リイチ.4

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リイチ.4

 年増の女は、驚いたことに私の母とは同年代の、所謂幼馴染であるという。ということは、まだ五十手前である。顔は確かによく見えなかったが、地面を照らす月光に浮かぶ体躯はお世辞にも細いとは言い難く、またその声質からしてさらに年嵩の女を思わせた。  ともかく母は大いに喜んだ。私は一瞬、母の会いたかった人物こそがこのタミエなる幼馴染だったのかと錯覚した程である。  ところが、軒下にぶら下っていたランタンのような明かりを手で捻って灯したタミエの顔は、ゾッとする程険しい表情を浮かべていた。母が人間違いでもしたのかと思ったが、そんなタミエの口から発せられた言葉は私の推測を早々と打ち消した。 「何でェ、戻って来たんじゃ?」  とタミエが聞いたのだ。それは確かに、お互いが見知った間柄であるからこそ出る言葉であった。すると母は真面目な顔で顎を引き、 「死ぬ前に、爺さんの墓前に手を合わせたかった」  と答えた。怪訝そうに眉を顰めるタミエを見て、私はようやく自分の出番が回って来たと一歩前に出た。 「息子のリイチといいます。母は」  ガンに侵され余命僅か、東京の病院で死ぬるよりは故郷であるこの村を最後の居場所と決めて戻って来たのです……と、ひと息でそう打ち明けた。タミエは予想外に形の良い目を見開いて私を見つめた後、音のない溜息を漏らしてからこう言った。 「ほいでも、お前は引き返したほうがええの」 「私、ですか?」 「何で?」  当然のごとくそう尋ねる母に、 「村は、コトちゃんがおった時と、なぁんにも変わっとらせんのよ」  とタミエは答えた。訛りがきつくそこばかり耳につく、が、タミエの言葉は何とも不穏な響き含んでいた。母がいた頃と村は何も変わっていない、そのことが、我々が引き返した方がいい理由となるのはなぜなのか。 「今、村の長は誰なの?」  母がそう問うと、タミエはちょっとの間考え込むように押し黙り、やがて、 「ヨシユキさんじゃ」  と言った。母は途端に身を固くさせ、口を閉じた。  私はそのヨシユキという名に心当たりがなく、 「今どちらにいらっしゃるんですか」  とタミエに問うた。当然この時はまだ、挨拶に伺うことが当たり前の礼儀であると思っていたのだ。タミエは私の顔をじっと見て、 「お前の母ちゃんの家じゃ」  そう答えた。 「ヨシユキさん言うんはお前の母ちゃんの父親じゃ。お前の爺ちゃんや」 「私の」  つまり母は、タミエの口から村の長が自分の父親だと聞かされ青ざめているのだ。もともと青白い顔の人ではあったが、思いも寄らぬ事実を突き付けられて動揺している、そんな風にも見えた。だが私はそれが納得出来なかった。そもそも村を治めていたのは祖父(私の曽祖父)であったと母自身がそう口にしている。であるならば、その子供が跡を継いで村の長になっていても些かも不思議ではない。何なら赤の他人が治めていると聞かされる方が驚くべきことなのに、母は明らかに実の父親の統治を異常なこととして捉えてるように見えた。  だがそれでも、 「一晩だけ泊めたるけえ、明日の朝早うに帰れ」  と言うタミエの提案に、母は首を縦にふらなかった。 「決めたことだから」  消え入りそうな声で囁く母を見つめて、タミエは酷く悲し気な表情を見せた。同情に似た思いがあったように思う。にも関わらず、 「コトちゃんはそいでも、お前よ、お前は明日、帰った方がええけ」  この村に骨を埋めたいという健気な母の意志を汲みつつも、頑なに私の逗留を拒んできた。流石に私も傷つき、 「何故ですか」  と食い下がると、 「お前は言わなくていい」  母まで私に向かってそう諭し始めた。「お前だけ、明日の朝いちばんに麓まで下りなさい」 「そういうわけにいかないさ。母さんだって、体の事、自分が一番よく分かってるだろ?」 「お前がそういう子だってことは母さんもよく理解してるわ。だけどね理一」 「今この村に母さん一人放っておいて自分だけ帰るなんて、そんなこと出来るわけないだろうが!」 「し、声がでけえ」  タミエに促され、私たちは彼女の家に入った。
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