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カーテンの隙間から射し込む日差しを感じ、久遠優月はゆっくりと目を開けた。なんだかぼんやりとする頭と視界。今、何時だろう。あれ? そういえば僕は神社で……。何かを思い出しかけた瞬間、ヒンヤリとしたものがそっと額に乗った。
「ヒッ」
その冷たさに思わず飛び起きたものの、頭がクラッとして膝の間に顔を埋めた。
「大丈夫ですか?」
横の方から小さな声がした。
……声?
僕は一人暮らしだ。家には僕以外誰もいるはずがない。流人が来ているのか? いや、今のは確かに女の子の声だった。
優月はゆっくりと顔を上げ、恐る恐る声のした方を見た。
「わっ……!」
「まだ具合、悪いですか?」
そこには色白で小柄な、どこかのアニメにでも出て来そうな女の子が、心配そうな顔でこちらを見上げて座っていた。長めの髪をツインテールにしているせいか、かなり幼い印象を与える。
「え……?」
どうして自分の部屋に見知らぬ女の子がいるのだろうか。混乱した優月がなかなか言葉が出ずにいると、少女は細い腕を静かに伸ばしてきた。優月の額に再びヒヤッとした感覚が伝わる。
「熱はだいぶ下がったみたいですね。よかった」
「熱……? そんなことより、キミは誰? どうして僕の家にいるの? 」
「迷惑、でしたか……?」
少女は悲しそうな顔をした。
「いや、そうじゃなくて……。キミがここにいること、お母さんとかお父さんは知ってる?」
「わたしにはお母さんもお父さんもいません」
「あ……ごめん。……じゃあ、他のお家の人は? キミがいなくて心配してるんじゃない?」
「大丈夫です」
「そうなの……?」
目の前にいる少女のことは何1つわからなかった。そういえば昨日は、どうやって帰ったんだっけ。まさか、無意識の内にこの子を誘拐なんかしてしまったのだろうか。
「……ねえキミ、いつからここにいるの?」
「昨日の夕方からです」
「昨日の夕方……か。なんだかあまり記憶がないんだけど、もしかして、僕がキミを連れて来ちゃったのかな?」
「違います。神社で倒れていた優月くんを、わたしが連れて来たんです」
「ちょっと待って。僕が倒れてた? 連れて来たって、どうやって? それに、どうして僕の名前を知ってるの?」
「えっと、それは……」
優月がつい質問攻めにすると、少女はうつむいて黙ってしまった。
「たくさん聞いちゃってごめんね。……まずはキミの名前、教えてくれる?」
優月は優しく問い掛けた。
「雪野羽咲、です」
「羽咲ちゃんか。お家はどこ?」
「ありません」
「え……?」
何か複雑な事情を抱えていそうな羽咲に、優月は困り果てた。
「うーん、困ったな……っくしゅん」
くしゃみを1つした優月は、部屋の温度がやけに低いことに気が付いた。手を伸ばして机の上からリモコンを取り、その画面に表示された18という数字を見て優月は絶句した。
「……寒い、ですか?」
優月の様子を見て羽咲が不安そうに尋ねた。そういえば羽咲はずっと、袖のない真っ白なワンピース一枚でも平気な顔をしている。
「あ……うん、ちょっとね。いつもは25℃の設定だから……。羽咲ちゃんは、そんなに薄着だけど寒くないの?」
「わたしはあったかいのが苦手なんです」
「そうなんだ。 じゃあ夏は大変な季節だね」
「はい。夏は生きていられません」
「えっ?」
不思議なことを言う子だと思った時、カバンの中からスマホの着信が鳴っているのが聞こえた。
「ごめん、ちょっと電話出るね」
布団から身を乗り出してカバンを漁る。着信の相手は流人だった。
「もしもし、流人?」
「優月! ったく、やっと繋がったよ。全然連絡取れないからスゲー心配したんだぞ」
電話の向こうで流人が安堵している様子が伝わってくる。
「ごめん、ずっと寝てたみたいで」
「今家か? それとも病院か?」
「家にいるよ?」
「様子見に行ったら優月いなくなってたからさ。まあ、先に帰れって言ったのは俺だからいいんだけどな。無事に帰れたなら良かったよ」
