10、純白の婚礼衣装を-3

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10、純白の婚礼衣装を-3

「はあっ。びっくりしたねえ」  郁也は大きく息を吐いて佑輔を見上げた。 「でも、楽しかった」  そう言って郁也はふふふっと笑った。  レストランを貸し切りにしてのパーティー。両家の親族と担任を来賓に、卒業以来初のクラス会が用意されていた。一番の出し物は「谷口の最後の、究極の、仮装!」と銘打たれ、それを楽しみにした他クラス生も混じり込んでいたため、人数的にも盛況だった。 (「究極の仮装」……)  郁也はちょっとショックだった。だが、どうせ滑稽な姿なのだ。そのくらいの割り切りで楽しんだ方が面白いと思えた。いいのだ。隣で佑輔が小声で「それは失礼なんじゃないか」と言ってくれたから。  大学の卒業式を終えて、就職するもの、進学するものと様々だが、三月中はまだ身体の自由が利く。懐かしいメンバーが揃うなか、矢口の姿がなかった。田端も、中野ももしやと思ったがいなかった。そして水上も。アメリカの学期は日本とは違うので当然だ。  郁也が少々がっかりしていると、「悪い悪い、遅れて」と賑やかに矢口が店内に入って来た。「遅えぞ、社長」とヤジが飛んだ。矢口は「済まん。車飛ばして来たんだけど」と言い訳して「ほら、おいで」と後ろに声を掛けた。  矢口の後ろを従いて入ってきたのは、佳織だった。 「かおりちゃん」 「いくちゃん! キレイ。あのときのドレスだね」  思わず立ち上がった郁也に駆け寄った佳織は、「おめでとう。よかったね」と涙声で郁也の肩を抱き締めてくれた。 (かおりちゃん……)  むさ苦しい野郎共の中にパッと花が咲いたようだった。会場をおおっというどよめきが走った。 「何だ。お前、橋本を拾って来たのか」と意味ありげに眉を上げる松山に、矢口は「ああ。仲間外れにするときっと怒ると思ってな」と爽やかに答えていた。  野郎共は替わる替わる郁也の周りに集まり、摘んでみたり匂いを嗅いだりと大騒ぎだった。  交通整理を買ってくれた横田が「こらこら、三十センチ以上近寄るな。おい、近過ぎるって。おいそこ、囓るな」とふざける彼らを押さえてくれた。  お蔭で佑輔は少々顔を引き攣らせるだけで笑っていられた。その横顔が目に入ると、郁也は面白くてつい笑ってしまった。屈託なく明るく笑えている郁也。それは集まってくれたみんなが敵でないことを教えてくれたお蔭だ。  寺沢の挨拶は傑作だった。 「学院で教員を長くやってますと、こうした席に呼ばれることも多くなります。男子校ですんで新郎席に座る教え子ばかり見せられて来ましたが、これは全然楽しくない。高校生がおっさんになった姿を見て感動しろったって、そりゃ無理な相談です。しかしこれは」  寺沢はここで言葉を切り、主役の席をじっと見つめた。 「……いいもんですねえ。白鳥のようだ」  目を細めて、自分事のように嬉しそうにしている童顔の恩師に、郁也はウルウルきてしまった。祐輔がそんな郁也に気付いて、そっと肩を押してくれた。郁也は祐輔を振り返り、祐輔が頷くのを確かめて立ち上がった。 「先生……!」  郁也の純白のドレスの裾がテーブルのグラスを倒さないよう、祐輔が御輿を上げた。すかさず松山がフォローに入り、主役の手を煩わせないよう動いた。  ドレスの裾を震わせて、郁也は寺沢の首に腕を回した。 「おおっ。ダンナさまは了承済ですか? そうですか。よしよし」 「ありがとうございます。先生のお蔭です。あのとき先生がああしてくださらなかったら、ボクは……」  寺沢は郁也の背中をポンポンと叩いた。子育てに慣れているお父さんの仕草。 「多分、君のようなコは、いるんです。ただ表に出ないだけで。君たちが、君たち自身の人生を全うできるよう、わたしは、気付いたり、気付かなかったり、都度正解のない自分の役割を果たして行こうと思います。今日の席に呼んで貰って、改めてその気持ちを新たにしました」  寺沢は郁也の両肩を優しく掴み、郁也に、そして祐輔に言った。 「おめでとう。幸せに、ね。これまでだって幸せだったんでしょうけど、それ以上に、ね」  その言葉に、祐輔は立ち上がって深く頭を下げた。寺沢に促されて戻って来る郁也を迎えて腕を延ばした。