18人が本棚に入れています
本棚に追加
沙羅が生まれる前、確かに私はアイドル界の末席にあった。と言っても、国民的グループの一員ではなく、地下アイドルの一員でもなく、在住している市の、ローカルアイドルグループの「練習生」だった。
そのグループは、事実、二枚のCDを出している。ネット直販限定のもの。大手通販サイトや店頭では手に入らず、フリマサイトで稀に出品される程度の無名なCDだ。
私は「練習生」だったから、歌唱の録音には参加していない。でも「練習生」だったからこそ、その歌を唄えなければならかったし、振り付けだって懸命に覚えていた。
統括プロデューサーの猪野さんという男性は、私に約束したんだ。
『あと三ヶ月したら、正規メンバーにする。だから頑張るんだぞ』と──。
私が籍を置いていたグループは、十二歳から十七歳までの少女たちが、地域発展と自己肯定のために、基本的に無給で参加していた。やや広域な部活動のようなもの。私は十六歳だった。学校が休みのときや長期休暇の際には、商業施設やお祭りや老人ホームなどを回って、そこにいる人たちに拙い歌を届けていた。
「練習生」は、私を含め三人いて、仕事をするときは完全な裏方だった。機材の配線も覚えたし、短時間で椅子を設置することも、身体の不自由な方を誘導する術も身に着けた。
正規メンバーは当時一年以内に三人脱退することが決まっていて、三人の「練習生」はもれなく正規メンバーになれるはずだった。
でも、ある日、統括プロデューサーの猪野さんは、全メンバーを集め、口調強くして言った。
『来月をもって、グループを解散にすることにした。きみたちの中に、ルールを破った者がいる。恋愛は禁止だと何度も言ったろう。誰とは言わないが、その禁を破った者がいるんだ。よって連帯責任として、グループは解散する』
悔しがる子がいた。烈火のごとく怒る子がいた。誰がルールを破ったかと問い詰めて回る子がいた。誰だって、グループを存続させたかった。恋愛は仕方がないことだと分かっていても、猪野さんにバレた愚かな子が憎らしかった。
結局、私を含めた「練習生」は昇格することなく、グループは解散となった。大々的なイベントなんて行えないが、最後にミニコンサートぐらいはやると思っていた。だけど、動画投稿サイトで解散の報告を行い、ホームページに形式的な文章を載せただけで、私たちが青春の一部を捧げた活動は泡沫のようにこざっぱりと消えてなくなってしまった。
最初のコメントを投稿しよう!