転生と憎悪

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転生と憎悪

「ここはどこだ?」  気づくと、修平は見知らぬ応接室にいた。  部屋の中央には豪奢な絨毯に、深く沈む高級そうな二対の革張りのソファ、そして明らかに一流の職人の作品であると分かる精緻な彫刻がされた重厚なローテーブルが鎮座している。  修平はそのうちの一つに座っているが、部屋を見渡して感嘆した。  部屋の隅々まで主人の息の届いた、豪奢ではあれど嫌味のない洗練された部屋は美しく、一つの芸術作品のようだったのだ。  ただ一点、窓と扉がなく、部屋を出入りすることができそうもない点だけが異様だった。  壁を叩いて回っても、隠し扉の類があるわけでもない。床も駄目、天井も駄目、出れないというより、そもそもどうやって入ったのか分からない。彼を部屋に放り込んだ後で、壁や床を作って閉じ込めでもしたかのようだった。  それが現れたのは、訳が分からずに回らない頭を振ってソファに腰掛けた時だった。 「恐れることはありません」 「だ、誰だっ!?」  驚きに飛び上がり、思わずソファの後ろに転がり落ちる。  強かに打ってしまった腰をかばいながら、恐る恐る背もたれ越しに見やれば、さきほどまではいなかったはずの女が対面のソファに座っていた。  やけにすらりとした兎の面をつけた細身の女だ。ゆったりとした布を体に巻きつけただけの衣服だったが、不思議とみすぼらしいとは見えない。まるでそうあるべきだとでもいうようで、そう、しっくりくるという言葉がぴったりだった。 「お前、誰だ。俺をどうする気だ?」 「落ち着きましょう。とりあえず、あなたの敵ではありませんから」  座りなさいと身振りで示され、彼は逡巡した。  理解できない不気味さはあれど、確かに目の前の人物に敵意は感じられない。少しの迷いのあとで恐る恐るソファに戻った。 「結構。では、まず私が誰かというご質問から終わらせましょう。私は管理者です」 「管理……って、なにを?」 「世界を」  端的に答える女は、呆けた顔をする彼のために補足した。 「私は虚空の世界エクリドアを管理する二柱(ふたはしら)が一人、大地の聖母フィーレと申します」 「神様、ってことでいいのか?」 「そのように認識して頂いてかまいません」  なるほど、それならば納得である。  仁子に刺され、死んだのだろう。  となれば、ここは天国というわけだ。  そう納得したのも束の間、フィーレは首を振った。 「ここは私の住まう場所であり、天国ではありません。浅木修平さん。あなたは本来ならば輪廻の輪に加わり、あなたの世界で生まれ変わるはずでした」 「はずでした?」 「ええ。そのはずでした。ただ、一つだけイレギュラーが発生したのです」  どうやら危害は加えられないようだと納得してソファに戻ると、フィーレはどこからともなく取り出した紅茶のセットで紅茶を淹れ、目の前に差し出した。 「どうぞ、落ち着きますよ」 「あ、どうも。ありがとうございます」  一口飲めば、喉を通る芳醇な香りに体がほぐれていく。  紅茶自体が一級品とうこともあるが、ずいぶんと久しぶりにまともな物を口にしたのだと気づき、悲しいやら面白いやら、複雑な感情が浮かんだ。 「それで、イレギュラーとは?」 「ふふ。あなたもまた異端……紅茶一杯でそこまで落ち着き払う。死んで、神が現れ、輪廻を外れたと言われても変わらぬありよう。見込み違いではありませんでしたね」 「どういうことかな?」  何かが引っかかったが、それが何かはわからない。  ただ、妙な胸騒ぎがした。 「詳しく話す前に、まずは私達とあなたの世界の関わりについて話しましょう。それを理解せねば、先には進めませんからね」  そうして語られたのは、この世界が作り出された世界創造の神話だった。 ◆◇  あるところに創造の大神あり。  彼の大神は世界エクリドアを作り、そして新たな世界へと旅立った。  その時、大神はエクリドアへ神の種を残した。  残された種は成長し、大樹となってエクリドアを繁栄させる、そのはずだった。  だが、どうしたことだろうか。  種は闇に染まりかけ、完全に染まる前に二つに分かれた。  そうして世界には二つの柱が生まれた。  彼らの力は一柱では足りず、さりとて二柱で手を携えることはない。  相反する闇と光の種が結ばれぬまま、大神の力は薄れゆく。  世界に大神の偉大なる創造の力エクリドアは衰退していった。  ゆえにこそ、二柱は決断をする。  大神の力を引き込むしかない。  しかして、引き込んだとてその力は二分され、世界を潤すには至らず。  ならば、互いに相争い勝者が世界に百年の安寧をと確約したのである。 ◇◆ 「つまり、神様の代理戦争をしろってことですか?」 「簡単に言えばそうですね。神が見定めた使徒は、それぞれが創造の大神様が新たに作り出した世界の人間です。存在するだけで大神様の世界との門の役割を果たし、エクリドアに大神様の力を流入させます」 「そうしなければ世界が衰退する?」 「ええ、すぐにではありませんが」  フィーレが小さく頷いた拍子に、兎面の耳に結わえられた小さな鈴がちりん、と鳴った。 「しかし、問題が一つ。使徒一人では門が開けません。二人の使徒の力を得て、初めて大神様の世界への扉が開きます。ゆえにこそ、あなたには私の先兵として戦ってもらわねばなりません」 「好き勝手言って……無茶苦茶すぎませんか?」  