冬子.7

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冬子.7

 年齢は私よりも少し上くらいだろうか、彫りの深い、痩せて神経質そうな顔をしていた。あくまでも人工的な明かりに乏しい真夜中の集落である。つぶさに見て取れるわけではなかったが、こちらも新兵衛とはまた違った雰囲気の、だが美男子と言える男であるように感じた。  全くもって気付かなかったが、私と安生が連れてこられたあばら屋の側に、人が住んでいる家が普通に建っていたのだ。男は、その家の軒先から私を見ていた。  「こんばんは」  私の方から声をかけると、家の戸板に背を預けて立っていたその男は何度も目を瞬かせ、 「こんばんは」  と返した。とても低い声だった。喉の深い部分を振動させて出すような、地声がそうなのだろうか、私はその、やや怯えているような雰囲気もある彼の声に、自分でも予想外の心地良さを感じた。 「今、おひとりですか」  問うと、 「い、いえ」  と男は視線を家の中へを走らせた。中にも人がいるよ、というそれは合図的な視線ではなく、無意識に家の人を気遣うような目付きだった。  何となく、男はこの村の住人ではないような気がした。 「私、今日、この村に来たばかりで」  言うと、 「あ、私もそうです」  とやはり男はそう答え、一歩前に進み出て来た。薄っすらとした月明かりに、大きく見開かれた彼の瞳がきらりと光っていた。 「どちらから」  と聞いてみた。「私は、東京です」 「私もです」 「本当に?奇遇ですね、お互いに東京から、こんな山奥まで」 「驚きました。……あの、その煙草は?」 「ああ」  私は火のついた煙草が今も指の間に挟まっていることを思い出し、条件反射で足元に捨ててしまった。 「実は拾ったんです、今、この家の裏手で。この赤いライターも」  何故だか私は、自分の煙草でないことを口に出さずにいられなかった。女が煙草を吸っているからと言って、私自身は何とも思わないれど。 「それ、私のだと思います」 「え」  まさかそんな。卑しくも他人が落とした煙草を勝手に吸って、それを目の前で捨ててしまった。ポイ捨て自体許されたものではないが、それよりも落とし主の前でという点に、私の羞恥心に火がついた。 「い、いや」  男は慌てた様子で両手を前に出した。「責める気はありません。むしろ拾って下さって助かりました。丁度煙草を吸いたいと思って外に出て来たものですから。良ければもう一本、付き合ってもらえませんか」 「あー……」  初めて吸ってみたら不味かった、とは言い出せなかった。拾いものに勝手に手をつけたばかりか吸い切ることなく捨てたのだ。さすがにこれ以上の無礼をおかすわけにはいかない、と感じた。  男は私の手の中の煙草ケースから片手で器用に二本取り出し、一本咥えてもう一本を私に差し出した。私は何を思ったのか、その煙草を手で受け取らずに直接唇で咥え取った。すると下唇が男の指に触れてしまい、頬が燃えるように火照った。だが男は意に介さない様子で赤いライターを擦った。僅かに顎を傾け、前髪が燃えぬように上手い角度で煙草の先端をあぶり、そのまま私の口元へ火を近づけた。  すう、と、吸う。 「はあー……」  さっきよりも勢いを抑えて煙を吸い込む。今度はむせなかったし、何なら一度目よりは煙に味わいを感じた。甘い、いい香りもした。  その男は自分を、ヤソリイチであると名乗った。八十理一と書くらしい。  私は自分を、冬子だと名乗った。一応は「驟雪慕情」にてメジャーデビューした歌手であるが、理一は私のことなど知らなかった。  理一は無言で煙草を吸った後、 「じゃあ」  と言って険しい表情を浮かべた。 「何ですか?」 「……いえ、何でもありません」 「何か言いかけたじゃありませんか。何ですか?」 「大した話ではないのです」 「なら仰ってくださいよ」 「ううーん」  本当のことを言えば別に興味などなかった。ただ、夜だからというのもあるだろうし、鬱蒼とした山奥の廃屋の前に立っているという現実もあって、同じ東京暮らしの親近感から少しだけ積極的になっていただけである。話すのをやめた所で、安生の待つ汚い家の中に戻っていくしかないのだ。 「実は」 「はい」 「何と言うか」 「はい」 「おかしな話を、聞いてしまいまして」 「おかしな。ほお」 「私自身いまだに心の整理が付けられず、それでどうにも眠れずこうして家の外に出て来たわけなんです」 「なるほど。何か問題が起きたわけですか」 「問題と言う程のことはまだ起きていないのですが、おそらく、ここに長居すれば何かが起きることは間違いないのだろう、と」 「それは怖いですね。やめてくださいよ、私も今日来たばかりなのに」 「すみません。……冬子さんでしたか?」 「はい。冬子です」 「ひとつだけ聞いてもよろしいですか」 「年齢以外のことでしたら」 「……おいくつですか?」 「理一さん」 「すみません、何となくこの場はそう言うべきなのかと思って」 「リードしちゃいましたね。十九です」 「え!?」 「噓です。二十三です」 「す、すみません、答えさせてしまって。私は二十六です」 「聞いてませんよ」 「……すみません、そうですよね」
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