高級メイドは尻に敷く

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高級メイドは尻に敷く

 ひとまず旅支度のために自室に戻ったリアンだったが、そこに待っていたのは両手と背中に巨大な荷物を背負うメイドの姿だった。 「クロエ……念のために聞くんだが、それはなんだ」  「旅支度でございます、お坊ちゃま」  きりっとした笑顔で断言するのは、リアン専属のメイドであるクロエ・セレスティアナだった。  肩で切り揃えた黒髪は艶やかで、細身ながら主張すべきところはしっかりと主張している。鋭すぎる瞳がきつい印象を与えるが、実際中身もきつい正真正銘のできる女、それがクロエという女だ。  が、こと今回に関しては何を勘違いしているのかと溜息をつかざるをえない。 「色々言いたいことがあるんだが……俺が糞親父殿から持ち出しを許可されたのはこの五百万リラと服だけだ。その荷物は持っていけないぞ」 「むっ。身の回りの品ですが、許可されないのですか?」 「身の回りの……品……?」  右手に抱えた袋からわずかに覗く壺らしき塊に疑問の声が漏れる。  百歩譲って服やリアンが愛用している日用品ならわかるが、そんな壺は断じて愛用していなかった。というか、それはどう見ても客間に飾られていた東方の白皇焼(びゃっこうや)きの大壺である。  海を越えた先にある東方はただでさえ値段が跳ね上がるというのに、ましてや割れやすい壺。さらに名工白皇の名が刻まれた白皇焼きでこの大きさ、手元にある五百万リラを差し出しても門前払いされる金額だろう。  それ以外に掛け軸やら剣やら絵画やら、どんな阿呆でも身の回りの品とは言わないであろう品々でぱんぱんに膨れ上がった鞄にリアンは頭を抱えるしかない。 「わかった、それらを身の回りの品というのはそれでいい。だけど、身の回りの品だろうがなんだろうが駄目だ。持ち出していいのは、服一着、靴一側、そしてこの五百万リグだけだ。着の身着のまま、それが試練の条件だぞ」 「着の身着のまま……身に着けているものであれば……?」  ごそり、とポケットから引っ張り出した右手にちらりと見えた光る物。  一瞬目を疑ったが、ゴードンが妾のためにと発注していたオールビドア産の宝石があしらわれた豪華なネックレスだった。どうやってゴードンの部屋から持ち出したのか分からないが、このメイド油断も隙もない。 「それを身に着けていると言えるのはお前だけだぞ。駄目に決まっているだろ」 「ちっ。みみっちい男ですね」 「舌打ち聞こえてるからな。あと最大の勘違いがあるんだが、お前も連れていけないぞ」 「!?」  荷物を取り落し、驚愕の表情でこちらを見るクロエ。  普段冷静沈着で何を言っても動じない完璧メイドであるだけに、驚愕の表情というのはなかなかにレアだ。少しばかり胸がすく思いでにやついてしまったが、分かっていない様子のクロエに説明しなければならない。 「さっきも言ったが、俺が持ち出せるのはこの金と服と靴だけだ。お前はゴッドフリー商会に雇われたメイドだろうが。持ち出せるわけがないだろう」 「お坊ちゃまは私を物だと仰る?」  それはかとなく怒りを感じる目つきに、リアンはぶんぶんと首を振った。  物心ついた頃から側にいるクロエには頭が上がらない。  年齢の近い遊び相手兼身の回りの世話をするメイドという立場的にはリアンの方が上になりそうなものだが、クロエは彼よりも二歳年上の十九歳。女は男よりも早熟というのはいつの世も変わらぬ理で、鼻っ柱の強かったリアン少年がしっかり者のクロエにやり込められるというのはあまりにも当然の流れだったのだ。  つまるところ、尻に敷かれているわけである。 「そ、そういうわけじゃないさ。ただ、ゴッドフリー商会に雇われている以上、お前の所有権は俺ではなくゴッドフリー商会にある。当たり前の話だろ」 「ふむ、なるほど。ならば私がゴッドフリー商会を退職すればいいということですね」 「え、なんで?」  自慢ではないが、ゴッドフリー商会は商人ランキング十二位の大商会だ。  丁稚奉公の見習いとして就職したいという者は数えきれず、例えメイドといえどもゴッドフリー商会のメイドとなれば王族直属のそれとなんら変わらないだけの箔がつく。  それを辞める?  馬鹿馬鹿しいにもほどがあるとくってかかろうとしたが、怒りとも呆れともつかないぎらつく眼光に黙らされた。 「すぐに戻ってきますのでこちらでお待ちください、お坊ちゃま」 「あ、はい」  楚々とした仕草で部屋を辞去したクロエは、言葉通りにすぐに戻って来た。  自分の荷物と思しき荷物を手に、にっこりとほほ笑んでいる。 「では、行きましょうか」 「ほ、本当に辞めてきたのか?」 「はい。メイド長から慰留を受けましたが、丁重にお断りしてまいりました」 「そ、そうか……まあ着いてきたいなら別にいいけど」 「別にいい、ですか? あらいやだ、私がいないとお坊ちゃまは一日と暮らせないのでは?」 