ビー玉

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こつん......。 キラキラ光るガラス玉。 赤い模様がゆらゆら揺れる。 こつん.....。 もうひとつ、今度は青いほう。 「ユウは強いな」  陽に焼けた顔がニパッと笑って真っ白な歯が覗く。  六つ年の離れた兄さんは、いつもとってもよく笑う。 「兄ちゃん、うちが勝ったら、ビー玉、くれるって言うたよ?」 「ええよ」  口を尖らせる俺の手のひらに兄さんが色とりどりなガラス玉を一つずつ乗せてくれる。    お天道さまの光を弾いて、キラキラ眩しい。 「も一回、やろ」  手のひらのガラス玉をもう一回畳にあけて、兄さんのツグミのようなまん丸い目をみあげる。  目尻がちょっとだけ垂れて、優しく微笑(わら)う。 「ええよ、ちょっとだけな」  こつん......。  こつん......。  光が弾ける。 「タク、時間じゃ。うちはもう行かにゃあならん。あんたも早う行きんさい。先生に叱られるよ」  台所から母ちゃんが叫ぶ。 「どこ行くの?」 「学校じゃ。勤労奉仕(きんろーほーし)じゃ。......」  兄さんの手が俺の頭をくしゃりと撫でる。 「うちも行きたい!」  畳を足でバタバタ蹴る。 「ダメじゃ。ユウはまだ五つじゃもの。おとなしゅう待ってて。......帰ったらまた遊ぼ」  兄さんの指がぺちゃんこの俺鼻の頭をつんと突っついた。 「約束じゃよ?」 「うん、約束じゃ」  膨れっ面の俺の頭をもう一度、くしゃりと撫でて、兄さんは白いシャツをはためかせて走っていった。  でも、兄さんは帰って来なかった。  母ちゃんも帰って来なかった。  脅かしてやろうと納戸に隠れていた俺を見つけたのは隣のおばちゃんだった。 「あ、寝ちゃってた.....?」  俺の肩を痛いくらいの手で掴んで、怖い顔でおばちゃんは言った。 「ユウちゃん、大変、早う逃げよ。みんなピカドンで......」  俺はおばちゃんが何を言っているのか分からなかった。 「いやじゃ。うちは兄ちゃんを待ってる!帰ってきたら遊んでくれるって約束したんじゃ」  約束したんだ。  帰ってきたら遊んでくれるって。    兄さんは約束を破ったことなんか無いから。  きっと帰ってくる。 「遅うなって、ゴメン」  兄さん!  兄さん、やっと帰ってきてくれた。  真っ白なシャツと陽に焼けた肌で、いつも通りにニパッと笑う。 「兄ちゃん、遊ぼ」 「うん、遊ぼ」  兄さんの手が俺の手を取る。  トコトコと歩き出す。 「どこ行くの?」  尋ねる俺に優しい眼差しが微笑みかける。 「あっち」 「あっちって?」 「父さんが待ってる」 「父ちゃん、帰ってきたの?」  兄さんが、こっくり頷く。  戦地に行ったまま行方知れずだった父さんが帰ってきた。  俺は嬉しくなって、兄さんの手をぎゅうっと握りしめた。 「母ちゃんは?」 「母ちゃんもいるよ。みっちゃんも」 「みっちゃんも?」  みっちゃんは従姉のお姉さんで、広島駅前のデパートガールで格好良かった。 「早く行こう!」  手を引っ張る俺に兄さんが小さく苦笑いした。 「バイバイしなくていいのか?」 「バイバイ?誰に?」  首を傾げる俺を兄さんがひょいと抱き上げた。  ちょっと遠くのほうで、誰かが泣いてる。 ー父さん......!ー ーおじいちゃん......!ー  誰かが叫んでる。  でも......。 「いいの」  俺は答える。 「みんな大丈夫だから。......みんな夢だから」 「夢?」  怪訝そうな兄さんに俺はふふっと笑って言った。 「長い長い夢を見てたの。良いことも悪いことも、悲しいことも嬉しいこともあったけど、みぃんな夢だったの」 「そうか......」  兄さんが、俺の頬に自分の頬を擦り付けて呟いた。ひんやりしていて、夏の暑さが嘘のよう。 「兄ちゃん、ビー玉は?」  ふと気がついて俺が訊くと、今度は兄さんが、ふふっと笑った。 「ユウ、ポケット見てごらん」  ごそごそとズボンのポケットに手を入れる。  ひんやりとしたガラス玉の丸みが手に触れた。 「あったぁ!」  そうだ、あの家を出る時にみんな持って出たんだ。  俺はもう一度、兄さんを見上げた。 「兄ちゃん、もう何処にも行かない?」 「行かないよ」 「ずっとずっと一緒にいる?」 「一緒にいるよ」  こつん.......。  こつん.......。  ビー玉が弾ける。  記憶の底で。  赤い、青い、黄色いビー玉。  さあ、続きを始めよう。  七十七年目の広島は、きっと今日も青空だから。
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