「でも僕、どうやって帰ったかあまり覚えてなくて」
「そうなのか? もしかして途中で倒れたりしてるんじゃないかって、ずっと心配してたんだ。やっぱり家まで送れば良かったかなって。……で、調子はどうだ?」
優月には何の自覚もなかったが、今は自分のことに構っているどころではなかった。
「あ……うん、もう大丈夫だよ」
「そうか? なんか声震えてる気するけど。俺、今からそっち行くわ」
「え、いや、ちょっと流人?」
優月が何か言う前に、既に電話は切られていた。声が震えているのは、恐らく部屋の寒さのせいである。しかし、なんとなく羽咲がいる間はこのままの方がいい気がして、優月は冬用の上着を取りに向かった。昨日から何も食べていないからか、水分が不足しているからか、少しフラフラする。上着を着て戻ると、羽咲が再び悲しそうな顔をして、小さく座っていた。
「エアコン、寒くしちゃってごめんなさい。昨日優月くんの身体、すごく熱かったから冷やしてあげたくて……」
布団に腰を下ろすと、昨日の出来事を少し思い出した。
今日から神社で開催される夏祭りの準備を手伝っていた優月は、日中の暑さからか途中で気分が悪くなり、境内から離れた木陰で休んでいた。流人から渡された水も飲む気になれず、少し休めば良くなると思っていた体調も徐々に悪くなり、家に帰ろうにも助けを呼ぼうにも動けなくなってしまった。そこから先の記憶は全くないが、何かとても心地の良い冷たさに包まれていたような感覚が残っている。それが羽咲と何の関係があるのかはわからないが、きっと羽咲が何らかの方法で助けてくれたのだろう。
「今までずっと、羽咲ちゃんが1人で僕のこと看病してくれてたの?」
羽咲は小さく頷いた。
「そっか、頑張ってくれたんだね。羽咲ちゃんのお陰で、僕は元気になったよ。ありがとうね」
そう言って優月がそっと頭を撫でると、羽咲は嬉しそうに微笑んだ。
「そうだ。助けてくれたお礼がしたいんだけど、何がいいかな?」
「お礼なんていいです」
「でも……。あ、じゃあ今日のお祭り、一緒に行こうか。そこで何か好きなもの買ってあげるよ」
「お祭り?」
「そう。毎年神社でやっててね、最終日には花火が打ち上げられるんだ」
「花火……!」
そのワードに羽咲の目が輝いた。
「わたし、花火が見てみたいです」
「わかった。じゃあお祭りは明後日行こうか」
「うん!」
嬉しそうな羽咲を横目に、優月は羽咲をどうするか考えていた。本人は大丈夫だと言っていたが、今頃どこかで羽咲を探して大騒ぎになっているかもしれない。優月は何か手がかりを得ようと思い、羽咲に尋ねた。
「ねえ、羽咲ちゃんは昨日どうして神社にいたの?」
「えっと……」
少し答えづらそうだったが、優月は答えを待つことにした。
「わたしはいつも、あそこにいるんです」
「いつも?」
「はい。生まれてから12年ぐらい、ずっとです」
想定外の答えに、優月は戸惑った。つまり、羽咲は神社に住んでいるということだろうか。優月の中で様々な妄想が膨らむ。
「神社にずっといるなら、お祭りがお礼じゃつまらないよね?」
あえて羽咲の事情に踏み込むことはせず、代わりにそう尋ねた。
「そんなことないです。お祭りが開催されていることは知っていたけど、参加したことはありません。だから、嬉しいです」
「じゃあ、もしかして花火も?」
「見たことありません」
「そっか……」
羽咲がどんな生活をしてきたのか、優月にはもう想像もつかなかった。
「あのさ」
「?」
「……お祭りの他に、何かやってみたいこととかない?」
なんとなく優月は羽咲のことが放っておけなかった。このまま追い返すのも何か違う気がして、もしも他に願いがあるのなら叶えてあげたいと思った。
「やりたいことは、ありません。でも……」
「何でもいいよ。言ってみて」
「もう少しだけ、優月くんと一緒にいたいです」
「え……?」
思いがけない返事に、優月は困惑した。