「そ、そんなことは――!」  ない、とは言えなかった。  大商会の息子として商売だけではなく世情に関しても調べている。知識ばかりが先行して経験が追いついていない面は否めないが、それでも伊達に物心ついてから十何年、ひたすらに今日のために努力してきたわけではない。  だが、彼には致命的な欠点があった。  そう、彼には生活力(・・・)がなかったのだ。 「靴下は片方なくす。片付けはできない。お肉ひとつもまともに焼けない。できるのは金勘定だけでしょう! 違うというならどうぞ、私はここに残らせて頂きますので仰ってください!」  事実無根どころか事実ばかりで反論のしようもない。  ぐったりとうなだれて、それでも疑問は残った。 「そこまでしてなんで着いて来てくれるんだ? もしかしてお前、好き……なのか?」  そんなまさかと思いつつも、やはり長年一緒にいる間柄なだけに情はある。  試練のために離れなければいけないという事実は、リアンとしても少しばかり思うところはあったのだ。それでも、着いて来て欲しいというほどの関係性が構築されているわけでも、そこまで明確な感情があるわけでもない。  だからこそ一人で外の世界に出ればすぐ忘れるだろうと思っていたのだが、ここまで一緒にいることを固執してくれるクロエの姿に愛情を期待するのは致し方ないことだっただろう。  だが、そこはさすがクロエと言うべきだった。  心底嫌そうな顔で溜息をつき、 「頭に虫でも湧きましたか、お坊ちゃま。くだらないことを妄想するのは夢の中だけにしてください。鼻毛をまとめて引っこ抜きますよ」 「嘘でもやめてくれる!?」 「やって良いと許可を頂けるのであれば喜んでやりますが……とにかく、私が着いていくのは純粋にお給金目当てです。高級メイドである私を雇うのですから、当然それ相応のお給金を頂きますよ。出張手当ということで、いまの倍は頂きますので」 「倍!?」  いくらメイドとはいえ、ゴッドフリー家に務める高級メイド。  その給金は一日で数万リグはくだらない。それを倍とは吹っ掛けるのにもほどがある。  持ち金が五百万しかないのに無理を言うなと文句をつけると、クロエはすました顔で安心しろと頷いた。 「特別にツケにして差し上げます。だからさっさと試練を達成して、私に未払いの給金をどかんとお支払いしてくださいね、お坊ちゃま」  あまりにも自分勝手な言い分に、リアンがその場に崩れ落ちたのは言うまでもない。 「嘘だろ、勘弁してくれよ」 「おや……では、市井のメイドでも雇いますか。坊ちゃまの痒いところを知り尽くし、何も言わずとも全てを察する有能メイドが果たして他にいるでしょうか。いないでしょうねぇ。きっとメイドの教育に時間を取られ、お金はみるみるなくなっていくことでしょう。ああ、残念無念。試練を果たす前にメイドにつまづくというわけですね」 「本当にそうなりそうだからやめてくれよ。わかった、わかったから。雇うよ! ただし、給金は本当にツケだからな! 少なくとも商売が安定するまでびた一文払わないぞ!!」 「はい、結構です。その分、お支払い頂く時はがっぽり頂きますね」  いったいどうしてこんなことになったのか。  苦悩に揺れるが、なってしまったものはどうしようもない。  むしろ、生活面を心配する必要がなくなり、後で払う必要があるとはいえしばらくは懐を痛めなくても働いてくれるメイドが手に入るのだ。尻に敷かれてしまうのは問題だが、それも外の世界で活躍するリアンを見れば感動して自重するようになるはずだ。  いや、そうに違いと確信を深め、あらゆる面倒なことから目を背けることにした。  リアンにはもうそれしかできることがなかったのだ。  疲れ果てながらクロエを部屋の外に追い出し、ひとまず服を着替える。  せっかく持っていく一張羅なのだから一番高い物を選ばないと損と、王族のパーティーに出席した時に誂えた一度しか袖を通したことがない服を着る。  数年前の服だから少しぱつぱつだが、こればかりは仕方ない。  同じく靴も同じパーティー用にあつらえた高級品だ。  靴のサイズが小さいのは、さすがに足の指先が痛いが、これも堪えて履いた。 「ぐぬ……さすがに無理が過ぎるか……激しく動いたらボタン全部飛びそうだ……」  なにはともあれ、出発である。  部屋の外で待機していたクロエとともに、ゴッドフリー家を後にした。 「誰か! 誰かありますか! メイド長が気絶しています! お医者様を……っ!」  遠くのほうで聞こえる声にクロエにジト目を送ると、彼女はさも何も知らないとばかりに顔を逸らした。  こいつ、絶対に慰留された時に面倒くさくなって物理的に黙らせただろ、というのはさすがに彼女が怖いので口にしなかった。
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