72人が本棚に入れています
本棚に追加
10、純白の婚礼衣装を-2
松山が控え室の扉に手を掛けた。佑輔は郁也の隣で深呼吸した。松山の目配せにしっかりと頷き、佑輔は郁也の手を取って松山の開けた扉を入って行った。
「佑輔……?」
向こうのひとびとの息を呑む気配がした。郁也は涙で視界が潤んでいるのと、恐怖で前を見られないのとで、ただひしひしと伝わって来る気配と物音だけで判断するしかなかった。
佑輔が郁也の背に腕を回し、一歩前へ押し出した。
「父さん、母さん。見て遣ってくれよ。キレイだろ。こいつ、こういうヤツなんだ。俺、こいつと一緒に生きて行く。今日はそれを伝えたくて来て貰った。驚いたかもしれないけど、気に喰わないかも知れないけど、俺、もう決めたんだ。だから今日は、一緒に写真に写ってくれよな」
しんとした沈黙が突然破られた。
「俺は認めないぞ」
佑輔の兄だった。
「兄貴」
「やっぱりそうだったんだな。何が罰ゲームだ。弟がみすみすそんなオンナオトコに騙されるなんて、そんな気色悪いこと許せるかよ。佑輔、お前もいい加減に目を覚ませ。そんなの、世間の笑いものになるだけだろうが」
オンナオトコ。その言葉を浴びせられるのは何年振りだろう。多分十年振りくらいだ。随分遠くまで来てしまった。郁也は一瞬ひとごとのようにそう思った。
ひとごとのような感じのあとに、一気に涙が押し寄せてきた。ひくっと咽が鳴る。佑輔が慌てて振り返る。
「郁」
ううん。大丈夫。大丈夫。郁也は黙って首を振った。そんなの言われ慣れてるもん。ずっとずっと、そういじめられ続けて来た。平気だ、そんなの。そう思っても。
郁也の肩が上下に震えた。わあーっと声を上げて泣きそうになる郁也の耳に、強気な高い声が飛び込んだ。
「何馬鹿なこと言ってんの。恥ずかしい」
パシンと頭をはたく音。兄嫁が兄を殴った音だった。
「痛ぇ。何すんだよ」
「何すんだじゃないわよっ。あんたみたいな固定観念の方が何だってもんでしょ。大体なあに、男だ女だって。ふたりが幸せなら、そんなのどうだっていいことじゃない」
彼女は兄の顎先を掴み、無理矢理佑輔と郁也の方を向かせた。
「ほら。ご覧なさいよ。こんなに仲良さそうなふたりを、あんたの偏見でぶち壊しにする積り? いいじゃない。可愛いひとじゃない」
兄は妻の猛攻撃にぐうの音も出ない。彼女は優しい笑みを郁也たちに向けた。
「あなたたち、お似合いよ。あたし前からそうじゃないかなって思ってた。あなたたちみたいのが親戚だなんて、何て素敵なの。あたしは応援するから。この馬鹿のことは任せなさい。何年掛かるか分からないけど、きっと意識改革して置くからね」
(お義姉さん……)
郁也は彼女の啖呵に勇気付けられて涙をこらえた。郁也の後ろで怒りに息を弾ませていた真志穂の肩からも、すっと力が抜けるのを感じた。
兄嫁のその演説に、佑輔の父母も目を白黒させて黙るほかなかった。遂にこのひとたちの知る処となってしまった。郁也は気が遠くなった。これまでこのひとたちはボクを嫌ってはいなかった。特に佑輔の母は郁也がお気に入りだったのに。
いろいろあると思うけど、今日は一緒に写真に入ってくれよな。佑輔は穏やかにもう一度声を掛けた。郁也は佑輔をちらと見た。全く動じる風を見せず、淡々とにこやかなその態度。
(そうか。佑輔クンはもう、覚悟してたんだ)
パシャッ。パシャッ。
眩しいフラッシュに目を灼かれ、郁也の頬にはまた涙が伝った。
あとからあとから流れる涙を、淳子がそっと拭いてくれた。
弘人が「どれ、こっちを向いて御覧」と言うので、郁也は首をそちらへ向けた。弘人は黙って何度も頷いた。しばらくじっと黙って見つめていたが、父は「君にそっくりだ。懐かしいな」と淳子に言った。母も黙って目尻を押さえた。
