3、楽園の扉、漏れ来る光-1

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3、楽園の扉、漏れ来る光-1

 写真が上がって来た。  郁也は佳織とそれを真志穂の部屋へ見に行った。  専門学校を卒業して美容室に勤めた真志穂は、縁あって地元で活躍するアーティストの元に弟子入りした。今は師匠の仕事のある日は荷物持ち、ない日は師匠の経営する美容室に出ている。  休みも飛びがちな真志穂を郁也は心配するが、本人はいたってあっけらかんと「あたし、身体は丈夫なんだよね」と笑い飛ばす。今日は店休日で師匠の仕事も入っていない。 「わあ……」  佳織が歓声を上げた。 「いくちゃん。いくちゃんも、早くおいでよ」  郁也はリビングに向けて広く刳り抜かれた対面キッチンで、紅茶の支度をしながらぐずぐずしていた。勝手知ったる真志穂の部屋。真志穂はその収入とは全く釣り合わない豪勢な処に住んでいる。繁華街にほど近い高級マンションだ。  郁也はゆっくりとポットとカップをトレイに並べ、のろのろとふたりの許へ運んで行った。 「ほら!」  佳織が満面の笑みで開いたそれを郁也へ向ける。郁也は迷うような一瞬のあと、渋々受け取った。  つややかな頬が幸せに輝き、摘み上げたような唇は微笑みの形に端が上がる。白い裾を長く引き頭上にはティアラが燦めいて。花飾りが平らな胸をふんわり隠してくれていた。  胸を突かれた。  無言の郁也を他所に、佳織ははしゃいで言った。 「キレイだねえ。やっぱり花嫁衣装って、特別な感じがする」  真志穂は「かおりちゃんにも結婚願望あるんだね」と感心したように言った。「にも」って何ですか「にも」ってーと佳織は不服そうにする。  出来上がった写真の送り先を訊かれたとき、郁也は自宅の住所を言えず真志穂の部屋にして貰っていた。郁也は立ち上がり、窓から外を眺める振りをした。 「まほちゃん。お婆さまの遺産って、まだ残ってるの」 「どうしたの、突然」と真志穂が振り返った。  郁也は頸を振った。 「ううん。別に。ただ、ここのお家賃って結構するんだろうなと思っただけ」  真志穂はべえっと舌を出した。 「まだもう少し残ってる。ごめんね。いくちゃんの分も来てるんだもんね」 「いいんだよ、そんなこと。仕方ないよ。お婆さまの遺言だもん。淳子サンとボクには、一円だって遣りたくなかったんだ。それで亡くなったひとの気が済むんならさ」  暮らしに事欠いてる訳でもないんだしね。そう郁也は付け足した。  身内の話に口を挟むのはどうかと佳織が様子を覗っている。真志穂は佳織に説明した。 「ウチは早くに入植した一族でさ。土地があったんだよね。メインの土地は今でもウチの実家が酪農やってるけど、それ以外にもあちこちに色々あって。酪農も早くから大規模経営に乗り出してて、割に収益いいんだ。祖父が亡くなったあと長いこと祖母が実権を握ってたんだけど、溺愛する長男が自分の許を飛び出て、学者になったのが許せなくてさ。いくちゃんのお母さんを逆恨みして、自分が死んでも絶対何も分けて遣るなって言い残して死んだんだ。とんでもない我が儘ババアよ」  真志穂はそこで郁也の淹れた紅茶を飲んだ。 「ウチの母なんて、伯父さんに比べりゃ出来悪くて、何の期待もされてなかったから気楽なもんよ。たまたま酪農継いでくれるって親父と一緒になったから、棚ボタで全部手に入れることになっちゃって。まあ、収益いいって言ったって所詮あの業界でのことだから、ないよりあった方が助かるしね。本当はあたし、いくちゃんたちの分は別にして取って置いて、ほとぼり覚めたら分けようよって言ったんだけど」  郁也は慌てて手を振った。 「いい。要らない。