それとも武術大会で……」 「勘違いなさらぬよう。アシュレイ殿に直接、手を下してもらう必要はありません。それではアナタの名声が上積みされるだけ。当学園の誉れとはなりませんからな」 「回りくどい。一体何をさせる気だ」  その時、理事長は座ったまま椅子を回した。そうして正面に向き直ると、破顔にも似た笑みを浮かべた。  さすがのアシュレイも寒気を覚え、1歩だけ後ずさる。 「当世一の武神と名高き、アシュレイ・ロード・オーミヤ殿。貴殿には我が校の生徒を育てあげ、何がしかの偉業を成し遂げていただきたい」 「……ハァ?」 「これは、と感じた生徒を各学科から集めた、特別なクラスがあります。そこで講師として指導し、彼女たちを立派に育てあげてください」  臨時講師として働け。それが提示された条件だった。アシュレイは自分の耳が信じられず、その場で3度ほど聞き返してしまった。 「オレに講師をやれと?」 「ええ、そう申し上げました」 「これは冗談だ、そうだろう?」 「とんでもない。大真面目です」  繰り返し尋ねても、返答は変わらず。講師として活躍する他に、道は残されていなかった。  
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