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リイチ.6
「ヨシユキさんって人は、母さんの実の父親なんですよね。許さないって何をですか、村の風習ってのは一体何ですか?」
聞くと、タミエは私の目をじっと見て、
「生業よぅ」
と言った。
「なりわい? 仕事という意味ですか?」
――― 誰の。
――― 何の。
私が続けざまに尋ねると、
「若干人が増えたっていうのは」
不意に母が割って入って来た。「依頼人が今この村にいるって、そういう話ね?」
「そうや」
とタミエは頷いた。
母は息を呑んで、正座していた両腿の上に置いた手をギュウと握り締めた。私には母が、もの凄く怖がってるように見えた。
「何人、くらい?」
恐る恐る尋ねる母に、
「詳しいは知らん」
とタミエは視線を下げた。「ヨシユキさんとこに話を持って行った男が一人と、順番待ちになっとってキョウサクさんが受け持つことになるかもしれん男女に一組会うたが、ヨシユキさんとこはもう始まっとるさけえこの後も何人か村に入ってくるじゃろうな。そっちは、家族総出で来るらしいわ」
母は顔を上げられないまま、
「フウ」
と震えた溜息を吐き出した。
「なぁんにも、変わってなど、おらんぞ?」
タミエはそう言い、母はようやく顔を上げて私を見た。その後に食った、タミエ手作りの晩飯の味は、全くもって覚えていない。
私はその晩母の口から、村の現状とタミエの言っていた風習についての話を聞き出した。母は言いたくない様子であったが、何も理解せぬまま母一人を残して逃げ帰るなど出来るわけがないし、単純に気にもなった。
「死ぬぞ」
とまで言われたのだ。気になって眠れる筈がなかった。
夫を事故で亡くしたタミエは現在一人暮らしをしているようで、手狭なマンション住まいと違って、家の中でもお互いに距離を取ることが出来た。古めかしい平屋ではあるが、部屋数は三つ四つあって、そこに便所や風呂場も加わるのだから、一人で生活するにはかなり広めの家だと言える。
私たちが泊めてもらった部屋はもともとタミエの夫が使っていた部屋で、他がほとんど物置になっている関係上、整理整頓が行き届いてるのがここだけ、という話だった。
特別な配慮などせずとも、普通に話す分にはタミエの寝室まで声は届かないと思われた。しかしそこは何となく不安と心細さが作用し、私たちは必要以上に小さな声で話をした。真夜中みたいな感覚だったのに、時計を見ると、まだ午後八時前だった。
「オンタテ……という、技法みたいなものが村には存在するのよ」
と母は打ち明けた。蚊の鳴くような声ではっきりとは聞き取れなかったが、村の名前になっているその技法を表す「怨」という文字に胸がざわついた。
「どういう技法なのさ。何のためにあるの?」
「うちの村は、代々……」
自給自足の農家村、ではなかったのだ。
私はこの夜初めて怨立村のことを知った。村がこんな山奥の僻地に存在する理由。実際にはどんな村で、過去にどんなことを行って来たのか。何故母は、自分の父親が村長を務めている事実にあれ程怯えたのか。それらのあらましを母なりのオブラートに包んだ言葉選びで聞き出した私は、その結果、明朝にもすぐさま村を出て東京に帰ろうと決意を固めることとなった。もちろん、母も一緒に村を出て行く。病を理由に拒んだ所で、腕を無理やり引っ張ってでも出て行く気でいた。
しかし実際には、私の望んだ結果にはならなかった。
オンタテのオンは、やはり村名に用いられている「怨」で間違いなかった。 タテも同様、その意味は、怨念を立てる。
村は昔から、人間が放つ怨念を基に依頼人の祈願を成就させるという技を駆使して仕事を請け負って来た、怨立師の村だという話であった。
「怨、立、師……?」
「大学まで出た頭のいいお前のことだもの。こんな話は信じられないだろうけど」
「い、いや」
残念ながら、荒唐無稽だと切って捨てるわけにはいかなかった。おそらくは霊媒師や呪禁師と似た性質を持つ技法なのだろう。内容はどうであれ、それと似た生業を持つ一族や村は、この日本にも確かに存在している。私はそれを偶然にも大学時代に学んでいるし、探せばものの本などいくらでも出て来ると知っていた。だから、果たして母の言葉が妄言であるか真実であるのかは、話を聞いてみなければ全く判断がつかないのだ。
では、実際にその怨立師が何をするかと聞けば、まずは依頼人から相談を受けて、どのように祈願を成就させるのかを確認する所から始まるという。
つまり、Aという依頼人がBという人間の不幸を願ったとする。それはこの場合「不幸」でも「破産」でも「事故」でも何でもいい。だが最も多いのは、やはりBを殺すこと。「死」を与える願いが最も多いらしい。というか、そうでなければわざわざ、人里離れた山奥に暮らす忘れ去られた村の連中になぞ頼るわけがないのだ。
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