冴木学の場合

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「ほかにも、私のために全力で頑張ってくれた学くんを知ってるから、このまま見捨てるなんてできないよね」  頬を撫でていた美羽姉の手がゆるりと下がっていき、上半身にしがみつくように抱きつく。俺は迷うことなく、自分よりも華奢な体を抱きしめた。 「俺は、どうすればいいのかわからない」 「知ってる。だって学くんは恋愛初心者だもんね。わかりやすくするなら、また最初からやり直してみるとか?」 「最初って?」  どこからなのかがわからず、美羽姉の顔を見ながら訊ねた。俺の視線を真正面から受けた美羽姉は、優しくほほ笑む。 「学くんと付き合う前の、ただの幼なじみまで戻る」  幼なじみというワードを耳が捉えた瞬間、背筋がぞわっとした。俺を恋愛対象として見ていない美羽姉を、ふたたび見なければならないことを考えただけで、動悸と息切れが――。 「あ、あの頃……までぇ、も、ももも戻るぅう?」 「どんな気持ちになった?」 「美羽姉に片想いするところまで……戻るなんてそんなの、つらい」  俺の正直な気持ちを言ったというのに、美羽姉は冷ややかさを感じさせるまなざしを向ける。 「学くん、見ている視点が違う。そうじゃないの」 「だってだたの幼なじみまで戻るって、そういうことじゃないのか?」 「あの頃の学くんは、どうやって私を振り向かせたのかな? 幼なじみで年下の学くんはものすごく頑張らないと、私の気を惹けなかったわけでしょ」 「うん、そうだね」 「私に嫌われないように、いい人を演じてる学くんと、私を振り向かせようと頑張ってる学くん。どっちに魅力を感じる?」  そんなこと聞かれなくてもわかりきっているのに、答えることができない。答えがわかったところで、これからどう頑張っていけばいいのかすら、俺はわからないのだから。  自分の不甲斐なさを思う存分噛みしめていたら、美羽姉が昔のように俺の頭を撫でる。何度も優しく。 「だから私が傍にいるんだよ。学くんに全部教えてあげるために」 「美羽……」 「両想いだけど片想いの気持ちで、私に接すること。まずはそこからはじめようね」  わかりやす指示を聞いて、俺は無言で頷いた。 「私は男性に苦労させられる星の元に生まれたんだと、諦めるしかないのよね」  顔を背けてボソッと呟いたセリフを聞きとってしまったが、あえて聞こえないフリをした。そう思わせてしまう元凶が俺自身なのだから。 「美羽姉、お腹空いてるでしょ? 晩ごはん俺作るし」 「レパートリーの少ない学くんが、なにをごちそうしてくれるのかな?」 「ううっ、親子丼作れるようになった、くらい」  冷蔵庫の中身で作れそうなものを告げると、美羽姉は嬉しそうな顔で俺の左腕に自分の腕を絡めた。 「料理と恋愛ビギナーの学くんの腕を確かめてあげる。ついでにアッチは一人前だから、おまかせしちゃうけどね」  俺を引っ張るように歩き出した恋人に、恐るおそる訊ねてしまう。 「……美羽姉を食べていいの?」 「あ、そっか。幼なじみに戻るんだから、シちゃいけないんだ。だったら学くんのひとりエッチを、じーっと眺めようかなぁ」  イジワルを感じさせる視線と冗談めかした口調が、俺の心を簡単に翻弄する。やっぱり美羽姉には頭があがらない。ずっと尻に敷かれっぱなしだ。 「別にいいよ、見せても」 「えっ?」  美羽姉の中で想像していたのとは違う返答だったのか、驚いたように何度も目を瞬かせた。 (だって前の俺なら恥ずかしいって言って、絶対に拒否していた。片想いの気持ちを思い出したからこそ、この返事になったんだよな) 「俺がどれだけ美羽のことが好きなのか教えてあげる。それを見て、欲しくなるくらいに」  自信満々に告げた俺に、美羽姉は一瞬だけ呆けてから「あっ」と声をあげる。 「学くん、さっそくありがと。これからもその調子でお願いします」  きっとこの問題がクリアされたら、また違う問題にぶち当たって、美羽姉の指導が入るだろう。こうして彼女に釣り合う恋人になれるように、有言実行することをこの夜、誓い合ったのだった。 おしまい
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