プロローグ

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プロローグ

 “彼について”知っていることは、それほど多くない。  名門高校の三年生。頭脳明晰。容姿端麗。家柄良し。  そこまで揃っているのに、性格も悪くない。  欠点といえば、かなりの偏食と、特殊な性癖。  彼からのメッセージ「週末、部屋で待っています」に対し、「仕事が入らなければ行きます」と返した。  そして、金曜日。  残業も休日出勤も言いわたされず、友人知人からの誘いもないままに、退社時刻をむかえた。  会社を出る前、携帯を開き、「いまから向かいます」とメッセージを送る。  重い足どりで歩いても、会社の最寄り駅近くにあるタワーマンションにはすぐに着く。  高級ホテル並みの意匠がこらされた広いエントランス。そこには今日も、背の高い美人のコンシェルジュが立っていた。 「こんばんは」  そう声をかけ、(お前は誰だ?)という顔をされる前に名乗ろうと、口を開きかけたが、それをさえぎって「おかえりなさいませ」と、上品な笑みをそえた丁寧なおじぎが返された。  そして、どのタイミングで操作したのか、おじぎと同時に、左手の自動ドアが開く。  一般の住民は、エントランスの右側に向かう。  そちらにある集合ポストの奥が、一般住居用のエレベーターホールだからだ。  左手にあるドアは、ペントハウス専用。  ペントハウスの住人、もしくは住人に招かれて事前に連絡が入っている人だけをコンシェルジュが見分け、左手のドアを開けるのだ。  つまり、コンシェルジュの審査に通らなければ、ペントハウス用のエレベーターの前に立つことすらできないということだ。  そこを顔パスで通過した僕は、コンシェルジュの女性に軽く礼をし、左手のドアをする抜けた。  専用エレベーターには、開閉ボダンがない。  操作パネルに手をかざすと、ゆっくりと扉が開いた。  手のひら認証だ。  中の操作盤も、開閉ボタンやフロアの数字は書かれていない。ただ、パネルに手をかざすだけ。  そうすると、ゆっくりドアが閉まり、上昇を開始する。  他のタワマンのセキュリティがどんなものなのか僕は知らないけど、ここがかなり高水準だろうとは察せられる。  つまり、ここに住む住民には、それだけ用心をする必要があるということ。  実際に彼は、幼少期に誘拐されそうになったことがあるらしい。  成長したいまも、営利目的の犯罪に巻き込まれる可能性は、僕のような一般人よりはるかに高いだろうし、それ以外にも、彼の容姿にひかれたストーカーに悩まされることもあるのだろう。 (でも、このマンションの最高のセキュリティは、これらの最新機器じゃあないんですよ。実は、コンシェルジュは全員、何かしらの武術の有段者なんです。だから、危険なことが起きたら、女性だからと遠慮しないで、助けを求めてくださいね)  表向きはコンシェルジュと名乗っているが、実は保安員なのだそうだ。  このマンションに不法侵入する者にとって、最難関は手のひら認証などではなく、入り口に立つ彼女たちというわけだ。  美人ぞろいのコンシェルジュの実態が武闘派だなんて、だれも予想できないだろうから、確かに最強のセキュリティかもしれない。  なめらかに最上階に到着したエレベーターからおり、ペントハウスの玄関ポーチ(いや、広さ的にホールか)に入ると、そこに彼が待っていた。 「おかえりなさい」  189センチの僕とそんなに変わらない身長。でも、頭は一回り小さく、腰の位置も少し違う。  そんなモデルばりのスタイルだけでなく、甘く整った顔立ちまであわせもつカースト上位の男子高校生、伊佐見埜生(いさみやお)だ。  その後ろには、家政婦の吉田さんも出迎えてくれていた。  40代半ばくらい、中肉中背。おっとりした面立ちで、優しい口調の、いかにも家政婦という雰囲気の女性だ。 「お疲れ様でした。お食事はもう少しで出来上がりますから、先にお風呂へどうぞ」  そう言いながら、僕のカバンと上着を受け取ってくれる。  その荷物を、彼女から奪い取りながら埜生が言った。 「吉田さん、あとは僕がするから、今日はもう帰っていいです。土日も来なくていいですから」  埜生の言葉に、吉田さんは小さくうなずいた。 「冷蔵庫に作り置きがありますし、棚の中も補充してあります。ほかにご入用な・・・」 「甘やかしすぎだよ。一人暮らしの意味がないじゃないか」  彼女の言葉をさえぎって、ため息交じりに埜生が言った。  吉田さんは微笑みながら、「それでは、これで失礼させていただきます」といい。手際よく身支度をして部屋をあとにした。 「食事、吉田さんが横についていたけど、ちゃんと僕ひとりで作ったんですよ。もう少し煮込んだ方がいいから、どうぞ先にお風呂に入ってきてください。あ、でもその前にちょっとだけ」  そう言って、埜生が僕の首に腕をまわしてきた。  そして、首筋に顔を埋めて大きく息を吸う。 「いい匂い」  顔をあげてうっとりとつぶやき、今度は僕の唇に自分の唇を合わせた。  最初は軽く感触を楽しみ、次に舌で僕の唇をわり、口内をねっとりと舐めまわす。  僕は、生まれも育ちも、そして資質も、いたって凡庸な人間だ。  こんなタワマンに出入りするのもなじめないが、同性の、しかも高校生とセフレ関係になるなんて、もっとなじめない。  なぜ、こんな事になったのか・・・
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