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気詰まりな雰囲気の中、遥二郎が湯吞みを持ち上げたとき、ふいに昨日負った右肩の傷が痛んだ。思わず小さな声を立てて顔をしかめる。
ひさ子がそれに目ざとく気付き、
「遥ぼん、どないしたんや」
と問いかけたが、心配からではなく粗相を疑っているのは明らかだった。
「なんでもあらしまへん。箪笥にちょっとぶつけてもうて」
理由をでっちあげてごまかそうとしたところを、
「一・六夜店でわてがこけかけたとこ、遥二兄ちゃんが助けてくれはったんだす」
多季が正直に答えた。多季としては、自分を助けた遥二郎を褒めてほしい気持ちからだったのだろうが、ひさ子は真逆の反応をした。
「あんたがついておきながら、多季がこけかけたんか」
ただでさえつり目のまなじりが、きゅっと上がった。蛇に睨まれている心持ちで、飲みこんだ粥が喉にせり上がってきそうになる。
「た、多季には傷ひとつ、ついてまへん。私が下になりましたよって」
「それは運が良かっただけの話やないか。ひとつ間違うて、顔に傷でも付いてみなはれ。婿を取るのに差し支える身体になったら、どないするつもりでっか」
ぴしぴしと畳みかけられ、何も言い返しようがない。遥二郎はもう食事どころではなく、ひさ子に向けてひたすら手をついて謝った。
説教は椀の底に残った粥が冷めきるまで続いた。ようやく解放されて、学校の準備をするときも、まだ恐ろしさに身が震えたままだった。
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