そんなことしたら、あのお婆さま化けて出そう」  家は普通の勤め人だと言う佳織は、きょとんとした顔で聞いていた。 「へえ。あればあったで大変だってよく聞くけど。本当なのねえ」 「別に大変じゃないよ。お蔭さまでウチは別に困ってないもの。遺産なんてなくて結構。……でも、あのお婆さまとずっと一緒に暮らしてたまほちゃんたちは、大変だったろうね」  真志穂はぐっとカップの中身を空けた。 「あたしは反発する方だったから平気だったけど、母さんは気の毒だったな。あんなババアだけど、自分の親だからね。父さんに悪いなって、随分思ってたみたい」 「そんなに強烈なひとだったの、お婆さんって」と佳織。幸いにしてボクは何度かしか顔合わせたことないんだ、と郁也は言った。 「でも、ボクってほら、淳子サンにそっくりでしょう。怖かったよぉ、お婆さまのボクを見る目」  佳織ははあっと溜息を吐いて、再び拡げた写真に目を落とした。 「そうなんだあ。そんなにお母さんに似てるの、いくちゃん。いいなあ、キレイなお母さん」  そしてキレイな花嫁衣装。佳織の語尾に憧れが滲む。 「女のコが『お嫁さん』に憧れるってのは、何なんだろうね」  真志穂が郁也にそう訊いた。 「ボクに訊かないで」  郁也はむっつりそう答えた。佳織が写真から顔を上げ、考え考え言った。 「今まで考えたこともなかったけど、今いくちゃんのこの写真見て、素直に『いいなあ』って思った。女のコの姿のいくちゃんはいつもキレイで、別にこの衣装じゃなくてもいいなっていつも思ってたけど。……そうだな、自分にももしかしたらそういう気持ちがあるのかも知れない」  それを結婚願望と呼ぶのなら。確かに自分のどこかにもそれはインストールされているようだと佳織は言った。 「いつ紛れ込んだんだろう。不思議だなあ」  佳織は首を捻っている。真志穂は郁也の差し入れの洋生菓子を、遠慮無く大きく頬張った。 「『恋愛・結婚・生殖の三位一体イデオロギー』ってよくいうけど。『女の幸せは結婚』って時代じゃなし、自己保身のため、または社会の成員たる資格が婚姻していること、なあんて思想はないよね、あたしたちの世代ならさ」 「まほさん、そういう理論的なことじゃないのよ。何となく、いい? 『何となく』いいなあって感じるの。これって感情的な刷り込みだと思う」 「刷り込み?」 「そう。いつの間にか、あたしたちは結婚って自分の物語だと感じている。お伽噺の登場人物にはなり得ない自分が、たったひとつだけ主人公になれるわたし自身の物語。それは素敵なひとと結婚して、ふたりの家庭を築いて、きっとそこに幸せや不幸せがあってって。誰がいつ、あたしたちにそう刷り込んだのかなあ」  社会かなあ、それとも母親かなあ。もぐもぐ口を動かしながら真志穂が言った。 「有形無形のプレッシャーはあるかもね。日本の昔話の登場人物はは必ず夫婦セットだものね、『おじいさんとおばあさん』って。西洋のはもう、その『三位一体』そのものがストーリーになってるし。お姫さまが王子さまと出会って云々って。これだけ情報操作されて育てば、確かにそう刷り込まれちゃっても仕方ないかもね」 「まほさんて、そういう刷り込み、入ってないの」 「……ああ。ないみたい」  真志穂は柄になく歯切れ悪い。少し下がって聞いていた郁也は、「お茶、淹れ替えてくるね」とトレイを持って台所へ立った。  刷り込み、かあ。  それじゃあ、仕方ないかもね。  郁也は大きく肩で息を吐いた。  郁也の中の女のコも、やっぱりそう刷り込まれて育ったのなら。  滑稽でも、今更アンインストールは出来ないのだろう。
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