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青年は少女に声をかけて起こすことにした。青年が少女を一瞥した際に気がついたのだが、シャツの首回りの糸が解れている上に黄ばんで汚い。おそらくは洗濯をロクにせずに、何日も同じ服を着ている着た切り雀なのだろう。育児怠慢の被害者なのかもしれない。
「おい、ここ俺の席なんだけど?」
少女は寝ぼけ眼を擦りながら微睡みの縁より呼び戻された。それと同時に腹の音がぐーと鳴る。
「あ、ごめんなさい」
少女はゆらりと力なく立ち上がった。全身をフラフラとさせながら自分の席へと戻っていった。
「親の顔が見たいよ」
青年はそんなことを思いながら修士論文の作成の続きに入るのであった。
それから一時間後、青年は尿意を覚え用を足しにトイレへと立ち上がった。用足しを終えて席に戻ると、再びあの少女が青年の席に座っていた。
「おいおい、いい加減にしてくれよ。おい? 起きな?」
青年は再び少女に向かって語りかけた。怒気が込もっている。
少女は目をパチパチと瞬くと、体勢を低くして周りを伺った。その目線はカウンターの奥に僅かに見えるキッチンに向いていた。
すると、少女は信じられないことを青年に言い出した。
「ここの席、いていい? 自分の席に戻ると店員さんにおこられちゃう」
「はぁ?」
青年は首を傾げた。
「けいさつに連れて行かれてママに心配かけたくないの」
警察とは穏やかな話ではない。青年は困ったように額をボリボリと掻きながら舌打ちを放った。
「話、聞こうか?」
少女は満面の笑みを浮かべながら勢いよく頷いた。それから自分の事情を語り始めた。
「えっとね、あたし桃原ぷりん!(ももはら ぷりん)」
「え? ぷりん? マジで言ってんの? この名前」
「うん、ぷるぷる震えるあのプリン。可愛いでしょ?」
青年は苦笑いを浮かべてしまった。噂に聞くキラキラネームの実際をこんな形で見ることになるとはと驚くばかりである。それに、ぷりんのこの態度を見る限りでは名前を恥ずかしいと思う様子は微塵もない。世も末だ…… 青年は人様の名前を馬鹿にする程、育ちが悪い訳ではないが、ぷりんの名前を前にして複雑な気持ちになるのであった。
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