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プロローグ:試練という名の嫌がらせ
ある大商人は言った。
世界は回る、金のために。
金こそが全て、あらゆる物は金で買える。
それはある意味では真理だった。
世界は商人を中心にして周り、力ある商人の前には国すらも膝を屈した。
そんな世界において、三本の指に入る商人がいる。
リアン・ゴッドフリー。
〈毒蛇〉の異名を持つその商人こそ、この物語の主人公である。
ただしそれほどに有名な彼もまた、齢十七のその時、まだ無名だった。
◆◇
「よし、お前豪商になれ。以上、解散」
あっさりとした言葉を放ったのは、醜く肥え太った男だった。
一般的な成人した男二人分の重量を誇る巨体を柔らかな座椅子に沈め、左右に二人づつ雰囲気の異なる美女を侍らせる姿は怠惰の一言。口さがない者は豚と嘲笑するかもしれない。
しかしその男こそ、世界でも有数の資産を持つ商人を決める商人ランキングで十二位を誇るゴッドフリー商会の会頭、ゴードン・ゴッドフリーであり、驚愕に口をぽかんと大きく開けたリアン・ゴッドフリーの父親だった。
「ほ、本気で言ってるんですか……?」
「もちろん本気だが。儂は冗談は嫌いだぞ」
なぁ、そうだろうと同意を求めるその手が伸び、美女の尻を鷲づかむ。
確か、十日ほど前に妾に迎えいれられた女だったか。
いまのお気に入りはその女なのだろう、父親の淫猥な行動など大して驚くこともない。
女癖の悪さは商人として成功し、商才確かと名高い父親の唯一の悪癖だ。
その女癖の悪さを端的に表すなら、十四番目の妻から生まれた十七番目の子供がリアンであると言えば十分だろうか。
まだ十七歳になったばかりのリアンはくすんだ金髪をかきむしり、少しばかり鋭すぎるのを気にしている瞳で睨みつけた。
「おい、親父殿。俺はゴッドフリー商会を継ぐための試練を受ける。それで間違いないよな」
「間違いないとも。試練をもっとも早く達成した者を跡継ぎに。それこそが我がゴッドフリー家を成長させ続けた鉄の掟だからな。年齢も人柄も関係なく、ただその能力でのみ真価を示した者が全てを総取りする。なんとも分かりやすいな」
「分かってるじゃないか。そしてその試練は時の会頭が決める、ここまではいいが……豪商になれ、だと? 商人としての最高位にたどり着けなんて、そんな試練があるものか!!」
にやり、とゴードンは笑った。
まったくもって馬鹿馬鹿しい出来レースということの証明だった。
商人は全員が商業ギルドに加盟するが、所持している資産に応じてランクが与えられる。駆け出し商人から始まり、商人、大商人、豪商へと至る。純粋な所持資産を元に格付けされるがゆえに、商人としての格を決めるだけではなく、資産に裏付けられた信頼を証明するものでもある。
そして、その中でも豪商はトップクラスであることを示す、商人の中の商人の証明である。
認められるために必要な条件は二つ。
一、商会を所持すること。
二、資産が一億リグを超えること。
ゴッドフリー家ですら豪商になったのは数代前で、現在の資産は三億リグである。
つまり、現在のゴッドフリー商会の三分の一の規模の商会を立ち上げてこい、というのだ。
「兄上殿達は、もっと簡単な試練だったはずだけどな」
「簡単かどうかは、その者の才覚によるだろうよ。どちらにしても、試練の内容を決めるのは会頭である儂だ。気にくわんなら最初から跡継ぎ争いなど放棄してしまえばよい」
ぐふ、と笑いをかみ殺すゴードンは、明らかにリアンに勝たせる気がない。
実際、兄達の試練が簡単というのは間違いだ。
それぞれ困難を極める難題であり、それを聞いた者はなるほどさすがは豪商ゴッドフリー家の跡継ぎを決めるための試練であると唸ってしまうだろう。
だがそれでも、だ。
リアンのそれと比較すれば笑ってしまうほどに簡単と言わざるを得ないほど、差がありすぎるのだ。
「そんなに俺が嫌いかよ、女好きの糞親父殿」
「おやおや、口が悪いな小僧。さすがは男と逃げるような尻軽女の子供というわけか?」
舌打ちを一つ、リアンは視線で殺せるならば殺してやるとばかりに殺意を込めてゴードンを睨みつけた。
「俺が母親でも逃げ出すね。いくら金を持っていようと、誰が好き好んで肉だるまと肌を合わせたがるよ。汗で滑って寝具から放り出されちまうぜ」
「ぐは、ぐははっ。口だけは達者だな」
ゴードンは太い指を器用に鳴らし、顔を寄せた女の耳元に何かを囁いた。
女は頷いて部屋を出て行ったかと思うと、すぐに大きな革袋を捧げて戻ってきた。
「受け取れ。試練を受ける子供たちに等しく与える金だ。五百万リグある」
受け取った革袋を開くと金貨が山と入っていた。
その場で中身を空け、丁寧に一枚づつ数えていく。
お前のことなど信用していないというこれ見よがしな行為だが、ゴードンはにやにやしながら数え終わるまで待っていた。
「確かに、五百万。受け取った」
「うむ。では、今日この時からお前はゴッドフリー家の名を名乗ることを許さん。名乗ることができるのは、もっとも早く試練を達成した一人だけだ」
「ふん。こんな糞みたいな名前、一時でも名乗らなくていいと思うとせいせいするよ」
それは強がりではあったが、虐げられていた母の姿を幼心に覚えているリアンにとって紛れもない事実だった。
できるなら、二度とゴッドフリーの名前など名乗りたくない。
しかし、この糞親父の思い通りになるのは御免だった。
試練を果たし、跡継ぎとなって全ての財産をむしり取る。
それがいまのリアンの目標だった。
だが、出る杭は打たれるもの。
多分にして自業自得と言えなくもないが、固めたばかりの決意は打ち付けられた釘の頭よろしく、ゴードンの言葉によって深々と埋め込まれることになった。
「そうそう、試練の内容だが少し変更しよう。豪商になること、これは変更ない。ただし、それに合わせて儂が納得するだけの女を嫁にしてこい」
「嫁……だと……?」
「お前は女の良さを知るべきだ。なあに、これは父からの優しさよ。ありがたく受け取れよ、小僧」
ぐはは、と豪快に笑うゴードンに、リアンは唖然としたまま部屋を追い出されることになった。
その日、リアン・ゴッドフリーはゴッドフリーの名を失い、ただのリアンとなった。
先の世に〈毒蛇〉の異名を持つ大商人に育つリアンの旅は、この時始まりを告げた。
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