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人々の歓声が響きわたる花火大会。そんな中、光が届かない暗闇に、まるでその闇に紛れるように、全身真っ黒で帽子を深く被った男の子がいた。
「あれ?」
男の子に気付いたのは、紺色で朝顔模様の浴衣を着て、髪にアメ玉のような赤いトンボ玉をつけた中学生の少女、美緒。彼女は男の子の目線に合わせるように、その場にしゃがんだ。
「僕、どうしたの? お母さんとはぐれちゃった?」
「うん。そうなの」
「大変! ならお姉ちゃんといっしょに、係りの人のところに行こう?」
「……やだ。ここにいたい」
男の子の返答に、美緒は困った顔をする。
「そっかぁ。お母さんに、迷子になったら動いちゃだめって、言われてるの?」
「うん」
「そっか。お母さんとの約束が守れて、えらいね」
美緒は、ぽんぽんっと男の子の頭をなでてやる。
「……おいしそう」
「え?」
「ううん。なんでもない。ねぇ、お姉さん」
「なに?」
「どうして、僕に声をかけてくれたの?」
不思議そうな声で問いかけてくる男の子に、美緒は目を丸くした。
「こんな暗がりに、小さな子がいたら誰だって声をかけるよ。私以外にも、声をかけてくれた人、いたでしょう?」
「いなかったよ。お姉さんがはじめて」
「そうなんだ。もう、薄情な大人たち」
美緒は周囲を見回す。だが、誰も二人のことを見ている人はいなかった。
(あれ? なんで、誰もこっちを見てないの?)
「お姉さん」
美緒が違和感を覚えて立ち上がろうとすると、それを遮るかのように、男の子が美緒の手を取った。その手はべたついて、生温かいぬめりを帯びており、彼女はぎょっとした。
「お姉さん、ぼく、おなかすいちゃった」
「あ、ご、ごめんなさい。私、なにも持ってないの。でも、友だちが今、焼きそばを買いに行ってるから。それを分けてあげるね」
「ううん。そんなのいらないし、待てない」
「困ったなぁ。えっと……」
美緒は助けを求めるように、通りに目をやる。通りは屋台の光に照らされてまぶしさを感じるほど明るく、人通りも激しい。美緒と男の子がいる場所が屋台の脇で、通りから見たら暗いだろうが、誰も美緒たちを認識しないのは、やはりおかしい。
(逃げなきゃ。この子から、いますぐ逃げなきゃ)
美緒はこのままここにいては、いけないと本能が告げる。立ち上がろうとすると、男の子に痛いくらい強く、手を握られた。美緒はそれに顔をしかめる。
「ね、ねぇ、僕。お姉さん、そこの屋台でなにか食べ物買ってきてあげるから、ここでちょっと待てる?」
「待てない。だって、こんなにおいしそうなにおいが、するんだもん」
男の子は顔を上げた。彼の顔には、本来あるはずの目が無く、窪みから血を流している。さらに、ギザギザと鋸のような鋭い歯が並ぶ口を、にんまりと開けて、よだれをこぼした。
「きゃああ!」
あまりの醜さと不気味さに、美緒は悲鳴をあげて手を振り払おうとした。だが、子供とは思えない力で押さえつけられる。
「お姉さん、ほんとにおいしそうだね。ぼく、よだれが止まらないよ」
「い、いや! 放して! 誰か!!」
美緒は通りに向けて手を伸ばし、声を張り上げるが、誰も必死な美緒に気づかない。
「いただきます」
「いやああぁぁぁぁぁ‼」
美緒の悲鳴は、打ち上げられた真っ赤な花火の音でかき消された。
「結局、美緒と合流できなかったなぁ」
一緒に花火大会に来ていた友人が、わたあめ片手に、美緒がいた暗がりの前を通り過ぎる。
「メッセージを送っても既読つかないし。先に帰っちゃったのかな?」
一応、辺りを見回してみるが、紺色に朝顔模様の浴衣を着た同年代の女の子はいない。
「ま、あとで連絡くるでしょ。疲れたし、帰ろうっと」
友人は人の流れに逆らうことなく、歩いて行った。
暗闇にいた男の子は、口元についた血を、ぺろりとなめとる。
「……ごちそうさまでした」
男の子は、ペッと赤いトンボ玉を吐き出した。
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