一 大正十三年十二月 船場・平野町 一・六夜店

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 そう遥二郎が自分に言い聞かせているのもつゆ知らず、多季は近くの人だかりを指さして叫んだ。 「わ、飴屋の前えらい人やわ」  多季が興奮した声をあげる間にも、職人がハサミと指を器用に使って飴の形を整えていく。数分も経たないうちにできた兎は、多季よりやや幼い女児の手に渡された。 「多季も兎、作ってもろたらどないや」 「こないだも兎やったもん。文鳥がええな。礼一兄ちゃんに見せんねん」  やがて順番が巡ってき、手渡された白い文鳥の飴を多季は宣言通り食べなかった。飴の付いた棒を持ったまま、今度はこんにゃくの入ったちょぼ焼き、次は見えない糸を使った手品の見物と、遥二郎の手を引いてあちこち回っていくうち、出し抜けに 「わて、ちょっとくたびれた。礼一兄ちゃんとこ行こ」  と少し眠そうな声で言った。    子どもが急に疲れるのはよくあることだし、礼一郎もそろそろ玩具を買い終えているころだろう。遥二郎は多季の手を握ったまま、見慣れた通りを戻りはじめた。  やがて麒麟屋の数軒隣にさしかかり、露店の前に屈みこむ礼一郎の横顔が雑踏の間にかろうじて見えた。 「礼一兄ちゃん」 早く飴の文鳥を見せたいのか、多季が駆け寄ろうとしたとき、その履物の先が舗装されていない道のへこみに引っかかった。  いけない、と思った瞬間、遥二郎はとっさに多季の手を引いた。だが自身も足がもつれ、倒れかけた多季を抱きかかえたまま二人して地面に倒れ込んだ。遥二郎の肩が強く地面に打ちつけられ、痛みのあまり声が出かかる。  遥二郎の腕の中で多季がわぁと悲鳴を上げるのを聞き、通行人の流れがふたりの倒れているところだけ中洲のように割れた。 「多季、怪我ないか」  半身だけ起こして、遥二郎は多季の肩を掴んだ。多季は兄の必死の形相に気付いてか、こわばった表情でなんとか答えた。
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