自然との共存

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自然との共存

 OSO18と名づけられたヒグマは、非常に学習能力の高い知能を持っていた。  だからと言っても、野生のヒグマの1頭に過ぎない。  昨年、大騒ぎになって、このヒグマを追う専属チームが結成された。  マスコミの取材を受け続けていた某人物は、この売名行為が功を奏し選挙に出馬して当選した。が、その男は様々な批判や嘲笑も浴びせられた。  僕は、次第にマスコミ報道の在り方に疑問を感じないではいられなくなった。  ここに掲載した報道の後にも、何度かOSO18に関する特集番組があったが、僕は、ある意味、言葉を失っていた。  すべては、人間たちが作り上げた自然の成り行きという気がしている。 1 開拓が進み原始林が伐採されて、ヒグマの生息域が極端に狭められた。 2 ヒグマの活動領域と人間の生活領域が区分けできないほど畑や牧場が広がった。 3 その結果、ヒグマを駆除しようとして失敗し、逃げ延びる手負いグマの頭数が増えた。 4 手負いグマは人間に襲われる度に様々な学習を重ねて、人間に姿を見せなくなる。 5 OSO18は、たまたま牧場で牛の味を覚えたため、繰り返しチャレンジした。  このように考えると、今回の件は、別段、不思議な事ではなく、言い換えると、また何度でも起こり得る可能性があるだろう。  結局、原始の森を開拓するという事は、そういう事である。  だが、一つ言えるのは、何事も、 『頃合いを見計らう』 『匙加減』 『適度』 という事の大切さだ。  人間が個々人の欲望のままに自然を開拓して良いものだろうか?!  というのが、僕の疑問だ。  地球全体、日本の国土を開拓する上で、自然との共生を念頭に置き、国が計画的に自然保護を進めるべきでは無いのか、という疑問である。  今や北海道は風力発電のための風車や、太陽光発電のパネルが、所狭しと大地を覆い尽くしている。  国立公園ギリギリまでびっしり、それらは進出しているが、自然というものは、本気で守るためには余裕が必要なのだ。  国立公園の1メートル先は、確かに個人の土地だから何をしても自由かもしれない。  だが、自分の身に置き換えて考えてみて欲しい。隣りの家がゴミ屋敷で自分の家ギリギリまでゴミを積まれても平気でいられるか?!  命あるもの、安心して生きるためには、お互い適切な距離感を保つ必要がある。  最低限の狭苦しい場所に閉じ込められ、そこで生きてくれと強制された動物や植物が、果たして生き延びられるだろうか。  すべては自然に対峙する人類の責任である。  地球の環境破壊による異常気象と同じ事。  僕ら、1人1人にできる事は、何だろう。  ただ悲しみ、イライラして、不平不満を述べ立てても、何一つ変えられない。  僕は、もう少し研究を重ねながら、自然と文明との共存を考える小説や童話を創作できる作家を目指したい。  
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