横暴極まりない、と舌打ちを仕掛け、それでも神様の前だとかろうじてこらえた自分をほめてやりたい。  だが、そんな修平の気持ちなどどこ吹く風で、フィーレはにこりと微笑んだ。 「しかし、戦わなければあなたは死にます。すべての記憶を失い、果たして次は人間に転生するのかも分かりません。動物であれば良いほうで、植物かもしれませんし、あるいは虫という可能性もあります。それは望まないのでは?」 「それは……確かに嫌ですけど」 「ええ、ええ、そうでしょうとも。エクリドアに転生すれば、あなたはすべての記憶を保持したまま、さらに私から特別な力を得ることができます。要は相手の使徒を殺せば良いのです。ただそれだけで、あなたは英雄になれるだけの力を持ち、新たな世界を謳歌できるでしょう」  そこだけ聞けば、なるほど確かに素晴らしいことのように思える。人を一人殺さねばならないとしても、新しい人生を、人よりも優れた力を持って生きることができるというのだ。  しかも、断れば次の人生は人間ですらないかもしれず、前世の記憶もない。  修平は記憶とは経験であり、人間の根幹だと思っている。  それを失えば、生物ではあれど、修平とはとても呼べない。それはもはや別の何かでしかなく、修平というアイデンティティはそこで消滅するのだ。  矮小な考えかもしれないが、自分という個性を残すことができるというのはひどく魅力的な提案に思えた。  だが、やはり何かが引っかかる。  それが何かはっきりと言えないのが苦しく、苛立たしく足先がリズムを刻む。  フィーレがそれを咎めることもなく、優しい笑みを浮かべて待っているのが余計に苛立ちを加速させた。 「すべてお見通しとでも言いたげですね」 「ええ。もちろん」  なんとも腹立たしいふてぶてしさだった。  今度こそこらえることなく舌打ち一つ、目の前のフィーレという神への印象を一足飛びに数段悪化させ、考えを巡らせた  一体なにが引っかかっているのか、目の前のこいつは何を考えているのか。  そこで、はっと気づいた。 「あなたもまた異端(・・・・・・・)?」 「ええ、あなたもまた異端(・・・・・・・・)です」  その言葉が持つ意味に気づけば、次なる疑問が口をついて出た。 「何と比較して?」  すでに分かっていた。  だが、それでも聞くしかなかった。  案の定、フィーレはその言葉を紡いだ。  それはそれは、予想通りと言わんばかりの微笑みで。 「仁子ひまり(・・・・・)」 「やっぱり、か。あの女が相手の使徒だって言うんですか?」  死ぬ瞬間の恍惚とした仁子の笑みが脳裏をよぎり、苦々しく思った。 「はい。ガスの使徒は彼女です」 「ガス……敵の神様?」 「ええ。黒心の父神ガス、騒乱と欲望をつかさどる神です。彼女は実に力ある魂であり、同時にガスが好む異常な魂なのですよ」 「……異常っていうのは同意するけど、それでなんで俺なんだよ」  あの女から逃げて新しい彼女を作る、それが修平の望みだ。あえてもう一度会いたいなどとは思わないのだ。 「あまりにも強いのですよ」 「……誰が?」 「仁子が、です。誰を当てても意味がない。あれでは殺されて終わり、勝負が始まる前から負けが確定してしまうのです。歴代の英雄をそろえたとて意味がない……それほどの逸材なのですよ」 「それに対抗できるだけの強い魂とやらが、俺にも備わってるっていうんですか?」 「いいえ?」  だろうとは思ったが、あまりにもあっさりとした断言だった。  フィーレは駄々をこねる子供に言い聞かせるような調子で、優しく言葉を続ける。 「あなたの魂は実に平凡です。英雄とはほど遠く、吹けば飛ぶ木っ端と同じ。しかし、彼女はあなたに執着している。あれだけの魂を殺すには、その執着を利用するしかないでしょう?」 「当て馬じゃないですか」 「その通りです。ご不満でも?」  ないわけがないだろうと叫びかけ、平然と微笑み続けるフィーレには何を言っても無駄だと悟り、急激に力が抜けた。  これはもう何を言っても駄目だと理解するには十分だった。  取れる選択肢は二つ。  修平という個を捨て、人間になることを願って元の世界に転生する。  性悪の神様の手先になって、仁子の愛情を利用して仁子を殺し、平和に生きる。  どっちも最悪だが、何が最悪といえばその道筋が定められた迷路のような選択肢だ。  フィーレのしたり顔も納得の、その他大勢の木っ端のような修平にはどちらを選ぶかなど決まり切っているのだ。  自分を捨てるなんて、選べるわけがない。  特に、殺す相手が仁子ひまりだ。これがまだ見ず知らずの他人ならば悩みもするが、あの女を殺すことに躊躇するはずがないのだ。  愛情の裏返しは無関心というが、修平はそれに断固として異を唱えたい。愛情の裏返しは無関心ではない。  殺意だ。  あれを殺す、そして生き残る。  結論は最初から出ていたのである。 「あんたの思い通りになるのはむかつくが、新しい人生はありがたくもらってやる。いいか、思い通りになるわけじゃないからな」 「ええ、結構です。それでは、おいきなさい」  フィーレが手を振ると、彼の意識はすとん、と穴の底に落ちるように薄れた。  優しげな打算に満ちた女神の最後の言葉が、彼の耳に響いた。 「願わくば、あなたの人生に幸多からんことを」  余計なお世話だという返答は、最後まで返すことはできなかった。
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