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襖の敷居には女中がしょっちゅう蝋を塗っているから、静かに開ければほとんど音はしない。それでも、神経が過敏になっていた遥二郎の耳には、すぐ襖が閉まるかすかな音もはっきり聞こえた。礼一郎が部屋を出たのだろうかと思ったが、兄の部屋にはひとの気配がある。
布団の中で身体を固くしながら、遥二郎の頭が忙しく動いた。誰かが礼一郎を訪ねたのか。父母ならば息子を呼びつけるだろうし、第一もう真夜中に近い。
そうすると、礼一郎が奉公人の誰かをこっそり呼び寄せたのだろうか。それとも、誰か家の外の者が礼一郎の部屋に忍びこんだのか。
あれこれ考えながら身じろぎもできない中、ふと、声が聞こえた。
恐らく、礼一郎のささやき声。何を言っているかまでは分からなかったが、昨日から兄が自分に向ける無感動な声よりずっと柔らかい、以前の兄に似た声だった。
次いで、かすかな女の忍び笑い。
遥二郎は腹から、何かが迫り上がってくる感覚を覚えた。女がいる。女中か家の外の者か知らないが、女が真夜中に兄の部屋にいる。
得体の知れない不安が、遥二郎を動かした。音ひとつ立てないようにそろそろと布団をめくり、礼一郎の部屋に接した襖に近づく。窓からの星明かりだけを頼りに、そっと襖を指一本分開け――。
隙間から真っ先に目に入ったのは、礼一郎の後ろ姿だった。その背に、何か白く細いものがへばりついている。
女の腕。
ふたりは立って抱き合ったまま、囁き声や含み笑いを交わし、女の腕がときおり礼一郎の背中を撫でた。女の顔は礼一郎の肩に押し付けられて見えず、この暗がりではおちょぼ髷の女中なのか、家の外の女なのか、区別もつかない。
遥二郎は二、三歩退き、思わず目を閉じた。見たものすべてを、頭が拒否する。女中に手を出すことは女遊びにふける以上の恥であるし、ましてやどこの者とも知れぬ女を部屋に呼び入れるなど、兄がするはずがない。割りこんでふたりを問いただす勇気など、とても起こらない。
一分ほど経ったころ、ふいに、誰かがどさりと床にくずれ落ちる音がした。
礼一郎が倒れたのかもしれない。訳が分からないまま、遥二郎は思い切って目を開け、襖の隙間に視線をやった。
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