おもひで奇譚1話「広島の思い出」

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かなり昔に、私が独り暮らしを始めて、生まれて初めてパソコンを買いました。 その頃はまだ携帯はガラケーで、インターネットはパソコンが主流だった頃の私の実体験を「おもひで奇譚」の最初に話させて貰おうと思います。 独り暮らしで1人の時間を持て余すと、パソコンにハマって、その内懸賞に応募出来ると知って、SNSに懸賞を応募する為に入りました。 そのSNSで人気ランキングで何時も1位の女性がいて、知的で優しくて猫が好きで、私も彼女Hさん(仮名)が大好きになり、暫くしたらHさんに「今度直接会いたいね!」と、突然言われて私が「どこまでの切符を買ったら良いんですかね?」と、聞き返したのですが彼女曰く「東京や大都市に住んでる人って一方的に地方の人が自分の地元に来るのが当たり前って人が多いのに、篠原さんは自分から行こうと思う人なんだ、ますます気に入っちゃった!」 トントン拍子に話は決まって、ゴールデンウィークが終わったあたりが旅費が安いと思い、5月半ば頃、彼女の住む広島県へ新幹線で向かいました。 初めてで改札の場所を間違えたりしましまが、無事にHさんと合流出来ました。 なんとなくブログの文章の雰囲気から、立ち振舞が美しい人のイメージがありましたが、Hさんはスラリと背の高い黒髪のサラサラのロングヘアーの思った通りの美しい人でした。 彼女は旅行に私が携帯と財布しか持って来なかったのを大爆笑してから、急に真顔になり、私の側に来て声を潜めてこう囁きました。 「篠原さんのブログ読むと篠原さんは霊感あるって私は解るの、私も見える方だけど、何時も見えないフリをしてるの、これから平和記念公園へ行くから篠原さんも見えないフリしてね…」 彼女はまたいつも通りの笑顔に戻り、趣味や仕事や広島の街にアニメイトがある話や、繁華街を通って、テレビで何回か見た事のある平和記念公園へ着きました。 私は、彼女に言われるまで、自分に霊感があるとはそんなに自覚してませんでした。 平和記念公園の真ん中に、テレビの慰霊祭の中継でお馴染みの慰霊碑があるのですが、その慰霊碑の上に、竜巻や黒煙の様な塊が地表から空に向けてびっしりと禍々しいモノが見える…。 それは良く見ると、真っ黒に炭みたいになった人間で、恐ろしい数が絡まり合って天を埋め尽くしてる地獄絵図でした…。 漫画で霊団と呼ばれてるモノです。 それを見て、私は内心葛藤しました、広島の原爆の死者はまだ苦しみの中にあって、彼等は私達人間が戦争を止めるまで、ここに存在し続けるんだ、それは永遠に近い地獄なのかも知れない。 自分が、戦争を止められるに足る人間なのか…。 その時、今の時代を生きる責任の重さに、息苦しさを感じて、手を合わせられませんでした。 心の中で平和を祈りました。 平和記念公園の被爆して今も立ってるポプラの木も、ずっと何かを怒ってる感じがしました。 その時、姉からメールが携帯に着信して、昨日駅前のルミネで買ったブレスレットの丸いタグに英字で文字が刻印されてて、それを写メして姉に解読を頼んだ返事でした。 「この文字は、多分聖書からの引用で 悪を 悪を 繰り返すな 平和の為に行動しなさい って書いてあるよ」 丁度今手首に身につけてるブレスレットが、不思議に広島の原爆とメッセージが繋がってました。 それから、広島の原爆が投下された、中心地点へも行きました。 Hさんは何人も広島を案内をしていて、中にはカメラで上空へシャッターを切る人もいたそうです、その方も何かメッセージを誰かに伝えたいと感じて、そうしたのでしょうか。 原爆ドームは保存を国が行わないので、どんどん倒壊を始めていて、教訓のシンボルとしても大切なのですが、記念公園の霊団が原爆ドームが壊れたら公園の外に溢れだすのではと、不思議な確信がありました。 その後、Hさんと翌日も一緒に観光する為に、広島風お好み焼きを食べてからホテルまで送って貰いました。 私はホテルの横がコンビニだったので、2lのミネラルウォーターや1Lの麦茶やら、大量に冷たい水分を買ってホテルに1人でダブルベッドの部屋にチェックインしました。 ホテルのデスクにグラスやお茶やペットボトルを並べ、被爆して水を求めて彷徨った方に供えました。 そして、戦争や原爆を失くせる人間ではない自分を心から詫ました。 そして、この地から受けたメッセージをずっと伝えて行くと約束しました。 それから明日へ向けて寝ようとしたのですが、5月なのにとても苦しいぐらいに暑くて、ちょっと普通じゃないなと、ベッドから出てテレビをつけました、そして冷たい麦茶を飲んでいると。 「ありがとう!」 若い女性の声が近くでハッキリと聞こえました。 テレビかな?と振り返ると国営放送で外国の風景とクラシック音楽が流れていて、テレビでは無いようでした。 旅行から帰宅して、数日後、夢で知らない土地で電車に乗っていて「あ、これは夢の中だ、ここはどこだろう?感覚では東京からかなり遠くの気がする、試しに下車して駅名を覚えて起きてみよう」 夢枕1では、夢が異世界だったら地名は覚えて帰るなと言ってましたが、この夢は現実世界に近い場所だったと感じてました。 起きたらパソコンを立ち上げて、夢で見た駅名を検索しました。 駅名は「布」 検索すると「きぬ」と読むと分かりました、駅はずっと昔に広島の安芸にあり、廃線になっていてもうない駅名でした。 そしてふと、広島で「ありがとう!」と言ってくれた被爆した女性は、原爆投下の日に偶然安芸から広島に出て来て犠牲になったのかと、感じました。 こういう感じに、霊を見たり、夢でメッセージを感じるのも、体質や遺伝や脳の接触不良の問題とも関係はあるとは分かってるのですが、私は理論的な事より、ふわっとしたイメージで物事を感じる性質を持っていて、私も自分は霊感がある事にはずっと半信半疑で居ます。 それでも関連はあるのでは?と感じて、文字にしています。 そして、広島の外の人間からすると、広島は大勢の人間が酷い殺され方をされた土地のイメージが、教科書や学校の学習で印象が強いと思うのですが。 本当の広島は、北が山で平野を何本も川が流れていて、海の幸が豊かで、とても祝福された繁栄してる素晴らしい場所です、宮島の穴子の美味しさや瀬戸内海の海の綺麗さ、こんなに都会でも自然が豊かで素敵なところです、是非皆さんも広島へ行ってみて、1人でも平和を祈る人が増えたら、世界も変わるんじゃないでしょうか。 この広島の体験を、何年も前にSNSに投稿しました。 その時、Hさんもコメント欄にコメントをくれました。 「この日記を読んだら、理由がわからないのに涙が溢れてきて、自分では言おうと思ってないのに「ありがとう」って呟いてたよ!」(Hさん) ーENDー ・後書き 実体験だと、ネットの怖い話みたいに、ゾッとはしないかも知れませんが、何回かこんな体験をして来ているので、また機会があったら別の話を披露させて貰いたいと思っています。 よろしくお願いします。
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