3、楽園の扉、漏れ来る光-2

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3、楽園の扉、漏れ来る光-2

 実験の合間に郁也が階段を降りて行くと、理学部の正面玄関の脇で掲示板を眺める姿があった。  郁也はその背に見覚えがあった。くるくる波打つ茶色い髪に、だらしなく踵を踏み付けたスニーカー。郁也はその派手な刺繍のあるジャンバーの背をポンと叩いた。 「やあ、久し振り。真面目に来てるね」  振り返った顔は相変わらず派手な目鼻立ち。睫毛が濃く長い。 「谷口さん」  須藤だ。 「元気だった? ようやく学校に来たんじゃないの」  郁也の軽口に、須藤は半ば冗談でむすっとした。 「先輩、俺、教養だったんすよ。ここには来なくても、講義にはちゃんと出てたすよ。失礼だなあ」 「あはは」  明るく笑う郁也を、須藤は眩しそうに眺めていたが、ぽそりと小さく呟いた。 「変わんないすね、谷口さん」 「え?」  須藤は何を言いたいのだろう。郁也は須藤の次の言葉を待った。 「相変わらず可愛いや」  郁也は思わず須藤の背を勢い良く叩いていた。 「何を言うかと思ったら、何馬鹿なことを」  郁也はしげしげと須藤を見た。 「頸太くなったね。肩幅もがっしりして」  よかったね。そう郁也は小声で付け加えた。  もう、女のコには見えないよ。  須藤はどうでもよさそうに頭を掻いた。 「そうっすか。自分じゃイマイチ分からんですけど」  須藤は水上の消息を郁也に尋ねた。郁也はアメリカの大学で元気にしていることを伝えた。それを聞いて須藤は無表情のまま頷いた。いっときだけでも、共に世界を夢見た仲間が、今は自分の手の届かない彼方にいる。そう感じているのだろうか。  余計なことかも知れないが、郁也はそっと訊いてみた。 「立ち入ったことで悪いけど。その後どうしてる? あの、駅で見掛けたキレイなひと」  須藤の表情に変化はない。 「ああ。嫁に行きました。三つ年上の、俺もよく知ってる奴のとこへ」 「そう……」  郁也にはもう何も言えなかった。すっかり解決しきったことなのか何の感情の動きも見せず、「じゃまた」と頭を下げて須藤は外へ出て行った。  郁也は自分も掲示板を見る振りをした。目は連絡事項を追いながら、頭の中ではさっきの須藤の言葉を反芻していた。そのとき。 「姫ちゃん!」  郁也が慌てて振り返ると、烏飼がにやにやしながら近付いて来ていた。郁也は辺りを覗った。 「そんな大きい声で呼ばないでよ。誰かに訊かれたらどうすんだよ」 「誰もいないって」  郁也の嫌がる様子には構わず、烏飼は馴れ馴れしく郁也の肩に腕を回した。 「離せよ」  郁也はもがいた。烏飼は腕に重心を掛けているのか、重くて動かない。そうするうちに郁也は、烏飼が郁也の肩に凭れて或る一点を見つめているのに気が付いた。 「やっぱ面識あったんだ」  そう呟く烏飼の視線の先には、さっきの派手な縫い取りがあった。烏飼はひゅうっと口笛を吹いた。 「さっすが東栄学院」  郁也と須藤の出身校は、中高一貫の名門校だ。尤も須藤は数少ない高等部からの編入生だった。だから却って目立ったとも言える。 「彼とは浅からぬ因縁があってね」  郁也は顔をしかめた。烏飼の身体が重い。郁也が須藤にされたこと。それはまさに逆恨みだった。だが須藤がそこまで荒んだのには訳があった。その訳には、郁也と共通する経験も多く、郁也は須藤を許すことにした。  女性的な外見のためにいじめ抜かれ、幼馴染みへの淡い想いをも踏みにじられた須藤。  身体の周りに漂い出す女性性を暴かれ、忌み嫌われた郁也。 「東栄って、君みたいの多いのかい」 「知らないよ。どうせ君のタイプじゃないんだろ。いいから離してよ」  烏飼は口の中で何やら呟いて、ようやく郁也から離れた。その一瞬の呟き。それは郁也には(そうでもないかもな)と聞こえた気がした。 (ええっ?)  郁也が呆気に取られているうちに、烏飼はすたすたと歩き出した。今度は郁也が追い掛ける番だ。 「ちょっと。ちょっと、烏飼君」 「ん? 何だい姫ちゃん」  郁也は声を低めた。 「君さあ、その……、あのひとに、バイト、紹介したでしょ」  烏飼は故意とすっとぼけてみせた。 「『あのひと』……。ああ、瀬川君かい。姫ちゃんの彼氏」  その態とらしい口調に郁也はむっとした。 「しらばっくれなくてもいいよ。どんな店なの。本当にボーイだけ? ヤクザのやってる店なんじゃないの」  烏飼の非合法なビジネスに、佑輔が巻き込まれては堪らない。  烏飼は肩をすくめた。 「経営陣の素性調査までは俺の営業内容に入ってないね」  更に捲し立てようと大きく息を吸った郁也に、烏飼は大きく腕を拡げた。 「だが、今回のは単純に欠員の補充さ。俺の友人がポカをやってね。急遽姿を消さなきゃならなくなった。そいつは片手間にあそこでボーイのバイトをやってたんだ。事情を知るものは、ヤツがいなくなった理由の一端が俺にあることを知ってる。丸く収めるために打つべき手のひとつが、代わりのボーイを手配することだったのさ。給料の出処がどこかさえ気にしないでくれれば、目標額を達成したあと辞めてくれてもいい」  そういう事情があるから、店側は若干の配慮をするだろう。却って安心なくらいだよ。そう言って烏飼は拡げた腕を郁也に回そうとした。すんでのところで郁也はそれをかわした。片手間だと。どんな片手間やら。 「君の後ろ暗いビジネスに、彼を巻き込まないと約束して」  烏飼は小馬鹿にしたように鼻を鳴らした。 「ははっ。仲のおよろしいこって」 「ルーク!」  郁也は烏飼がここでその名で呼ばれたがらないのを知っている。自分の冷たい瞳が胆の小さい人間を震え上がらせることも。烏飼は流石にびくともしなかった。 「分かった分かった。俺だってひとを見るよ。あの彼氏に、世間に対して口外出来ないことをさせようとは思わない」  更に烏飼はこう付け足した。 「彼にそんなことさせるのは、姫ちゃん、君くらいのものなんじゃない」  郁也は真っ赤になって動きを止めた。  その様子に、烏飼はさも可笑しそうに肩をひくつかせて去って行った。
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