冴木学の場合

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「ま、学くん、大丈夫?」  荒い呼吸を繰り返し、私の肩に額を乗せて動きをとめたので心配になり、思わず声をかけたのだけど、まったく反応がない。 「学くん?」  私の体に触れてる両手が小刻みに震えていることにやっと気づき、彼がものすごく緊張しているのがわかった。  キスのたどたどしさで、初めてなのがわかったからこそ、それ以上のこともはじめて――だから緊張することだって、なんとなく予想した。もしかしたら私が誘ったタイミングが、性急すぎた可能性がある。  だっていつもは私に触れただけで大きくなっている学くんの下半身に、まったく変化がなかった。 『美羽ごめん。俺、無理みたいだ……』  弱々しい声と同時に、体に触れていた学くんの両腕が外されて、私から遠のくように退いた。 「学くん……」  真っ赤な顔で泣き出しそうな面持ちは、恥ずかしがる感じがまったくなくて、私との違いにどうしたらいいのか、ほとほと困ってしまった。自ら誘うことはおろか、こういったフォローの経験のない私。 (今まで付き合ってきた男性にリードされていたツケが、こんな大事なところで出ちゃうなんて最悪……)  自分の不甲斐なさに、心底苛立ったとき。 『どうして俺は、いつもいつも肝心なときに、駄目な自分が出てくるんだ。美羽を包み込める、しっかりした大人でありたいのに!』  ふり絞る声で告げられた言葉とともに、下唇を噛みしめた学くんの悔しげな顔を目の当たりにした瞬間、声をかける間もなく室内から出て行ってしまった。 「なにやってんのよ、本当に……」  学くんとの関係を、もっと強固なものにしたかった――ただそれだけのために、彼の心を傷つける結果になってしまった。だったらあのとき、どうすればよかったのか。  終わってしまったことを顧みても過去は変えられないというのに、どうしてもいろいろ考えてしまう。だからこうして外に出て、仕事に忙殺されたほうが、精神衛生上助かった。  余計なことを考えないように、仕事に没頭している私に、直属の上司の堀田課長が話しかける。 「入ったばかりの新人の小野寺さんに、僕の仕事を手伝わせてしまって、本当に済まないね。残業代は、ちゃんと出るから安心して」  年齢は私よりも少し上の堀田課長。ここの社員だった女性と社内恋愛の末に結婚したそうで、誰にでも人当たりがよく、嫌っている人はいなかった。 (あの人も私が働いてるときは、堀田課長と同じだったっけ。こうして私に優しく声をかけてきて接点を持って、それから――)
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