二 大正十三年十二月 船場・平野町 狭柳家

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 気詰まりな雰囲気の中、遥二郎が湯吞みを持ち上げたとき、ふいに昨日負った右肩の傷が痛んだ。思わず小さな声を立てて顔をしかめる。  ひさ子がそれに目ざとく気付き、 「遥ぼん、どないしたんや」  と問いかけたが、心配からではなく粗相を疑っているのは明らかだった。 「なんでもあらしまへん。箪笥にちょっとぶつけてもうて」  理由をでっちあげてごまかそうとしたところを、 「一・六夜店でわてがこけかけたとこ、遥二兄ちゃんが助けてくれはったんだす」  多季が正直に答えた。多季としては、自分を助けた遥二郎を褒めてほしい気持ちからだったのだろうが、ひさ子は真逆の反応をした。 「あんたがついておきながら、多季がこけかけたんか」  ただでさえつり目のまなじりが、きゅっと上がった。蛇に睨まれている心持ちで、飲みこんだ粥が喉にせり上がってきそうになる。 「た、多季には傷ひとつ、ついてまへん。私が下になりましたよって」 「それは運が良かっただけの話やないか。ひとつ間違(まちご)うて、顔に傷でも付いてみなはれ。婿を取るのに差し支える身体になったら、どないするつもりでっか」  ぴしぴしと畳みかけられ、何も言い返しようがない。遥二郎はもう食事どころではなく、ひさ子に向けてひたすら手をついて謝った。  説教は椀の底に残った粥が冷めきるまで続いた。ようやく解放されて、学校の準備をするときも、まだ恐ろしさに身が震えたままだった。
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