「お父さん、……お母さん」
郁也の肩がまた震える。佑輔がそっと支えてくれた。気遣わしげに郁也を覗き込む佑輔に、郁也は笑顔で頷いた。
(ありがとう、こんなサプライズ)
郁也は涙ではっきり喋れなかった。佑輔はそんな郁也の言葉を聞き漏らすまいと耳を寄せる。
佑輔の後ろでは、佑輔の父と母が、そんなふたりを複雑な表情で見ていた。そしてその奥には怒りを隠そうともしない兄。お義姉さんがそれを監視している。
最後に淳子は、カメラの後ろにそっと佇む真志穂と松山に、「ほら、折角だからあなたたちもお入りなさい」と声を掛けた。ふたりは目を見合わせたが、並んでこちらへやって来た。
パシャッ。
郁也は衣装を脱ぐのだと思った。佑輔の手を離して着替えた部屋へ戻ろうとすると、真志穂が足早にやって来た。
「はい、こっちむいて。目つぶって」
「え。何。何が始まるの」
「いいから。早く」
真志穂は濡らした綿棒で郁也の目許を素早く直した。何が当たっているか分からない程の軽いタッチと素早さで、真志穂は幾つもの手順を進めた。郁也には何が何だか分からない。
写真館の出入り口が騒がしくなった。次々と車の停まる音。大きな声の案内に、佑輔の父も母もそちらへ促されて歩いて行く。懐かしい声。この声は。
ようやく真志穂がパレットを閉じた。郁也は立ち上がった。
「横田君!」
写真館の入り口ホールで、停まったタクシーに人々を誘導していたのは、四年振りに見る友人だった。
「おう、谷口。久し振り。おっと、『谷口』でいいんだっけ」
横田は郁也の後ろに控える佑輔の方を故意とらしく眺め遣った。佑輔は笑って「ああ」と頷いた。
「しばらくだったねえ。元気だった? あのひとは……?」
仕事のため上京するという年上の彼女に合わせ、横田は東京の大学を選んでいた。郁也はそれを覚えていた。彼女とはその後どうなったのか気になったのだ。横田は照れ臭そうに目をそらした。
「ああ。今年結婚する。今、一緒に俺の実家に来てるんだ」
そうか。よかったね。五年越しの付き合いだもんね。ボクらと同じなんだから。
郁也は佑輔を振り返った。佑輔も「よかったな。おめでとう」と力強く横田に言った。横田は横目で花嫁を見て、「あーあ、先にこっちを見なきゃよかった。どうしても比べちまうもんな」とぼやいた。
「何言ってんのさ。キレイなひとだったじゃない」
「五年前はな。今はもう、太っちまって、全然別人」
「それは横田君のせいじゃなーい? 君の食べるペースに合わせたからじゃないの」
相変わらず小太りな横田に郁也はそう意地悪を言った。横田は反論しようと口を開くが、松山に「横田、次の車到着したぞ」と中断された。気が付くと両親はどちらももういなかった。横田が先に立って郁也と佑輔をタクシーに乗せた。郁也のドレスの裾は真志穂が持ち上げてくれていた。
「まほちゃん」
何だか分からないまま車に乗せられた郁也は、従姉の顔を不安げに見上げた。真志穂は頷いて、「またあとでね」と笑った。
タクシーは走り出した。運転手さんまでが笑顔でふたりを祝福した。ふたりは結婚式を挙げる普通のカップルだと思われている。郁也は何ともくすぐったい気持ちで下を向いた。
郁也の手袋を嵌めた手を、佑輔がしっかりと握っていた。荷物で隠したりすることなしに、手を繋げる機会は多くない。郁也が女のコの姿をしているときだけだ。
そして真っ白なウエディングドレス。女のコの、郁也の中の女のコの、究極の夢の姿を。今郁也は取っていた。
信じられない。
郁也はそっと隣の佑輔を見上げてみた。佑輔がそれに気付く。目が合うと途端に照れ臭くなって、ふたりは慌てて下を向いた。
タクシーは時折揺れながら市街を走った。
最初のコメントを投稿しよう!