「花火の夜まででいいです。それまで優月くんと一緒にいられれば、それだけでいいです」
「それは、明後日までここにいるってこと?」
「だめ、ですか……?」
「いや、僕はいいんだけど……」
「わたしのことなら大丈夫です。花火を見たら、必ず帰ります。だから、お願いします」
何かを察したように、羽咲が優月を真っ直ぐに見つめて言った。
「……わかった。じゃあ、3日間だけ。よろしくね、羽咲ちゃん」
「ありがとう、優月くん」
そう言って羽咲が優月に抱きついた。羽咲の、体温というより冷気のようなものが身体を包みこみ、優月はまたくしゃみをした。
「あ……ごめんなさい。優月くん、大丈夫ですか?」
「ああ、うん。平気平気」
羽咲はすぐに優月から離れ、心配そうに優月を見ている。
「大丈夫だよ。それより、何しようか」
時刻は午前11時。今日の集合時間まではまだまだあるので、羽咲と何をして過ごそうか考えていると、インターホンが鳴った。
「あ、流人かも」
ドアを開けると、大きなレジ袋を抱えた流人が立っていた。
「すごい荷物だね」
「優月にいろいろ買ってきたんだよ。てか、何でそんなに厚着なんだ?」
「あ、これは……」
「邪魔するぞ」
優月の話も聞かず、流人は部屋の奥へと進んで行った。
「なんかこの部屋寒くね? 熱中症の次は風邪引くぞ。……って、ん?」
「どうかした?」
「いや、この子は?」
流人は、部屋の隅に座っている羽咲を指さした。
「ああ、なんていうか……。僕の、親戚の子? みたいで。少しの間預かることになったんだ」
本当のことを言うと面倒なことになりそうだったので、そう言ってごまかした。
「へえ……。こんにちは。俺、優月の幼馴染みの浜屋流人です」
「……流人、くん」
「ああ、よろしく」
そう言って右手を差し出した流人を、羽咲はなぜか少し怯えた様子で見ている。
「怖がらなくて大丈夫だよ、羽咲ちゃん。流人は優しいやつだから」
「キミ、ウサちゃんっていうんだ。かわいい名前だね」
そう言われて、羽咲はそっと流人の手を握った。
「冷たっ! ……あ、ごめん。ちょっとびっくりして」
咄嗟に羽咲の手を離してしまった流人は、驚いた表情で優月を見た。
「やっぱこの部屋寒いよ。エアコンの温度、もっとあげた方がいいって。ウサちゃんも冷えちゃってるし」
「いや、これでいいんだ。ちょっと事情があってさ」
「は? よくわかんねえけど、俺もう帰るわ」
「そっか。じゃあまた後で」
「いや、今日は優月欠席だろ」
「え? 僕も行くよ」
「ダメだ。まだ本調子じゃないだろ? 幼馴染みナメんなよ。ほら、スポドリとか買ってきたから、部屋寒くてもちゃんと飲めよ」
「でも……」
「でもじゃない。祭り中に倒れたらどうするつもりだ? つー訳で、ウサちゃん、優月のことよろしくな。んじゃ、また明日な」
それだけ言って、流人は帰って行った。流人が残していった袋の中には、スポーツドリンクの他に、アイスやレトルトのお粥などが入っていた。
「羽咲ちゃん、何か食べる?」
昨日から何も食べてないであろう羽咲に声を掛けると、羽咲は首を横に振った。
「遠慮しなくていいよ。お腹空いてるでしょ? 飲み物もいろいろあるし」
「じゃあ……それ、食べてみたいです」
羽咲が指さしたのは、かき氷風のアイスだった。
「これでいいの?」
「はい。それがいいです」
アイスを渡すと、羽咲は目をキラキラさせながら、夢中で食べ始めた。そんな様子を見て癒されると同時に気が抜けた優月は、今まで感じていなかった頭痛と倦怠感を覚えた。
「ごめん羽咲ちゃん、僕少し寝るね。ちょっと頭痛くて……。何かあったらすぐ起こして」
そう言って優月が布団に横になると、羽咲が静かに近づいて来て、優月の額にそっと触れた。
「熱い……」
そしてそのまま優月の隣に横たわった。
「羽咲ちゃん……? でも、気持ちいいな……」
優月はすぐに眠りに落ちた。
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