45人が本棚に入れています
本棚に追加
/47ページ
「とにかく、もうそろそろ陽も落ちる頃だし、今日のところは、ね」
谷岡さんは笑顔だったが、その目は笑っていなかった。
「そうですね、すいません。直人もそろそろ帰ろうね」
由美はぺこりと頭を下げ、直人の手を取った。
直人はもう少しこの家を見ていたかったようだが、不満そうな顔をしながらもこくりと頷いた。谷岡さんは安心したように、自転車に乗って帰っていった。
それからはしばらく由美はその家のことを忘れていたが、その次の休日にサイクリングに出かけたときに、直人が『あの家に行きたい』と言い出したので、再びあの道を左折することにした。どうやら直人は、あの家のことがかなり気になっているらしく、『家に入ろうよ』とまで言い始めた。しかし、空き家とはいえ、流石に他所の家に勝手に入り込むのは許されることでないので、由美と俊作は息子をやんわりと説得した。彼は口を真一文字に結んで不満そうに下唇を突き出したが、特に反抗はしなかった。
直人はあの家に出会ってから、少し明るくなっていた。常に人見知りで、感情表現もほとんどしないような暗い子だったが、最近は目を輝かせていることもあるし、どこか楽しそうだ。
食事の時も、直人はあの家の話をすると上機嫌になって、すごいよね、とかあんな家があるんだね、と楽しそうに語っている。
「僕、あの家に引っ越したい!」
ニコニコしながら、直人はそんなことを言うのだった。
「おいおい直人、お前はあの家で暮らしたいのか?」
「うん、だってあんなにすごい家で暮らせたら、とっても良いじゃん。ねえお父さん、あの家、空き家だって言ってたよね。じゃあ、誰も住んでいないってことだよね?」
直人はカレーライスをスプーンですくいながら、目をきらきらさせる。
「うん、そうだなぁ」
「じゃあ、住めるじゃん、あそこ」
いつになく楽しそうな息子の姿に、由美は少し安堵する。
「そういうわけにはいかないんだよ、直人。空き家って言ってもね、あそこに住んでいた人があの土地を売ってない可能性もあるから、そう簡単じゃないんだよ」
「そっかぁ…」
直人はとても残念そうにがくりと首を垂れた。
最初のコメントを投稿しよう!