郁也が祐輔の手を取ったとき、みんなのカメラの、携帯のフラッシュが一斉にパチパチと鳴り響いた。  郁也は部屋に着いてすぐテーブルに置いたままだった花束を手に取った。水に活けて置こうか。白を主体にところどころ黄色とオレンジでアクセントを付けた薔薇の花束。これを持って来てくれたのは、あの須藤だった。 「いい香り」  郁也は深くその香りを吸い込んだ。  花嫁姿の郁也の周りに人だかりが出来て、座が大いに盛り上がった頃、レストランの扉がカランと開いた。 「済みません。今日は貸し切りです」と言った松山が「おう、お前か。よく来たな」と笑顔になった。郁也は首を伸ばして見た。大きな薔薇の花束を持って、須藤が入り口を覗いていた。 「須藤君」  郁也はドレスの裾を持ち上げて扉の前へ急いだ。須藤は今日の郁也の姿にしばらく絶句していたが、「あはは。これじゃ俺絶対敵わないや。よかった、とっとと降りて置いて」と腹を抱えた。  もう仮装大会で郁也と張り合ったことなど、須藤にとっては遠い過去なのだろう。須藤の様子には暗い処など微塵もない。満ち足りた笑顔だった。 「今日はどうしたんだ。これからR市に帰るのか」と松山が尋ねると、「とんでもない。帰りませんよ。友達と遊びに来たついでに寄っただけです」と須藤は首を振った。「友達?」郁也は首を傾げた。  入り口から外を覗く連中がヒューと口笛を鳴らした。 「すげえ。アルファロメオだぜ。ここいらじゃあんまり見掛けないのにな」 「え。どれどれ」「お、本当だ」「高そー」などと歓声が上がる。郁也は足許に気を付けて外に身を乗り出した。運転席にいたのは。  郁也は思わず須藤を肘で突いた。須藤の頬が輝いた。色付きの伊達眼鏡を気障に掛けた烏飼がそこにいた。 「あれ、烏飼君の車なの」  郁也の質問に、須藤は頭を掻いた。 「あいつ、俺に『どんな車が好きだ』って訊いたんす。好きか嫌いかで言うなら、アルファロメオだって俺が言ったら、あいつ突然店に入って行くんすよ。俺が呆気に取られてると、さくっとその場で、あれ、買っちゃって」  しかも置くとこないからって、俺の寮の裏手に停めっぱなんす。何考えてんのか、さっぱり分からん男すよ。須藤はそう首を捻った。郁也はくすっと笑って須藤を見た。  明るい茶色の髪はお洒落にカットされ、やや大きめのジャケットをだぶっと羽織り、腕には銀のブレスが光る。耳のピアスはアメジストではない。須藤の派手めの顔立ちを最高に引き立てる小物たち。  郁也がくすくす笑うので、須藤は顔を赤らめた。 「な、何なんすか」 「お金は有効に遣わないとね」  きっと彼、君のために遣うことで、稼いだお金を浄化しようとしてるんだよ。  郁也はそう須藤に言って遣った。須藤は真っ赤になって下を向いた。 (ホント、かーわいいんだから) 「烏飼くーん」  郁也は運転席に手を振った。自分は顔を出さない積もりでいたのか、烏飼は郁也に呼ばれて渋々車を降りて来た。  今日の彼は珍しくテーラージャケットを崩した感じに引っ掛けていた。ボトムスもいつものピタピタの革パンツではなく、ゆったりしたスラックス。 「何かいつもと雰囲気違うね」 「俺のこと言ってる場合じゃないんじゃない。……キレイだよ、姫ちゃん」  そうか。郁也は気付いた。もう烏飼はセクシーさを売りにする必要がなくなったんだ。彼はその事業からは撤退したと言うことだろう。 「今日は仲良く小旅行?」 「ああ。動物園観に」 「そう」  それじゃ邪魔しちゃ悪いから、早々に君らを解放しなきゃね。郁也がそう言うと、烏飼は郁也の額を軽く小突いて車へ戻って行った。須藤が去り際、郁也にだけ聞こえる声で言った。 「俺、あいつのマンションに行ったんです」  身元隠蔽用の、例の。 「三階の部屋に行くのに、エレベーターは四階で降りて。出るときも同じです。ガランと何もない部屋に、着替えの服だけが何枚かぶら下がってました。本当に何もないんです。あいつは『住む訳じゃないから』って笑ってましたけど。この何もない部屋であいつ、何年間も何考えてたんだろうって思うと、俺、堪らない気持ちになりました。だから俺」  しばらくあいつの側にいて遣る積もりです。  須藤はきっぱりそう言って、身を翻して駆けて行った。彼を待つ、彼の処へ。
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