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二 大正十三年十二月 船場・平野町 狭柳家
狭柳家の営む喜鵲屋は明治のころから三代続いた暖簾で、簪や笄、化粧品を扱う小間物屋としては平野町の中でも三つ蔵の建つ大店であった。
とはいえ、食事は船場の他の家と同じく、変わり映えのしない質素なものだ。朝は粥、昼一菜、夕には茶漬け。「味噌汁がつくだけ、うちより上等やわ」と遥二郎に言った学友の家には、五つ蔵があった。家の主人である伊兵衛と長男の礼一郎には、月の一日に尾頭付きの鰯がついたが、差といえばそのくらいだ。
そろそろ朝食というとき、母のひさ子がじろりと茶の間を見渡した。番頭や手代が食事を取る一段低い板床に声をかけると、大番頭の平助がすぐさま茶の間に向かって手をついた。
「礼ぼんの顔が見えへんけども」
ひさ子が言う通り、礼一郎の姿が茶の間になかった。大番頭はそれが自分の責任であるかのように、ますます低く頭を垂れた。
「へえ、どうも具合が良うない、いうことで、お部屋から出て来はらへんのです」
「さよか」
ひさ子はそう答えたきり、大番頭を下がらせた。
やがて食事が始まり、飽きかけている芋の粥を遥二郎がもぞもぞと口に運んでいると、伊兵衛が声を低めてひさ子に持ちかけた。
「具合が悪いんやったら、何も口にせんのはかえって良うないんやないやろうか。あとで女中に持って行かせて……」
「礼ぼんが要らん言うたら要らんで、よろしいやごありませんか」
口調は丁寧だったが、ぴしりとした声には有無を言わせぬものがあった。伊兵衛はそれきり黙って、形の崩れた米粒を箸で寄せていた。
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